「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」若桑みどり

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quatro.jpg★★★ 集英社

あくまで一般論ですが、何かというとキリシタンが登場する時代小説はあまり好きではありません。ついでですが、たいした理由もなく少女が男装する小説や時代劇も好きではありません。無理が多すぎる・・と感じるからです。

そういえば先日読んだケン・フォレットの「大聖堂」続編でも、尼さんたちが男装してフランス戦線に紛れ込むというシーンがありました。百年戦争、クレシーの戦いの現場ですよ。無理いうなよ、と言いたくなります。

好きな作家ですが、山本周五郎にもありました。えーと、例の印旛沼の政治家の・・・田沼だ。タイトル忘れてしまった。トシとると記憶力がなくなるんです。あの小説の中でも田沼意次の愛妾かなんかが意味なく男装して、もちろん見破られてしまうとか。

これも連想がひどいですが、大昔のアメリカ小説や映画、跳ね上がり娘のジェーンが無理やり探検に付いてきて、もちろんワニに襲われる。あるいはゴリラにつかまる。あるいは足をくじいて歩けなくなる。少年読者(あるいは鑑賞者)にとって、こんな腹のたつパターンはありませんでした。

そうそう、悪者につかまって「娘を殺されなくなければ武器を手放せ」とか言われて。正義のヒーローはこういう場合、かならず武器を床に落とします。落としてどうなるんだ・・・と思うんですが、たいていナントカなって大団円。

脱線がひどすぎるなあ。ようするに人気取りを狙った下手な作家はすぐキリシタンを登場させる。大河ドラマでもありましたね。長崎丸山の芸妓が隠れキリシタンで奉行所の密偵で、おまけに竜馬に惚れて後藤象二郎ともナントカで、小舟に乗ってエゲレスに旅立つ。マカオあたりで身ぐるみ剥がれて売り飛ばされてなきゃいいんですが。

という具合に訳のわからないキリシタン事情。で、天正の頃のキリシタンはどうだったのか。なんで少年たちが使節として旅立ったのか。こんごらがった糸が解きあかされます。

イエズス会とフランシスコ会なんかが邪魔しあっていたという事情は想像ついてましたが、同じイエズス会士といってもスペイン人とイタリア人ではまた考え方が違う。要するに「国家をバックにして威圧するか」「人心に分け入って信者を増やすか」という違い。こんなに単純なもんでもないですが、ま、だいたいそうだったようです。

なんやかんや、人生いろいろあって、そこに九州大名の意図やら信長の意向やら秀吉の野望やら、ま、なんだかんだで少年使節たちは帰ってきてから酷い目にあう。

ややこしい時代を詳しく教えてくれる本でした。けっして読みやすい1冊ではありませんでしたが、読んで損はしなかった。これってかなりの絶賛ですね。