「中国の歴史 清朝二百余年 / 斜陽と黎明」 陳舜臣

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★★ 平凡社

chuugokunorekishi5.jpg第12巻と13巻です。かなり飽きてますが、ここでシリーズは読み止めの予定なので、いちおう忘備録。ん、ほんとうは「備忘録」かな。

清が誕生してしばらくは明の残党が各地で活動します。有名なのは鄭芝龍ですね。でも要するに鄭芝龍ってのは、海賊というか海閥というか、さんざん騒いだ後で時勢を見て清に降伏します。それに納得しないで台湾に割拠したのが息子の鄭成功。台湾からオランダ人を追い出して鄭氏政権を樹立。いまでも中華民国では評価されてる人のようです。

清朝成立の後もしばらくの間、中国南部には怪しげな明の亡命政権のようなものが乱立したらしいです。大同一致すればいいのに例のパターンでそれぞれが「オレのほうが正統だぁ!」とアホみたいに争っていたから、あまり長続きしないで、清軍に滅ぼされてしまう。

このあたり、上手にやれば北方系の政権(清)、漢系の南方政権(明あるいは南明)という区分けができたかもしれない。惜しかった。いまの中国って、ちょっと巨大版図すぎるような気がしてならないんです。まるで旧ソ連みたいな感じ。チベットからウィグルからモンゴルから、無理やり抱合しているから問題が生じている。そうですね、南北朝の境界は長江あたりがいいでしょうか。漢字圏という点では共通で、文化や言語は違う二つの大国。

ま、余計なお世話ですか。人ごとだから勝手なこと言ってますが、民族と国境、なにが適正で合理的なのかなんて簡単に決められるはずがない。

読みすすむと清末はほんとうにゴタゴタ続きです。満州八旗は江戸字末期の馬にも乗れない旗本みたいなもんで完全弱体化してるし、なんといっても支配層の満州人口が少ない。阿片戦争あたりからは、ひたすら腹の立つような事態ばっかり。ほんとうに悲惨です。完全にコケあついかいで、ただただ食い物にされている。こうしたニュースを漏れ聞いた幕末の若者たちが亡国の危機感を抱いたのも当然でしょうね。

で、危機感を抱いた少数の若者たちが中心となって明治維新をなしとげ、自信を失った大人たちは渋々それに協力した。そして列強のやり方を強引かつ不器用に模倣して、なんとか尻馬に乗る。一流国の仲間になろうとあがき続けた。

農民はあいかわらず(実際には前よりもっと)苛めら、絞りとられ、徴兵され、でも従った。不思議な現象です。時代の「空気」ですかね。明治初期、失業した武士階級の反乱とか農民一揆はありましたが、それが共感を得て大規模クーデタにまで発展することがなかったんですから。

水戸のご老公が可愛がった朱舜水という文化人がいますが、当時あった亡命政権の皇帝にも謁見を許されて、それを誇りにしていた。そして鄭成功に「明復興を助けてくれ」と日本へ派遣された経緯らしい。ま、鎖国政策とってた幕府が行動を起こす可能性はゼロなんで、交渉しているうちに明の南方政権も滅亡して帰るところがなくなった。そういう事情らしいです。