河童と鼻

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晴れ

テーブルの上に投げてあったPR誌(化粧品や下着関係らしい)を気まぐれにパラパラめくっていたら、巻頭の風物詩のようなページに蝋梅(ろうばい)のことが書いてあった。蝋細工の梅みたいな花。あまり見る機会はないけどね。

で、芥川龍之介が蝋梅を愛していたという紹介があり、うんうんと頷きながら読み進むと、突如「河童や鼻を読んで芥川が苦手という人も、この蝋梅を愛する心を手がかりに彼の作品に分け入れば云々・・」という一文。ここで、ひっかかってしまった。あ、この引用、実文とはかなり違ってます。でもまあ、だいたいそういう趣旨。

蝋梅のことはどうでもいいんだけど、なぜ芥川で河童と鼻が出てくるんだろう。「河童」は歯車なんかにも通じる暗さと狂気、虚無を感じさせる作品(1927年改造。その年に芥川は自殺)だし「鼻」は巧緻をきわめた銀細工のような華やかなデビュー作。天と地、美女と野獣。根底では通じているかもしれないが少なくも見かけは対極の作品です。

ですから「初期の鼻や羅生門が苦手」とか「後期の河童や或阿呆の一生が苦手」というなら理解可能。あるいは「芥川って、とにかく苦手」というものわかります。でも、とにかく芥川が苦手な人が蝋梅を手がかりに芥川の何を読めば好きになれるというんだろ。俳句ですかね。芥川の俳句、もちろん悪くないんですけど、河童も鼻も嫌いな人が読んで感銘受けるようなもんじゃないでしょう。なんせ俳号は我鬼です。もちろんアフォリズムではないだろうし。まさかトロッコとか杜子春?

要するに、署名入りでこの文章を書いた人、物書きのプロと思うけど、実は芥川なんて読んだことがないんじゃないだろうか、という疑問を持ったわけです。インターネットかなんかで蝋梅を検索して、芥川の句がヒットしたから適当に拾って書いた。そんな気がしてなりません。なんか気分が納まらなくて「なんで河童と鼻を一緒にするんだ」とブツブツ言ったけど、もちろん忙しい妻は知らん顔をしていました。

書いた方、万々々が一、この駄文を読んでもし違うというなら、もちろん謝罪します。平謝りに陳謝します。所詮は解釈の問題だし。でもねー。あんまりチグハグなんだもの。

ほんと些細なことなのに、珍しく真面目に書いてしまった・・。失礼しました。