彰義隊を中心に据えた本はほとんどありません。いろんな小説にちょい出はするんでぼんやり輪郭はわかっても、何人くらいいてどうやって壊滅したかなどなど、なーんも知らないです。
「谷根千」の森まゆみさん、谷中・根津・千駄木といえば、ちょうど上野戦争の舞台です。興味をもっていろいろ聞き歩いたらしい。で、この本になった。
さして厚くもないので、ベッドサイドに置いて少しずつ読みました。パラパラ読むのにちょうどいい内容でした。
で、わかったこと。想像通り、彰義隊といっても玉石混淆、忠節の武士もいれば、なりゆきで加わったのもいる。逃げたのもいる。面白半分に参加したゴロツキ連中もいる。たいして切迫感もなく、だらだらしているうちに、急に戦争になってしまった。奮戦した局面もあったけど概ねは弱くて、地元の連中を総動員して築いた土嚢はなーんも役にたたないで、あっさり崩れた。
戦争が1日たらずで終わったので、スッキリ終了したらしいですね。時間がかかると「そうか、拙者も参加せねば・・」という武士たちが加わって、かなりもつれたかもしれない。そいう意味では西郷、大村の作戦勝ち。
意外だったのは当時の東叡山寛永寺の権威、力です。なんとなく現在のお寺のイメージがあるんで軽く見てしまいがちですが、当時は権威もあり、すごい資力もあった。
輪王寺宮(公現入道親王)ってのも、たかが坊主ではなかった。それこそ場合によっては次の天子にもなれる。司馬さんの小説にも出てきますが、風呂屋の主人が輪王寺宮を背負って逃げて、それを生涯の誉れにして家を傾けたという。ま、そういう人。なのにわざわざ「慶喜の助命、東征中止」を官軍に嘆願に行ったらケンもほろろに扱われて、それで周辺の坊主たちが一気に硬化。戦争の遠因になってとも書かれています。
ま、駿府にいた東征大総督(有栖川宮)としては、ここまで事態がきた段階で「東征中止を」と言われても困ったでしょうね。「空気の読めない親王さまには困るなあ」ということ。
とかなんとか。日中の短期戦で、おまけに大雨。だから火事もそれほど拡がらなかった(火を放ったのは彰義隊側らしい)。 あっというまに終わった戦争のあとは、住民は弁当もって見物に行ったり、火事場荒らしをしたり、場合によっては逃亡をかくまったり。だいたい想像通りです。
転がっていた官軍の死体は切り刻まれて酷い死にざまだったそうです。なんせ槍や刀で殺された。それに較べて彰義隊の死体は死因が銃なんできれい。ま、官軍連中、気がたってるんで、そのきれいな死体をさんざんナマスにしたケースも多かったとか。池に潜ってかくれていた彰義隊の生き残りなんかも、運悪く落ち武者狩りの官軍に見つかるとよってたかってなぶり殺しにあった。
結局、彰義隊が何人いたかは不明。わかるわけもない。そうそう。渋沢栄一の
そんなこんなで興味がわいて、渋沢栄一本(鹿島茂)を借りました。本って、こういう具合に芋づるたぐりになるんですね。