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Windows10にしてから、いろいろ細かなトラブルが生じています。備忘録として、いちおうメモを残しておきますか。

(1) ノートPCから印刷ができなくなった。

事情があって(要するにネットワークプリンタがない)、デスクトップにUSBでつないだローカルプリンタを、無線LAN接続のノートPCでも使用しています。ようするに「プリンタの共有」ですね。

ごく単純な共有設定なんですが、ふとノートPCから印刷をかけると、できなくなっている。トラブルというより、どうもデスクトップとノートPCの間の接続が切れているらしい。考えてみると、こっちをWindows10にしてから初めての印刷トライだったみたい。

これは意外に苦労しました。ノートPCからネットワーク上のプリンタを指定してインストールする。デスクトップのほうでは自分のプリンタを共有にしてあげる。それだけでいいはずなんですが。でも、なぜかうまくいかない。

散々苦労して、なんと3日もかけて発見した結論。Windows10(あるいはどっかの時点のアップデート)で、ネットワーク共有の仕組みが変わっていた。たしか昔はホームグループとかなんとか「仲間うちネットワーク」と「外部ネットワーク」の2種類だったような気がします。ん、3種類だったかな。ま、いずれにいたしましても(これは某アベの口癖)その分類が変更になった。で、仲間レベルといっても少しきついセキュリティがデフォルトになったようです。

なんか説明がややこしいなあ。要するに以前の「仲間うちネットワーク」なら簡単にプリンタ接続できたのに、Windows10になったら関門が厳しくなって、IDとかPWとか通行証を要求する。IDとかPWなんて、すぐ調べられそうですが、実はあんがい大変です。簡単にはわからない。通らない。親切なマイクロソフトさんのお節介です。

ということで、デスクトップ側の設定をいちばんゆるゆるな「ごく親しい仲間うち」に設定変更しました。これで繋がったノートPCからはドキュメントもプリンタも丸見えです。心配性のMSとしてはこれじゃ不安なんでしょうが、でもとなりのノートPCを使っているのは家内です。用心したって仕方ない。

ほんと、Windows10というのは家庭ユースを考えているのか、ビジネスユースがメインなのか、どうもコンセプトがわかりません。商売っけたっぷりのMSアカウントとか子供っぽいタイル式メニューとか、あんまりビジネス用という気はしないんだけど。

(2) PDFが印刷ができなくなった。

PDFなんてふつうに印刷できるのが当然・・・と思っていたら、そうでもなかった。なぜかPDFが印刷できなくて困ったんですが、調べてみると(多少の偏見はありますが)あまり評判いいとは思えない例のMicrosoft Edgeが原因なんじゃないかな。このEdgeを使えばPDF印刷できるらしい。ま、MSとしては「とうぜんEdgeを使うでしょ」と考える。しかし我々は「とうぜんAdobeのAcrobat readerでしょ」と思う。たぶん、おそらくここに原因があった。そもそもこっちはMicrosoft Edgeなんて、メニューから削除しているのに。

細かいこともいろいろやりましたが、簡単にいうと「PDF印刷はAcrobatの仕事です」と設定しなおすことで、以後はすんなりいきました。ふんとに、MSが見当外れに余計なことするからいつもトラブルになる。
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Acrobatをデフォルトにしてからのプロパティ画面です





(3) Japanist2003とWordの相性?

大きな声ではいえません。使っているのはかなり古い年代物のWord。しかもカナ漢字変換はJapanist2003。どっちもとっくにサポート外なのは知っています。

それはともかく。たとえばキーボードから「しょーと」と打つと、「しょー」と「と」だけしか変換の対象にならない。「しょー」はそのまま勝手に確定してしまうわけです。拗音が問題なんだろうか。ちなみにエクセルは問題なし。エディタで下書きして、それをWORDにコピペすればいいんですけどね。面倒だなあ。

これはどこかのサイトに書かれていたとおりにやって解決しました。Wordの「ツール」→「オプション」→「編集と日本語入力」で「変換中の文字列を文書に挿入モードで入力する」のチェックを外す。なぜうまくいったのかは、しりません。

Windows10にしてから、ほんと、いろんなことが発生しています。その割りには「よかった」という点が思い当たらない。


そうそう、もう一点あった。firefoxをたちあげるといきなり別画面「サイドバー」が出てきて、これがしつこくてどうしても消せない。要するに画面が左右ふたつに分かれる。。かなり焦りました。Windows10の問題なのか、firefoxの問題なのかは不明。しかし1時間ほどバタバタ焦っていたら、なぜか元に戻った。理由は不明。こういうのは、気分がわるいですね。


先日は恒例の兄弟昼食会。たいてい10人とか12人くらいなのに、今年はなぜか総勢16人(うち元気な3歳児1名)と盛会でした。子供というか、甥姪世代がたくさん参加した。

六男一女のうち、長兄は20年ほど前に歿。まだ60台だったはずで、ちょっと早すぎた。年子だった次兄も今年の初夏に急逝しました。まだまだ元気と思ってたのですが、享年87。ん? 数えでいうと88か。どっちが正しいか、よく知りません。葬儀での表記は満だったような気もする。

ずっーと写真撮影と紙焼きは次兄の担当だったけど、もうそれもできなくなったので、仕方なく末弟の自分の担当。駅前のカメラ屋でプリントしたけど、けっこう高いなあ。ネット注文なんかだとL版が6円からとかえらく安いけど、そのかわり支払いや送付が面倒になる。なんせ、できる限りカードは使いたくないもんで。こんなこと言ってるともしかして昭和の方ですかなんて言われてしまう。

はい、昭和も戦後すぐの生まれです。カードとかナントカPayにはかなり抵抗があります。それでも先日はSuicaに思い切って5000円入れました。けっこう使えるし、家内の話ではけっこう割引があるらしい。

戦後。子供の頃は青洟たらして袖口ピカピカ光らしていました。学級には昼食時になると必ずいなくなる子もいました。みんな左手で弁当箱を隠して食べていました。中学に上がって国語や英語を読まされると、できるだけ棒読にするのがふつうでした。なめらかに読んだりしたら、悪口言われる。へたするといじめの標的にもなる。いやな時代です。

話がそれた。

ま、そういうわけで写真を整理して,まとめて、ようやく本日発送。やれやれ。

まったく関係ないですが、だんだん肉が食べられなくなってきた。サカナのほうが美味しいです。昨日は上野の博物館へ行くついで、池之端の伊豆榮で鰻。前より高くなったような気がします。いちばん安い「松」で3300円だったかな。仲居が「30円増しで肝吸いにできますよ」というので頼んだら、どうも330円の聞き違いだった模様。どうりで。ま、いいけど。

そうそう。上野公園はどんどん中国の人が多くなっていますね。歩いていると聞こえてくる。かんじんの東博の「正倉院の世界」展は期待外れでした。1700円。ま、秋晴れの空気の中で散歩という意味では楽しかったですが。

河出書房新社 ★★★
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閻連科(えんれんか)は「炸裂志」「父を想う」「愉楽」などを既読。この「黒い豚の毛・・・」はかなり早期から最近までの短篇を収録したものです。

表題の短篇「黒い豚の毛、白い豚の毛」とは、クジをひかせるために用意した毛です。黒い毛ならアタリで白ならハズレ、だったかな。景品はなにかというと、自動車事故で人を轢いてしまった鎮長さんの身代わりになる権利。「鎮」というのは、県より少し小さい都市だったかな。たぶん人口1万とか2万程度の町長です。

中国、タテマエとしては公正な法国家ですが、だからといって権力者の町長さんを監獄にぶちこむわけにはいかない。誰かが身代わりになって、ま、(楽観的には)半月とか数カ月お勤めをしなければいけないわけです。で、その身代わり、出獄の暁にはたぶん出世が待っている、はず。

そういうわけで、村のうだつのあがらない貧乏で気弱な男が身代わりにに応募する。30歳近くなってまだ嫁がこないというのは、非常に肩身がせまいわけです。けんめいに嫁を募集するけど「あんな奴!」と若い娘には愛想つかされている。

で、同じような連中が何人かいて、みんなで豚の毛のクジをひく。なんで豚の毛かというと、身代わり話を鎮長から受けてもってきたのが(村では権力者の)肉屋。いましも何頭もの豚を処理している最中で、面倒だからこの毛を使え!と白黒の毛を提供した。この肉屋にとって、こんな話はどうでもいい些細なテーマなんですね。

で、想像されたことですが結末はかなり哀しいことになります。

同じように気弱な村人テーマでは「きぬた三発」という短編もあった。ぶいぶい言ってるジャイアンみたいな大男を、みんなにバカにされている寝取られ男が「きぬた」でぶんなぐるという話です。ちなみに寝取っているのはそのジャイアン男。これも哀しい。

短編集のテーマは大きく三つで、村の生活、軍の生活、ついでに信仰かな。閻連科という作家は貧困農民の立場に視点をおいた人で、けっこう珍しい書き手です。要するに、インテリではない。インテリでない・・・の点では莫言も似ていますが、もうちょっと洗練されているというか、神経がデリケート。莫言はガルガンチュア的なところがありますからね。

なかなかいい本でした。読み終えて、ちょっとしんみりする。


明治書院★★★
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借り出してから気がつきましたが、楊逸は日本帰化のたしか芥川賞作家です。ただし受賞作は読んだことがない。えーと、ちょっとコミックな小説でナントカ頭というやつ、獅子頭だったかな、そういう名前の料理をつくる料理人の話は読んだことがあります。独特の味があってけっこう面白かった。

というわけで、表題作も聊斎志異の飄々とした解題です。楊逸が選んだ編についてエッセーふうに述べ、蒲松齢の原文は黒田真美子という人が現代語に翻訳。楽しく読みました。

深夜、貧乏な書生とか受験生のもとに美女が訪れる。たいていキツネとか幽霊とかなんですが、でもなぜ、よりによってその書生が選ばれたのかは不明。で、いい仲になって、金品を得たり合格したり、いろいろあってキツネは消える。そういう話がひじょうに多いです。(そうそう。日本の幽霊は足がないから美女になれないという説も述べられています。牡丹灯籠のお露さんは例外なのかな。)

で、太宰の清貧譚でしたか、菊の精の姉弟の話。太宰のも悪くなかった記憶があるのですが、この本の翻訳のほうがなんか楽しめるような気がしました。うまく訳すと蒲松齢もいいんですね。

そもそも 円朝の落語のほうが中国の小説「牡丹燈記」の翻案だったらしい。だから足があった。なるほど。


八坂書房★★★
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常一ついででもう一冊。こっちは「宿、泊まる場所」の歴史的考察です。

はるか昔から現代まで、ずーっと日本の「一夜をすごす場所」について述べているんですが、すなおな感想として、旅って常に大変なんだなあと実感。それこそ「笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば・・」です。雨露をしのぐだけでも大変。ろくに食べず寝れずで歩き続ければ病気にもなる。行き倒れる。だいだい昔の日本人はとりわけ死を忌んだんで、旅人はまったく歓迎されなかった。疫病を運んでくるかもしれないし、場合によっては泥棒もするだろうし。よそ者。

都へ租庸調ですか、地方から食料もって上ってくるだけでも大変です。税をおさめて故郷へ帰るのはもっと難儀。政府が面倒みてくれるわけもない。旅は水盃、無事に帰ってこれる保証なんてなかった。道中、たくさん死んだし、たくさん失踪もした。

はるか時代を経てもずーっと事情は変わらず、旅は難儀なものでした。しかしその割りには、みんなよく旅をした。例の松尾芭蕉の一行なんてのも、なんとなく優雅な旅みたいな印象ですが、実体はなかなか大変だったらしい。所によっては泊めてももらえないし、食べるものにも苦労する。たぶん野宿もあったんでしょうね。いっぽうで絵とか落語とか特技もってあちこちフラフラしながら優雅に旅したケースもある。江戸時代なんかだと地方の目明しとか顔役博徒の家が狙い目だったらしい。

総じて庶民は旅が好きだった。あんがい宿賃は安かったようで、「一泊いくら」という合理的なスタイルが成立したのはかなり後期になってからのようです。基本は「こころばかりの謝礼」。たくさん払うか少しにするかはケースバイケース。

そうそう。本筋と関係ない挿話ですが、「言海」の大槻文彦は温泉が大好きだったらしい。どこそこの湯か気に入ると、30日でも40日でも滞在する。伊豆の下田なんて、静かで快適だってんで、3カ月以上も居続けた。泊り込んで、新鮮な魚をたべて(このへんは酒も灘から良いのが船で直接入った)、じっくりと大言海の校訂ができた。いい時代。

有名人ではあったものの当時の大槻センセイがどれだけ金持ちだったのか、それとも宿泊費が非常に安かったのか、けっこう微妙なところがあるようです。ちなみに大槻文彦は幕末の儒学者の三男。蘭学の大槻玄沢は祖父で、ついでですが玄沢は「解体新書」の杉田玄白・前野良沢の弟子です。こういう人たちの資力、現代の感覚ではなんとも見当がつかない


八坂書房 ★
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丹波の「元伊勢跡」の件。つい気になってこんな本を借り出してしまった。はい。宮本常一にしてはえらく難しいし、正直おもしろくもない内容です。ひたすら伊勢神社の歴史とナニヤカニヤを真面目に記述してある。人間が登場しないと、宮本常一さんの魅力も消えるんですね。

というわけでろくに読んでもいないんですが、たとえば「元伊勢外宮」。これは豊受大神社であって農耕神。早いころから日の神である天照大神と一緒になり、たぶん5世紀後半頃、雄略天皇の時に丹波国から遷宮したらしい。ただこれも一直線に「丹波」→「伊勢」というものでもなく、あちこちいろいろ寄り道した末に、最終的に伊勢に鎮座した。

で、こうした神体の移動はたぶん斎宮なんかが(名目上)仕切ったのかもしれない。もちろん女性だけが神体もって歩くのは無理なので、実際にはそうそうたる武将連中が周囲につきしたがった。しかもこの時代というのは、朝廷の勢力が大きく東へ波及した時代と重なる。

ちょっとマンガチックにいえば、斎宮が御神体を捧げ持ち、武将連中が(もちろん兵士をつれて)進軍する。まるでサッカーのスクラム突進です。スクラムの後から聖火をもった女性がついていく。ちなみに各地に神体を据えたということは、負けを認めた地元勢力からそれなりの土地の提供をうけたということですね。進駐軍。

こうしてスクラム突進で平坦になった後背地に、場所を選んで大きな基地を建設する。それがたぶん伊勢神宮。東国をにらむ拠点地なんでしょう、きっと。

ザッと読んで、この本の冒頭部分に書かれたこと、ま、そういう趣旨なんだろう・・と理解しました。正しい理解かどうかは保証できません。間違っていたら陳謝。それにしても読みにくかった。

ちなみに雄略天皇ってのは、ワカタケルとか彫られた鉄剣がそうです。獲加多支鹵大王。一応第21代天皇ということになっているそうです。ほとんど神話の時代ですね。


文藝春秋 ★★★
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副題は「プロ棋士が将棋を失くした一年間

先崎学という人は、たしか青森出身だったかな、小学生の頃から米長邦雄の内弟子で、林葉直子にとっては弟弟子という関係です。林葉直子といっても、もう知らない人が多くなってるかもしれません。べらぼうな将棋の天才。かつ美少女。棋士を引退して、まだ存命と思いますが、漫画の原作とかタロット占いとか。そんなことをやってたはずです。

で、先崎という棋士はたぶんすごい将棋の才能があった。ただ若い頃からちょっと遊びすぎの感じはあって、そのせいか思ったより伸びない。たしか棋士の写真を2枚並べて掲載された雑誌で、片方は「天才 羽生・・」とキャプション。しかし先崎のほうは「元天才?の先崎・・」とか書かれた。その夜は新宿で泣きながら呑みました、とか、初期のエッセイに書いていました。いい味の文章を書く人で、週刊誌にかなり長期の連載をもっていたはずです。

で、そんな世のなかを渡る巧者が、なぜかうつを発症。まったく知識のない「うつ病」ですが、これを「心の病」と思うのは大間違いで、完全に「脳の病気」らしい。というか、そもそも「うつ病」について書かれたものを読んだ記憶がない。

で、感想ブログなどを眺めてみると、そもそもうつ病だった当人が書いた本なんて非常に少ないらしい。たしかに闘病中に文章なんて書けるわけがない。治ってからも書きたい気分になることは少ないだろう。たまに「書くぞ!」という奇特な人がいて、だからといって本にしてくれる出版社があるとは限らない。ま、しませんわな。そういう理屈で、世の中に「うつ病」の正確な知識がひろまらない。今回は面白く一読し、かつ、うつとはこんな病気だったのかと勉強になりました。

ちなみに先崎九段の実兄は精神科医らしく、これは恵まれていた。慶応病院に紹介してもらって入院。看護師なんかも質がいいんでしょう(気のせいか美人が多い)。で、教授回診の際につい「治りますか」と聞いたら、自信タップリの笑顔で「ここは慶応病院です」と言われた。すごい安心感だったとか。笑えるけど納得のエピソードでした。


家でだけ使っている老眼鏡が傷だらけになり、さすがに見にくくなったので安物を新調。吉祥寺のZoffにて。妻も子供もいなかったので、さっさっと自分で選んで購入。後で趣味が悪いとか言われたってしらない。

カウンターにフレームを持っていくと、専用タブレットを差し出してデータを入れろという。手書き入力かな?と思ったけど、どうも違うようで、携帯なんかのメール入力と同じ方式ですね。入力箇所を指でまず指示して、五十音表から入れていく。名前、電話、生年月日・・・けっこう手間がかかる。

それにしても何故生年月日まで入れる必要があるんだと、後で気がついた。先方にとっては欲しいデータだろうけど、なぜ易々として教える必要があるのか。何も説明しないでいきなりタブレットを渡されたから、とまどってしまいました。

mousepad.jpgで、待ち合わせまで時間があったので、ヨドバシカメラへ。巨大店舗です。

ヨドバシカメラ地下のPCパーツ売り場をウロウロしていると、すぐ時間がたってしまいます。本当はロジクールの大型有線マウスを探していたんだけど、なし。

そもそもロジクールを探すので少数派。有線でさらに少数派。なんか、ずーっと少数派の道をたどってきたような気がする。富士通でCPUはモトローラの6809だったし、親指シフトだったし、ビデオカードはVLバスだったりVoodooを使ったり。知ってる人は知ってるかな。

リストレスト・パッドを買いました。手首が楽で、ひんやりフニャフニャしているやつです。高いものあったけど、バッファローで646円。いい買い物をした。

いままで使っていた20年もの(25年ものくらいかな)のリストレストには引退をお願いしました。腐りかかって、一部はもう陥没している古色蒼然です。お世話になりました。

文藝春秋★★★
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著者はオルドス生まれの文化人類学者。なぜか日本で勉強して、やがて帰化。オルドスってのは黄河が中流あたりで北に大きく湾曲しますが、その湾曲の内側あたり。今の区分からすると内モンゴルでしょうね。ちなみに長城の外側です。

この本のテーマはただひとつ。「中国史は王朝の連続ではない」「中国四千年の歴史なんて虚構」ということです。黄河流域に古い文明があったことは事実ですが、最近の研究ではこの他にもいくつかの文明が存在している。つまり黄河文明はワン・オブ・ゼムであって唯一絶対ではない。

だいたい中国という言葉もそんなに古いものじゃないようです。たぶん辛亥革命の以降。それまでは清とか明とかはあっても、中国なんてものは存在しなかった。外からするとシナとかチャイナとかいわれた場所。黄河中下流域のいわゆる中原にあった国家を、なんとなく(特に漢民族がこだわって)そう呼んでいる。

しかし漢民族の王朝が連綿として続いたと考えるのは無理です。虚構。そもそも漢民族なんてものは存在せず、強いていえば「漢字を使う人々」でしょうか。書き文字である漢字は共通ですが、たとえば広東と北京と、話し言葉はまったく違う。人種もたぶん異なる。でも漢字という共通項でまとめれば「漢民族」。とすると日本人なんかも、10%くらいは漢民族なのかもしれないです。

大昔の漢帝国を構成した漢人は、たぶん後漢末期、黄巾の乱あたりでほぼ絶滅したのかもしれません。少なくとも危機的に減少して、その後は他の人種に吸収されてしまった可能性もある。

中原あたりにあった王朝や国家は、南に逃げたり滅びたり、北の遊牧民国家にのっとられたり、また違う遊牧民が攻め込んだり。入れ代わり立ち代わりです。こうした動きを、中原地域だけに区切って眺めるから難しい。もっと視点を広くし「ユーラシア史」という観点から眺めるとまったく相貌がかわります。

もちろん中原にも国家はあった。しかしもっと大きな固まりが遊牧民国家です。スキタイとか匈奴とか、こっちはユーラシア大陸の各地に興亡し、移動し、拡大し、栄え、滅び、時折は中原をも支配した。こうしたユーラシア民族を文化的に低いとみるのは偏見です。農民と遊牧民では文化の尺度そのものが違う。

たとえば唐滅亡の後。漢民族である宋が統一したというのは中国式タテマエです。しかしちょっと全体を眺めると、実際の姿はキタイの遼、タングートの西夏、そして漢民族の宋。鼎立ですね。これを無理やり「宋が統一」ということにするのが中華史観で、中央以外はみーんな夷狄で考慮する必要はない。現実を直視したくなくて、必死に脳内武装したのが朱子学。このへんから動脈硬化が始まった。

著者によると漢人国家と遊牧民国家はまったく違う文化です。たとえば典型的な例が明でしょうか。せっかく可能性がありながら大艦隊を焼き捨て、内側に閉じこもってしまった。周囲の遊牧民国家を根拠なく蔑視し、自分だけ高く誇る。長城を築いて安心するのが漢人国家です。内向きの中央集権であり、専制国家。いまの中国もその延長上です。

対して遊牧民国家は外に開けています。常に移動する。宗教にも他民族にも寛容で、良いものはどんどん受け入れる。典型的なのは元ですね。ま、元を中国の国家といっていいかどうか、実際には大モンゴルの一部なんですけど。ちなみに遊牧民のトップは決して専制君主ではありません。一種の合議制。意外なことにあんがい平等で分権的なんです。

随、唐は完全に遊牧民国家でした。だから唐はあんなに拡大した。国境の概念があんまりなかったのかもしれない。また元は論外としても、清も巨大な版図です。清の皇帝は同時に、あんまり宣伝しなかったけど実はハーン(汗)でもあった。満州もモンゴルも西域もその先も、なんとなくのテリトリーだった。

したがって日本の学生が必死になって王朝変遷を丸暗記するのは滑稽。そう著者は言います。ラグビー場での攻防の様子を、たとえば固定した望遠鏡で眺めているようなものでしょうか。次から次へと望遠鏡の視野の中は入れ代わりますが、でもそれになんの意味があるのか。ずっーと五郎丸がいて、五郎丸が消えると次は外人選手で、それがリーチマイケルになった。でも望遠鏡から目を外してながめれば、何十人もの選手がただウロウロしているだけのことです。それが、中国視点からユーラシア視点への転換ということ。

ちなみにオルドス生まれの著者は、こうした中華思想、漢人中心の考え方がかなり嫌いなようです。ま、無理はないけど。


関係あるような、ないような。

以前読んだ中国の小説(というか体験記)。文革での下放で内モンゴルに行った青年とオオカミの本なんだけど、ここで大きなテーマのひとつになっているのが内モンゴル住民と開拓農民の確執でした。もちろん開拓民は権力がバックにあるから「正義」だし、内モンゴルの荒野を豊かな農地にしようと意欲をもって頑張っている。

で、現地の住民はそもそもが遊牧の民だから、何より大事なのは羊や馬。羊や馬は牧草を食べる。その牧草をせっせと食べるのが、ナントカいう名前のウサギとかモルモットの類。これは内モンゴル人の敵です。で、こうしたウサギなんかを好むのがオオカミ。

結果的にいうと、適切な数のオオカミは、現地牧畜民にとって味方なんですね。だからオオカミをあんまり敵対視しない。食べ物があればオオカミは悪さしません。

ところが中国から大挙してやってきた農民たちは、牧草地(彼らから見るとすごい無駄)をせっせと畑にしようと努力する。でもこのへんの表土は非常に薄くて、クワをいれるとすぐ乾燥してしまう。たちまち荒地になり、なかなか回復できない。おまけに農民はオオカミをみるとすぐ殺そうとする。人民軍も協力して、オオカミを退治する。巣穴の親子オオカミまで殺しつくす。

豊かだった草地が滅びていく。オオカミがいないのでウサギが繁栄する。草地はいっそう荒れる。場合によっては増えすぎて食料が足りなくなって、ウサギやモルモットが死滅する。飢えたオオカミは羊や馬を襲う。農民や人民軍が機関銃でオオカミを殲滅する。

こうして、内モンゴルの草原は中途半端な畑の廃墟と化します。食料を得られない農民たちはひたすら飢え、村を捨てます。牧草を失った現地人たちもまた飢える。中国の遠大な開発計画はこうして挫折するが、中央政府は決して失敗を認めない。

たぶん、いまでもこれが続いているんだと思います。


福知山から宮津湾、天橋立へ   (1) 天橋立、宮津湾から福知山へたどる丹波の山道。やがて京都丹後鉄道の運賃表示になんか見覚えのあるような地名が続きはじめる。
  1 ルートが逆でした。訂正。

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まず、大江山。そうか、このへんに鬼がいたのか。ただし駅名は「大江・・」が多いです。「大江山」というフルネームはあんがいない。ま、当然ですわな。山は山頂であって、その山の近辺は山ではない。あとで調べたら「山中に鬼たちが住み着いて、都へ出向いては人を食った」とある。ずいぶん遠出をしたものです。

むかし丹波の大江山 鬼どもおおく籠りいて 都に出ては人を食い かねや宝を盗みゆく」と唱歌にもなってるから、ま、出かけたんでしょうね。どうせ食べるなら都の人のうほが美味い。ヤボですが、金銀財宝を集めて鬼がどうしようっていうんでしょう。何か買うアテでもあったのか。(※注2)
で、豪勇四天王をひきいる源頼光が、勇猛にバッタバッタと退治したような印象ですが(そもそも金太郎=坂田金時の華々しい出番はここしかないはず)、唱歌によると山伏に変装してしのびこみ、鬼たちを騙して毒酒を飲ませ、酔ったところを殺した。汚い。そういえばヤマタのオロチも同じような作戦でしたね。

よく知りませんが、なんかの能によると、酒呑童子たちはもともと比叡に住んでいたらしい。追い出されたんでしょうね。仕方なく山奥にひっこんで酒飲んでたら、汚い五人組に騙されて退治された。

で、話は違ってこの山道沿い、そのうち「元伊勢」とか「内宮」「外宮」などなど、尋常ではない地名が続く。窓からはけっこう大きな神社らしい建物も見えます。いったい何なのか。こんなところに昔は伊勢神社でもあったのか。

これも後で調べましたが、この大江町には「元伊勢内宮皇大神社」「元伊勢外宮豊受大神社」「天岩戸神社」がある。あわせて元伊勢三社。とくに皇大神社と豊受大神社は元内宮、元外宮ということになっているらしい。

昔、どうやら朝廷が大和のあたりから天照大神の神体をもってきたとき、その置き場所に困った。いい場所がなかったのか、地元が不穏だったのか、詳細は不明。とにかくそうした暫定置き場のひとつがこの大江山だったらしい。暫定といっても、それなりに豪勢な建物をつくって安置したわけなんでしょうね。

この元内宮、元外宮と天岩戸の関係もまた諸説ありそうですが、今回は調べきれませんでした。たしかタヂカラオが岩戸をぶんなげて、落ちたのが信州戸隠だったような記憶もあります。ずいぶん飛ばした。

ずいぶんといえば、日本三景です。宮島と天橋立はわりあい畿内にも近く、いい景色と噂されたのは理解できますが、でもなぜそこにポツンと松島が入ってしまったのか。都と陸前松島、ずいぶん距離があります。そんな遠隔地のニュースがよくまあ伝わってきた。それとも、この日本三景という考え方、実はかなり最近になってのノミネートなのか。

誰が言いだしたんですかね。あんがい、江戸期に入ってからだったりして。


2 鬼が財宝つかって何をするかは疑問ですが、先日亡くなったアーシュラ.k.グインなんかのファンタジーでは、ドラゴンは宝石や黄金を珍重する。洞窟に選りすぐりの宝物を集め、その横で巨大なドラゴンはまどろむ。なんか宝石や黄金の冷え具合がいいらしいです。


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