歳をとると時間のたつのが速くなります。50過ぎると急な下り坂で、60過ぎるともう階段を転げ落ちるようなスピード。
あれ、あれ、あれ・・・と言ってるうちにもう日が暮れる。1週間がたち、1カ月が過ぎる。なんでですかね。
「ジャネの法則」というのがあるそうです。ごく荒っぽくいうと、時間の心理的な経過は、年齢に反比例する。50歳にとっての1年の長さは、5歳の1年の10分の1。5歳にとっての1年は人生の5分の1なのに、50歳にとっての1年は人生の50分の1。重みが違う。ま、そんな理屈かな。たぶん。
この理屈で10歳と50歳を比較。10歳の頃の長い長い夏休み(40日間)を実感したければ、50歳のオヤヂは200日、つまり7カ月近くの休暇をとらないといけない。
うーん、合ってるような気もするが、なんとなく納得できない。
で、先日読んだ福岡伸一さんの「動的平衡」では、この理由を「代謝の違い」と解釈していました。要するに歳をくうと反応がすべて遅くなる。感受性が鈍くなる。
たとえば完全に外界と遮断された暗室に閉じこもって寝ていると、外部の時間の流れを探知することができません。頼るものは自分の体内時計だけ。そんな部屋を用意して「24時間たったと思ったら部屋から出てきてください」と指示しておくと、おもむろに部屋から出てくるのは30時間とか40時間とか経過してから。とろカメになっている。おかしいなあ、そんなに長くいたのか。
逆にいうと、物理的な時計の24時間は、本人の体内時計ではまだ18時間とか16時間でしかない。時間の経過が思ったよりも速い。
ネズミの一生、ゾウの一生、時計で計測した生涯の長さは違いますが、それぞれの主観的な長さはどうだろう。インタビューしてみたら案外同じなのかもしれない。これは本川達雄さんの説か。ゾウもネズミもドッキンドッキンは何億回とか、なんか唄を作ってましたね。
それぞれ面白い理屈です。騙されたような正しいような。なるほど・・とは思うんですが、でもそれをすぐ忘れてしまうのも「歳」。特にこういう綱渡りみたいな論理の筋道は、ほんとに素早くニューロン結合から消え去ってしまいます。