★★★ 新潮文庫
少人数を相手の講演録をもとにした幕末・明治初期の通史です。そのためか、非常に読みやすい。難しい言い回しも少ないし、表現が直截です。
書き手が半藤さんなので、当然のことながら薩長史観とは違った立場にいます。といって幕府サイドというわけでもない。どっちもどっち。幕府の全員が超無能だったわけではないけど、でも制度的には疲弊しきってどうしようもなくなっていた。
薩長の動きは基本的に反政府クーデタです。そもそもは別物だった攘夷思想と反幕思想がだんだん繋がっていって、それを弾圧されたため反発エネルギーが生まれる。そこに「大言壮語で飯を食う」評論家や思想家たちも増えるし、なん百年ぶりに発言権を得た貧乏公家連中がワイワイ騒ぐ。そしてテロリズム暴発です。
当初の開国・攘夷の対立に一橋vs紀州の継子問題がからんでややこしくなります。構図が単純ではなく、入り組んでいる。錯綜しているうちに単なる流行思想だった「勤皇」が具体的な「倒幕」に変貌。この時代、とにかく混乱していて、おまけに変化もして非常にややこしいです。
キーマンとなったのはやはり水戸のご老公でしょうか。最初のうちはとにかくこの人がすべての原因。そして孝明天皇の異人嫌い。後半はいろいろいますが、やはり岩倉の暗躍ですかね。切れ者の貧乏公家がのしあがっていく。
半藤さんは島津久光をある程度評価しているようです。少なくとも単純なアホではなかった。また勝海舟をかなり評価しています。人間的にはいろいろ言われてますが、苦労しながらよくやったよな。もちろん徳川慶喜はあまり好かん。
想像はしていましたが当時の「尊皇」というキーワードにはたいして深い意味はない。反幕・倒幕に都合のいい合い言葉であったけど、ただそれだけ。本気で「天皇のため」「王政復古」なんて考えていた維新の志士はいなかった。
幕府を倒せ!と戦ってきて、ひょうたんから駒で成功してしまうと、なんとか体制を作らないといけない。そこで出てきたのが「天皇親政」という枠組みですね。ま、それぐらいしか権威が残っていなかったこともありますが。
この本で初めて知ったのは岩倉・大久保たちが世界一周している間に西郷が何をしていたのかということでした。西郷は朝鮮出兵のことだけ考えていて、あとは遊んでいたような印象がありますがとんでもない。「留守中は何もしない」という視察団との約束なんて完全無視で、学制改革、徴兵令、地租改正などなど一気に断行したらしい。かなり乱暴に実行してしまった。
また明治10年までの間、政権中枢がコロコロ入れ代わったのは、要するに幹部連中の権力闘争そのものだったんですね。さんざんゴタゴタしたあげく最終的に大久保独裁体制ができあがり、それが西南戦争でようやく強固なものになった。
西郷という人、もし中枢にい続ければ毛沢東になったかもしれない。情の詩人にしてカリスマの軍人。幸いというか不幸というか、権力にしがみつく欲のない人だったから、鹿児島に隠遁して、タイミングよく強力鹿児島武士団といっしょに消えてくれた。
ただし権力把握に成功したと思ったら大久保もすぐ暗殺。要するに明治10年から11年にかけてバタバタっと木戸、西郷、大久保、維新の重鎮がいなくなった。動乱期の終了。ひと区切り。
あとに残ったのが伊藤博文と山縣有朋ですか。もうこの二人でもなんとかできる体制ができあがっていたんだなという印象です。ちなみに山縣は西南戦争の指揮系統の混乱経験から参謀本部制を作り上げた。つまり強固な統帥権の確立。それが後年の敗戦にまで繋がっていく。
またいそがしい西南戦争の真っ只中に台湾出兵もしています。ちょっと前まで征韓論なんてとんでもない!と言い張っていた連中が、実に簡単に台湾出兵、占領。要するに征韓論争そのものも、たいして深い理屈があったわけじゃないらしい。この台湾出兵、列強に想定外の文句つけられたんで政府はあわてて中止しようとしたみたいですが、現場の西郷従道はぜーんぶ無視してつッ走った。
この点でも後年の満州事変とまったく同じ構造。軍部独走。明治10年前後において新ニッポンの体質はもう決定づけられていた。