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八坂書房★★★
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常一ついででもう一冊。こっちは「宿、泊まる場所」の歴史的考察です。

はるか昔から現代まで、ずーっと日本の「一夜をすごす場所」について述べているんですが、すなおな感想として、旅って常に大変なんだなあと実感。それこそ「笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば・・」です。雨露をしのぐだけでも大変。ろくに食べず寝れずで歩き続ければ病気にもなる。行き倒れる。だいだい昔の日本人はとりわけ死を忌んだんで、旅人はまったく歓迎されなかった。疫病を運んでくるかもしれないし、場合によっては泥棒もするだろうし。よそ者。

都へ租庸調ですか、地方から食料もって上ってくるだけでも大変です。税をおさめて故郷へ帰るのはもっと難儀。政府が面倒みてくれるわけもない。旅は水盃、無事に帰ってこれる保証なんてなかった。道中、たくさん死んだし、たくさん失踪もした。

はるか時代を経てもずーっと事情は変わらず、旅は難儀なものでした。しかしその割りには、みんなよく旅をした。例の松尾芭蕉の一行なんてのも、なんとなく優雅な旅みたいな印象ですが、実体はなかなか大変だったらしい。所によっては泊めてももらえないし、食べるものにも苦労する。たぶん野宿もあったんでしょうね。いっぽうで絵とか落語とか特技もってあちこちフラフラしながら優雅に旅したケースもある。江戸時代なんかだと地方の目明しとか顔役博徒の家が狙い目だったらしい。

総じて庶民は旅が好きだった。あんがい宿賃は安かったようで、「一泊いくら」という合理的なスタイルが成立したのはかなり後期になってからのようです。基本は「こころばかりの謝礼」。たくさん払うか少しにするかはケースバイケース。

そうそう。本筋と関係ない挿話ですが、「言海」の大槻文彦は温泉が大好きだったらしい。どこそこの湯か気に入ると、30日でも40日でも滞在する。伊豆の下田なんて、静かで快適だってんで、3カ月以上も居続けた。泊り込んで、新鮮な魚をたべて(このへんは酒も灘から良いのが船で直接入った)、じっくりと大言海の校訂ができた。いい時代。

有名人ではあったものの当時の大槻センセイがどれだけ金持ちだったのか、それとも宿泊費が非常に安かったのか、けっこう微妙なところがあるようです。ちなみに大槻文彦は幕末の儒学者の三男。蘭学の大槻玄沢は祖父で、ついでですが玄沢は「解体新書」の杉田玄白・前野良沢の弟子です。こういう人たちの資力、現代の感覚ではなんとも見当がつかない


八坂書房 ★
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丹波の「元伊勢跡」の件。つい気になってこんな本を借り出してしまった。はい。宮本常一にしてはえらく難しいし、正直おもしろくもない内容です。ひたすら伊勢神社の歴史とナニヤカニヤを真面目に記述してある。人間が登場しないと、宮本常一さんの魅力も消えるんですね。

というわけでろくに読んでもいないんですが、たとえば「元伊勢外宮」。これは豊受大神社であって農耕神。早いころから日の神である天照大神と一緒になり、たぶん5世紀後半頃、雄略天皇の時に丹波国から遷宮したらしい。ただこれも一直線に「丹波」→「伊勢」というものでもなく、あちこちいろいろ寄り道した末に、最終的に伊勢に鎮座した。

で、こうした神体の移動はたぶん斎宮なんかが(名目上)仕切ったのかもしれない。もちろん女性だけが神体もって歩くのは無理なので、実際にはそうそうたる武将連中が周囲につきしたがった。しかもこの時代というのは、朝廷の勢力が大きく東へ波及した時代と重なる。

ちょっとマンガチックにいえば、斎宮が御神体を捧げ持ち、武将連中が(もちろん兵士をつれて)進軍する。まるでサッカーのスクラム突進です。スクラムの後から聖火をもった女性がついていく。ちなみに各地に神体を据えたということは、負けを認めた地元勢力からそれなりの土地の提供をうけたということですね。進駐軍。

こうしてスクラム突進で平坦になった後背地に、場所を選んで大きな基地を建設する。それがたぶん伊勢神宮。東国をにらむ拠点地なんでしょう、きっと。

ザッと読んで、この本の冒頭部分に書かれたこと、ま、そういう趣旨なんだろう・・と理解しました。正しい理解かどうかは保証できません。間違っていたら陳謝。それにしても読みにくかった。

ちなみに雄略天皇ってのは、ワカタケルとか彫られた鉄剣がそうです。獲加多支鹵大王。一応第21代天皇ということになっているそうです。ほとんど神話の時代ですね。


文藝春秋 ★★★
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副題は「プロ棋士が将棋を失くした一年間

先崎学という人は、たしか青森出身だったかな、小学生の頃から米長邦雄の内弟子で、林葉直子にとっては弟弟子という関係です。林葉直子といっても、もう知らない人が多くなってるかもしれません。べらぼうな将棋の天才。かつ美少女。棋士を引退して、まだ存命と思いますが、漫画の原作とかタロット占いとか。そんなことをやってたはずです。

で、先崎という棋士はたぶんすごい将棋の才能があった。ただ若い頃からちょっと遊びすぎの感じはあって、そのせいか思ったより伸びない。たしか棋士の写真を2枚並べて掲載された雑誌で、片方は「天才 羽生・・」とキャプション。しかし先崎のほうは「元天才?の先崎・・」とか書かれた。その夜は新宿で泣きながら呑みました、とか、初期のエッセイに書いていました。いい味の文章を書く人で、週刊誌にかなり長期の連載をもっていたはずです。

で、そんな世のなかを渡る巧者が、なぜかうつを発症。まったく知識のない「うつ病」ですが、これを「心の病」と思うのは大間違いで、完全に「脳の病気」らしい。というか、そもそも「うつ病」について書かれたものを読んだ記憶がない。

で、感想ブログなどを眺めてみると、そもそもうつ病だった当人が書いた本なんて非常に少ないらしい。たしかに闘病中に文章なんて書けるわけがない。治ってからも書きたい気分になることは少ないだろう。たまに「書くぞ!」という奇特な人がいて、だからといって本にしてくれる出版社があるとは限らない。ま、しませんわな。そういう理屈で、世の中に「うつ病」の正確な知識がひろまらない。今回は面白く一読し、かつ、うつとはこんな病気だったのかと勉強になりました。

ちなみに先崎九段の実兄は精神科医らしく、これは恵まれていた。慶応病院に紹介してもらって入院。看護師なんかも質がいいんでしょう(気のせいか美人が多い)。で、教授回診の際につい「治りますか」と聞いたら、自信タップリの笑顔で「ここは慶応病院です」と言われた。すごい安心感だったとか。笑えるけど納得のエピソードでした。


家でだけ使っている老眼鏡が傷だらけになり、さすがに見にくくなったので安物を新調。吉祥寺のZoffにて。妻も子供もいなかったので、さっさっと自分で選んで購入。後で趣味が悪いとか言われたってしらない。

カウンターにフレームを持っていくと、専用タブレットを差し出してデータを入れろという。手書き入力かな?と思ったけど、どうも違うようで、携帯なんかのメール入力と同じ方式ですね。入力箇所を指でまず指示して、五十音表から入れていく。名前、電話、生年月日・・・けっこう手間がかかる。

それにしても何故生年月日まで入れる必要があるんだと、後で気がついた。先方にとっては欲しいデータだろうけど、なぜ易々として教える必要があるのか。何も説明しないでいきなりタブレットを渡されたから、とまどってしまいました。

mousepad.jpgで、待ち合わせまで時間があったので、ヨドバシカメラへ。巨大店舗です。

ヨドバシカメラ地下のPCパーツ売り場をウロウロしていると、すぐ時間がたってしまいます。本当はロジクールの大型有線マウスを探していたんだけど、なし。

そもそもロジクールを探すので少数派。有線でさらに少数派。なんか、ずーっと少数派の道をたどってきたような気がする。富士通でCPUはモトローラの6809だったし、親指シフトだったし、ビデオカードはVLバスだったりVoodooを使ったり。知ってる人は知ってるかな。

リストレスト・パッドを買いました。手首が楽で、ひんやりフニャフニャしているやつです。高いものあったけど、バッファローで646円。いい買い物をした。

いままで使っていた20年もの(25年ものくらいかな)のリストレストには引退をお願いしました。腐りかかって、一部はもう陥没している古色蒼然です。お世話になりました。

文藝春秋★★★
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著者はオルドス生まれの文化人類学者。なぜか日本で勉強して、やがて帰化。オルドスってのは黄河が中流あたりで北に大きく湾曲しますが、その湾曲の内側あたり。今の区分からすると内モンゴルでしょうね。ちなみに長城の外側です。

この本のテーマはただひとつ。「中国史は王朝の連続ではない」「中国四千年の歴史なんて虚構」ということです。黄河流域に古い文明があったことは事実ですが、最近の研究ではこの他にもいくつかの文明が存在している。つまり黄河文明はワン・オブ・ゼムであって唯一絶対ではない。

だいたい中国という言葉もそんなに古いものじゃないようです。たぶん辛亥革命の以降。それまでは清とか明とかはあっても、中国なんてものは存在しなかった。外からするとシナとかチャイナとかいわれた場所。黄河中下流域のいわゆる中原にあった国家を、なんとなく(特に漢民族がこだわって)そう呼んでいる。

しかし漢民族の王朝が連綿として続いたと考えるのは無理です。虚構。そもそも漢民族なんてものは存在せず、強いていえば「漢字を使う人々」でしょうか。書き文字である漢字は共通ですが、たとえば広東と北京と、話し言葉はまったく違う。人種もたぶん異なる。でも漢字という共通項でまとめれば「漢民族」。とすると日本人なんかも、10%くらいは漢民族なのかもしれないです。

大昔の漢帝国を構成した漢人は、たぶん後漢末期、黄巾の乱あたりでほぼ絶滅したのかもしれません。少なくとも危機的に減少して、その後は他の人種に吸収されてしまった可能性もある。

中原あたりにあった王朝や国家は、南に逃げたり滅びたり、北の遊牧民国家にのっとられたり、また違う遊牧民が攻め込んだり。入れ代わり立ち代わりです。こうした動きを、中原地域だけに区切って眺めるから難しい。もっと視点を広くし「ユーラシア史」という観点から眺めるとまったく相貌がかわります。

もちろん中原にも国家はあった。しかしもっと大きな固まりが遊牧民国家です。スキタイとか匈奴とか、こっちはユーラシア大陸の各地に興亡し、移動し、拡大し、栄え、滅び、時折は中原をも支配した。こうしたユーラシア民族を文化的に低いとみるのは偏見です。農民と遊牧民では文化の尺度そのものが違う。

たとえば唐滅亡の後。漢民族である宋が統一したというのは中国式タテマエです。しかしちょっと全体を眺めると、実際の姿はキタイの遼、タングートの西夏、そして漢民族の宋。鼎立ですね。これを無理やり「宋が統一」ということにするのが中華史観で、中央以外はみーんな夷狄で考慮する必要はない。現実を直視したくなくて、必死に脳内武装したのが朱子学。このへんから動脈硬化が始まった。

著者によると漢人国家と遊牧民国家はまったく違う文化です。たとえば典型的な例が明でしょうか。せっかく可能性がありながら大艦隊を焼き捨て、内側に閉じこもってしまった。周囲の遊牧民国家を根拠なく蔑視し、自分だけ高く誇る。長城を築いて安心するのが漢人国家です。内向きの中央集権であり、専制国家。いまの中国もその延長上です。

対して遊牧民国家は外に開けています。常に移動する。宗教にも他民族にも寛容で、良いものはどんどん受け入れる。典型的なのは元ですね。ま、元を中国の国家といっていいかどうか、実際には大モンゴルの一部なんですけど。ちなみに遊牧民のトップは決して専制君主ではありません。一種の合議制。意外なことにあんがい平等で分権的なんです。

随、唐は完全に遊牧民国家でした。だから唐はあんなに拡大した。国境の概念があんまりなかったのかもしれない。また元は論外としても、清も巨大な版図です。清の皇帝は同時に、あんまり宣伝しなかったけど実はハーン(汗)でもあった。満州もモンゴルも西域もその先も、なんとなくのテリトリーだった。

したがって日本の学生が必死になって王朝変遷を丸暗記するのは滑稽。そう著者は言います。ラグビー場での攻防の様子を、たとえば固定した望遠鏡で眺めているようなものでしょうか。次から次へと望遠鏡の視野の中は入れ代わりますが、でもそれになんの意味があるのか。ずっーと五郎丸がいて、五郎丸が消えると次は外人選手で、それがリーチマイケルになった。でも望遠鏡から目を外してながめれば、何十人もの選手がただウロウロしているだけのことです。それが、中国視点からユーラシア視点への転換ということ。

ちなみにオルドス生まれの著者は、こうした中華思想、漢人中心の考え方がかなり嫌いなようです。ま、無理はないけど。


関係あるような、ないような。

以前読んだ中国の小説(というか体験記)。文革での下放で内モンゴルに行った青年とオオカミの本なんだけど、ここで大きなテーマのひとつになっているのが内モンゴル住民と開拓農民の確執でした。もちろん開拓民は権力がバックにあるから「正義」だし、内モンゴルの荒野を豊かな農地にしようと意欲をもって頑張っている。

で、現地の住民はそもそもが遊牧の民だから、何より大事なのは羊や馬。羊や馬は牧草を食べる。その牧草をせっせと食べるのが、ナントカいう名前のウサギとかモルモットの類。これは内モンゴル人の敵です。で、こうしたウサギなんかを好むのがオオカミ。

結果的にいうと、適切な数のオオカミは、現地牧畜民にとって味方なんですね。だからオオカミをあんまり敵対視しない。食べ物があればオオカミは悪さしません。

ところが中国から大挙してやってきた農民たちは、牧草地(彼らから見るとすごい無駄)をせっせと畑にしようと努力する。でもこのへんの表土は非常に薄くて、クワをいれるとすぐ乾燥してしまう。たちまち荒地になり、なかなか回復できない。おまけに農民はオオカミをみるとすぐ殺そうとする。人民軍も協力して、オオカミを退治する。巣穴の親子オオカミまで殺しつくす。

豊かだった草地が滅びていく。オオカミがいないのでウサギが繁栄する。草地はいっそう荒れる。場合によっては増えすぎて食料が足りなくなって、ウサギやモルモットが死滅する。飢えたオオカミは羊や馬を襲う。農民や人民軍が機関銃でオオカミを殲滅する。

こうして、内モンゴルの草原は中途半端な畑の廃墟と化します。食料を得られない農民たちはひたすら飢え、村を捨てます。牧草を失った現地人たちもまた飢える。中国の遠大な開発計画はこうして挫折するが、中央政府は決して失敗を認めない。

たぶん、いまでもこれが続いているんだと思います。


福知山から宮津湾、天橋立へ   () 天橋立、宮津湾から福知山へたどる丹波の山道。やがて京都丹後鉄道の運賃表示になんか見覚えのあるような地名が続きはじめる。
  ルートが逆でした。訂正。

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まず、大江山。そうか、このへんに鬼がいたのか。ただし駅名は「大江・・」が多いです。「大江山」というフルネームはあんがいない。ま、当然ですわな。山は山頂であって、その山の近辺は山ではない。あとで調べたら「山中に鬼たちが住み着いて、都へ出向いては人を食った」とある。ずいぶん遠出をしたものです。

むかし丹波の大江山 鬼どもおおく籠りいて 都に出ては人を食い かねや宝を盗みゆく」と唱歌にもなってるから、ま、出かけたんでしょうね。どうせ食べるなら都の人のうほが美味い。ヤボですが、金銀財宝を集めて鬼がどうしようっていうんでしょう。何か買うアテでもあったのか。

で、豪勇四天王をひきいる源頼光が、勇猛にバッタバッタと退治したような印象ですが(そもそも金太郎=坂田金時の華々しい出番はここしかないはず)、唱歌によると山伏に変装してしのびこみ、鬼たちを騙して毒酒を飲ませ、酔ったところを殺した。汚い。そういえばヤマタのオロチも同じような作戦でしたね。

よく知りませんが、なんかの能によると、酒呑童子たちはもともと比叡に住んでいたらしい。追い出されたんでしょうね。仕方なく山奥にひっこんで酒飲んでたら、汚い五人組に騙されて退治された。

で、話は違ってこの山道沿い、そのうち「元伊勢」とか「内宮」「外宮」などなど、尋常ではない地名が続く。窓からはけっこう大きな神社らしい建物も見えます。いったい何なのか。こんなところに昔は伊勢神社でもあったのか。

これも後で調べましたが、この大江町には「元伊勢内宮皇大神社」「元伊勢外宮豊受大神社」「天岩戸神社」がある。あわせて元伊勢三社。とくに皇大神社と豊受大神社は元内宮、元外宮ということになっているらしい。

昔、どうやら朝廷が大和のあたりから天照大神の神体をもってきたとき、その置き場所に困った。いい場所がなかったのか、地元が不穏だったのか、詳細は不明。とにかくそうした暫定置き場のひとつがこの大江山だったらしい。暫定といっても、それなりに豪勢な建物をつくって安置したわけなんでしょうね。

この元内宮、元外宮と天岩戸の関係もまた諸説ありそうですが、今回は調べきれませんでした。たしかタヂカラオが岩戸をぶんなげて、落ちたのが信州戸隠だったような記憶もあります。ずいぶん飛ばした。

ずいぶんといえば、日本三景です。宮島と天橋立はわりあい畿内にも近く、いい景色と噂されたのは理解できますが、でもなぜそこにポツンと松島が入ってしまったのか。都と陸前松島、ずいぶん距離があります。そんな遠隔地のニュースがよくまあ伝わってきた。それとも、この日本三景という考え方、実はかなり最近になってのノミネートなのか。

誰が言いだしたんですかね。あんがい、江戸期に入ってからだったりして。

Windows10にして1月たちました。

win10desktop.jpgうーん、思ったほど悪くはないですが、でもアップグレードして何が良かったかというと、なかなか思い当たらない。

ちなみに専用のブラウザ(Microsoft Edge)は速攻で外しました。Cortana(音声認識アシスタント)ももちろん使いません。システムフォントはなんか見えにくいので、Win7の頃のものに戻しました。microsoft accountはメリットが何もなさそうなので、登録していません。

そのほか、細々したプログラムやツールがたっぷりありますが、ぜーんぶ捨てています。必要ない。

要するに「Windows10にして便利になったなあ」が皆無なんです。インストールしたバージョンは1903。2019年春バージョンですね。秋にまた大きなアップデートがあるんでしょうけど、その付近になったらアップデート禁止(最大35日間) を心してセットしないといけません。

大規模アップデートだけではありません。月々の更新も少し怖いので、更新タイミングには決してうかつにダウンロードしないように用心。けっこう気をつかいます。

あと、不満なのはエクスプローラ関係ですね。ウィンドウのデザインとか、ファイルの見え方、並び方、ドラッグしたときのシャドーアイコンのサイズ(やたら大きい)などなど、細かい部分でイラッとする。

各プログラムの起動も、ほんの少しウェイトがかかる印象。総じて、必要がなければWindows10なんかにしなかったのに・・という感じです。ま、無料更新だからまだガマンできるけど。

ふんとに。


以前、五能線に乗ったときもそうでしたが、我々が進む後から雨風が追いかけてくる。あのときは海沿い電車が遅れに遅れて日も暮れて夕景を見ることもできず、ブツブツ文句いいながら到着したんですが、あと数時間遅かったら北進する暴風雨につかまっていた。

実際、五能線(土地の人によるとしょっちゅう遅れるから「ムノー線」だそうです。ひどい)の無人駅なんかでうっかり停車してしまったら、どうなったことやら。結果的には運が良かったんでしょうね。

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で、今回は城崎から天橋立、京都、長浜という旅でした。京都から琵琶湖沿いに湖北長浜へあがる途中がものすごい豪雨。

行く手にでかい積乱雲がたちはだかっているなあと思っているうちにモロに突入して、電車の窓の外にいきなり滝が流れた。川の中に突っ込んだようなものです。

で、長浜に近づいたらカラッとあがった。あはは。宿についてからテレビをつけたら但馬、京都、大坂、みーんな大騒ぎ。各地に大雨洪水警報とか。はい。お見舞い申し上げます。


城崎というのは志賀直哉でしか知りませんでしたが、町はけっこう風情あり。温泉観光組合ががんばっている雰囲気です。ペアの宿泊客がみんなペラペラの浴衣をきて、柳の水路の周辺をうろうしている。

そうそう。拾い物は天橋立です。股のぞきして何が面白いんだろと思っていましたが、下におりて長い砂州を歩いてみるとなかなかいいです。静かできれいな松林。波も静かだし。対岸まで歩いて、帰路は船にしましたが、喜んでエサやる人がいるから、無数のカモメが追いかけてくる。エサを指で持ってかかげると卑しいカメモどもが必死に追いすがって、食いついてきます。たまにトンビも来るらしく、こっちは危険なようです。指まで噛みついたりするらしい。

最後の宿は長浜で、ま、ここは秀吉ですね。たしか晩年の高台院(ネネさん)が「長浜のころは楽しかった」と述懐していた気がする。初めて十二万石とはいえ城持ちになったし、夫婦はまだ若かったし。意外なことに小谷城(浅井長政)もすぐ近くらしい。宿の土産になぜか「伊吹山の薬草の浴用材」をもらいました。はて、近いんでしょうか。

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泊まった翌日はいちおう彦根で途中下車して、城も見てきました。いわずとしれた井伊直政の居城ですが、途中の通りの店になぜか「大吉大万」のノレンもあった。意外。

井伊35万石の城下町で石田三成の旗印を見るとは思わなかった。

ちなみに三成の佐和山城は石垣やらなにから、ほとんどが彦根城に再生利用されたみたいで何も残っていないと聞きます。実は井伊直政、当座の間は佐和山城にいたけど、気色が悪いので新しく城を作らせたという説もある。

城の中の博物館には菅田将暉の色紙がかざってありました。そういえば菅田将暉、大河ドラマで井伊直政を演じたんだった。あのころの菅田クン、やたらコワモテの役をもらうことが多かったような気がします。高橋一生が秘書役で有名になったドラマでも、たしか菅田クンが鬼のような顔して喉声でけんめいにわめいていたような。

なかなか良い旅でしたが、うーん、ひたすら暑かった。家に帰って久しぶりに鏡をみたら、いやはや、これは赤鬼か猩々かという顔でした。赤く照り輝いている。

日本経済新聞出版社★★★
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夏の暑さのせいか、トシと老眼のせいか、とにかく本が読めない。今回も3週間かけてようやく最後のページまでたどりついた次第。他にも2冊借りてはいたけど、まったく手つかず。ダメですね。

さて、定番のトランプ本です。

少し前に読んだ「炎と怒り」が、善悪はともかく強烈なリダーシップのバノン(首席戦略官)の失脚あたりで終わっていたのに対し、こちらはもう少しあとのモラー特別検察官登場あたりまで。トランプ側の弁護士がモラーに探りをいろいろ入れたり、国務長官がこのところ意見の食い違いが目立っていたティラーソンからポンペオにかわったり。

書き手はボブ・ウッドワードなので、さすがに読みやすいです。きちんと頭に入る。(ちなみに「炎と怒り」のマイケル・ウォルフはまるでトップ屋ふうの文章でした。品がない。とっちらかっている)

で、内容は、そうですね。想像通り。トランプという男がいかにどうしようもないかということがわかる。幹部・側近の仕事の大部分は、大統領が軽率にバカをしないように気をくばり続けることです。政治や外交での失敗は、単に損するだけではすまない。それを大統領は理解していない。大変だ。

朝、執務室のテーブルに米韓自由貿易協定を破棄の大統領令が置いてある。こんなのにサインされたら大変々々と、側近はそーっと書類を盗みだします。通常なら大問題なのですが、トランプは書類がないことに気がつかない。完全に忘れる。で、数カ月たつとふと思い出して、大統領令を出すぞ!書類を用意しろ!とまたわめく。また誰かがその危険書類を捨てる。トランプは忘れる。

貿易赤字に対する固定観念はもう病気みたいです。赤字はいかん。赤字を避けるには関税を高くすればいい。非常にシンプル。閣僚や補佐官が、関税障壁はむしろ有害で国内企業が傷つくとどんなに説明しても理解できない。、

在韓米軍駐留がなぜ必要なのかも、ほんとうにわからない。韓国との関係とか地域安定がどう役に立つのかなんて考えない。とにかく金がかかるから引き上げろ!と言い出す。

金正恩とロケットマンうんぬんで口げんかのころには、駐留米軍の家族に退避を指示しようとした。正式命令ではなく、ツイッターでです。もし本当に家族引き上げ指示ツイッターが発信されたら、かなりの確率で金正恩は「次は直接攻撃か」と怯えたはずです。けっこうな確率で、やけっぱちの先制攻撃もありえた。

誰だったかな。幹部の一人のナントカ補佐官がガマンしきれず辞任を申し出る。わかった、仕方ない。で、後任は誰がいいと思う? うん、そうだなトムか。私もいいと思う。「この発表は金曜にと思うのですがいかがでしょう」 うん、そうだな。金曜に発表しよう。

で、そのナントカ補佐官が家に帰るころ、トランプがもうツイートしている。ジョンは辞任した。すばらしい男だった。次はトムになる。こっちはすごい奴だ。いい仕事ができるだろう。

ただしトランプには裏切ったという意識は皆無。金曜うんぬんなんて覚えていない。新任のトムにまだ話を通していないことも忘れている。トムも驚きますね。とにかく「自分が最初に発表」なんです。非常にいい気分。そういう人のようです。

そういう男が大統領の地位にいる。移民と関税障壁なしの貿易が大嫌い。会議とか枠組みも大嫌い。そして何回かゴルフをしてその「友人」と自称しているお人好しもいる。ん? お人好しではなく、百も承知なのかな。今回も売れ残りのトーモロコシ買って帰りましたが。


ようやく酷暑の夏も折り返しかな。昨夜は暑くも寒くもなく熟睡して、起きてから横目で時計を見たらあれれれ・・という時刻だった。ゆっくり眠れて仕事に行く必要もない朝というのは、ささやかながら幸せです。

正直、ここ数週はきつかった。毎朝は汗まみれで目覚め、日中も体がボーッとだるくて不快。えい!と覚悟を決めてエアコン入れれば一変するんですが、悲しいかな、どうも心苦しさが残る。昼間からエアコンなんで怠惰のきわみ。軟弱もの。可能なかぎりガマンできないのか。

高校三年、受験の夏を思い出します。二階の窓を通る風も熱風。暑かった。ひたすら呆然。脳がまったく働かない。もちろんエアコンなんて考えもできない田舎で、部屋にいると頭が溶けてくる。考えてみると、扇風機もなかったんだな。それはきつい。

少しは涼しいだろう井戸端に机を置いてみたり、タライの水に足をつっこんでみたり、庭の柿の木の陰に涼を求めたり(蚊がくる。虫がくる)。溶けかかった頭をなんとか冷やそうと必死。この夏休みに追い込みかけなければもう時間はないのに、ちっとも進まない。焦る。

都会のどこかには涼しい部屋で勉強している連中もいるんだな。ふと思ったりもしました。うん。きっといたんだろーな。先日も知人から「軽井沢で過ごしていたけど、寝苦しい夜は一回もなかった」とかいうメールをもらった。ふん。かるく殺意が生じます。

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調べてみたら自分の高校生当時、日本のエアコン普及率はせいぜい数パーセント程度です。まだ時代が早かったのか。では扇風機は・・と見ると、こっちもまだ家庭に複数台を所有するような時代じゃなかったようです。茶の間の片隅に立派で大きなのがデンと置いてあった時代。客がくるとご馳走ですとスイッチを入れた。で、扇風機はブンブン首をふって強い風をまきちらす。

別件ですが、せいぜい45度とか60度の狭い首振り角度ができる廉価な扇風機、どうして発売にならないんだろう。要するに個人用の設定ですね。現実には役に立たない風速メニューなんかばっかり充実で、メーカーの考え方がわかりません。ちなみに自室のパソコン近くに置いてある扇風機は、購入以来最弱の「ベビー風」しか使ったことがないです。

そうそう。狭い首振り角度ですが、高級機の中には可能なものもあるようです。本当はむしろ廉価機にほしい機能なんですけどね。

写真は山善の25cmサーキュレーター。台所用に買ったものですが、なかなか優秀。足の形もけっこう可愛いしね。最近は「Yamazen」が信頼のメーカーという感じになってきた。

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