時々読みたくなって借りてしまう吉村昭です。
プリズンといえば、もちろん巣鴨プリズン。戦犯を収容した監獄(拘置所)ですね。現サンシャイン。A級戦犯を扱った本はいろいろ読んだ記憶がありますが、この本のように看守(警務官)を主人公にしたものは未見。テーマも時代も違うけど山田風太郎なんかが同種の本を書いていますか。
戦争に勝った側が負けた側を「正義」の名のもとに裁く。煎じ詰めれば戦争そもののが超極悪な集団犯罪なんですから、裁こうとすればいくらでも裁ける。矛盾の固まりです。小学生のころにフランキー堺の映画で「私は貝になりたい」をみたもんで、これに関してはやりきれない気持ちが強いです。
巣鴨の場合は、GHQの指令のもとに、日本人看守たちもカービン銃を持たされて監視にあたった。囚人(収容者)たちに「その銃でオレたちを撃つのか」と問われたとき、看守たちは返事のしようもない。絞首台を作らされた徴用者、執行の際に使った覆面をその夜に洗わされる収容者。陰惨です。
田島という教誨師が登場します。この人は死を前にした人に説教なんかしない。とにかく泣きます。号泣します。死骸を抱いて泣き叫びます。他になにができるというのか・・。そんな坊さんがいた。
ただ、占領軍が撤退してからの巣鴨プリズンは日本独特のナァナァの雰囲気で運営されていきます。戦犯をどう見るのか、どう裁くのか、あるいは名誉復権させるのか。そうした根本的な部分をそっくり抜きにして、ウヤムヤのうちに釈放してしまう。あるいは長期の「一時外出」を適用して実質的に束縛を解いてしまう。こうした姿勢がいまの不明瞭な靖国問題にまで禍根を残しているような気がします。