まだ読了していない。巻9の内容は浦上のキリシタン強制移送と迫害。奥羽列藩同盟などなど。
この天皇の世紀という本、朝日新聞に連載されていたことだけは知っているが、さすがに読んではいない。大仏さんの名著という知識だけで過ぎていたが、十数年前、どういう事情だったか巻9を手にする機会があり、総督府の仙台入りと奥羽同盟成立のあたりを読んだ記憶がある。それ以来の再読。
長州の参謀・世良修蔵という人物、飾りものの公家さんを別にすると実質的にはこの男が会津征伐の新政府側責任者だったわけで、この人物の横暴・傲慢な性格が仙台藩の反発を招いて、必要もなかった奥羽同盟を成立させてしまった形になる。同格の薩摩の参謀が大山綱良。たしか西郷の乱の時の鹿児島県令じゃなかったかな。西郷が追い込まれた環境を醸成した責任者(というべきかどうか・・)の一人だったと思う。深くは知らないが、これもあまり好印象の人物ではない。
当初は奥州行きの責任者として指名される予定だった品川弥二郎(後日内務大臣にもなっている)が後で「それにしても世良とはひどい」と文句を言ったという。そういう品川も、この会津成敗は失敗の可能性大と見てミッションから逃げた雰囲気があり、要するに品川というのは要領が良かったんでしょうな。それで人格に問題ありとされた世良が張り切って、居丈高に仙台に乗り込んで、気ののらない大藩の尻を叩こうとして、逆に裸で惨殺されてしまった。いやしくも総督府の参謀を殺してしまってはもう後ろには引けない。その結果が、列藩同盟。会津の戦争。白虎隊。
前回読んだときは世良という品のない人物に猛烈な反感を抱いた。なんせ幼いころから白虎隊=善というイメージが焼きついていたし、世良という人間の行動は実に品性がない。女グセも悪い。妥協がない。理由なんかどうでもいいから、とにかく憎い会賊を殲滅する。そこを何とか・・とグチグチ言っている大藩の指導者なんててんからアホ扱いしている。それで、隠忍自重の末に、仙台藩の激派が爆発しての惨殺。
十何年かたって読み直してみると、やはり世良という人物に共感はしないが、しかし仙台、米沢、会津などなどの指導者たちも決して褒められたもんでもなかったんだな・・というのが新感想。ひたすら犠牲者ふうに思っていた会津もその中では様々な思惑が渦巻いていたようだし、大藩仙台にはまた政宗候以来の古色蒼然たるカビが生えていたのだろう。
筒袖姿でテキパキと(言葉を変えれば粗暴乱暴に)動く奇兵隊あがりの新感覚男と、礼儀と門地と誇りと外見で生きてきた旧時代の教養あふれる武士たちの対立。何十日会議をしても会津を攻めるか攻めないかも決められない形式集団と、問答無用・会賊殲滅と言い切る単純明解な人物の抗争。その間でフラフラするお公家さんの総督。たまたまそのキャラクターだったからトラブルになったというより、はやり根源は相いれない文化の差だったんだろうな。
展開次第では、ほかの途もゼロではなかったかもしれない。でも、かなりのパーセンテージで、やっぱり奥州戦争は必然だったんじゃないだろうか。新政府としては、何がどうであれ旧世界思想の巣である奥州を一度叩き潰す必要があったのだと思う。
今回は悪評高い世良修蔵という人物に、ほんの少しだが同情を感じてしまった。