「中国の歴史 第5巻 動乱の群像」 陳舜臣

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:
★★ 平凡社

chuugokunorekishi3.jpg王莽の簒奪、赤眉の乱、光武帝による後漢の誕生。

前漢末は大変な時代だったようです。おそらく人口が3分の1くらいまで減った。減ったということは、みーんな要するに死んでしまったということですね。さすが中国。悽愴というか壮絶というか、無茶というか。「すべて王莽の責任」らしい。

光武帝(劉秀)ってのはかなりバランスのとれた人だったようです。王朝を起こすような人間、たいていは個性が強くてアクのある性格が多いはずですが、この光武帝はかなり例外的。また前漢と後漢、実質的には別王朝です。でも同じ劉の一族だったんで、ま、漢を後継したともいえる。

後漢の基本方針は軍縮だった。また奴隷解放も実施し、土地台帳整備も少し進めた。みんなそれなりに理由があったわけだけど、結果としては、ま、弱体な国家。前漢の最盛期にくらべると人口も少なく、武力もなく、一言でいうとかなり地味な王朝だったということです。

権力を皇帝に集中させたので、賢帝の間は非常にスムーズな運営が可能だった。ただし例によって宦官やら皇后やら皇太后やら外戚やらがはびこりだすと結果的に幼帝が続く。そういう力学になるみたいです。周囲の連中にとって、「成人の賢い皇子」より「幼くてアホな皇子」のほうが好ましい。好き勝手できるから。こうして世は乱れる。とはいっても200年くらい続いたんだから上出来かな。

かくして黄巾の乱。そして三国志の時代になります。

中国史、世の乱れの原因は「女衆の権勢と好悪」「外戚」「欲張り」「汚職」「宦官」「アホな皇帝」「高官の殺し合い」「謀叛」・・。ほかにもまだあるかな。とにかくナマの形の欲望の衝突の繰り返しです。困ったもんです。