「新徴組」 佐藤賢一

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:
★★★ 新潮社

shinchogumi.jpg清河八郎が幕閣をだまくらかし、浪士をひきいて京に上り、大演説ぶってからまた江戸にぞろぞろ戻ったのは有名な話ですが、たいていの本では次に清河の暗殺でおしまいになります。残された連中、つまり新徴組がどうなったかまで述べた小説はほとんどない。

ま、たいしたことはやってないんだろう。すぐ解散になったのかな。

その後、庄内藩が面倒みたとは知りませんでした。実質的に藩の徒士扱いだったようです。おまけに例の薩摩藩邸焼き討ちにも庄内藩兵と一緒に新徴組が加わっている。また、隊伍を組んで江戸巡邏していた庄内藩士と新徴組が「お巡りさん」の語源だったとは。知らないことって多いです。

幕府瓦解の後、新徴組は江戸を引き上げて鶴岡へ同行します。そこで官軍と交戦。貧乏なはずの庄内藩ですが、例の豪商本間様から莫大な軍用金の献納があったので、スネルからスナイドル銃などガボガボ買えたそうです。

ふだんは経済感覚もなくて貧乏質素な庄内藩だけど、いざという時には本間家からの金をあてにできる。いってみれば本間銀行に貯金をしておいたような感覚。そのためにふだんから国内の流通経済はぜーんぶ本間家に丸投げでまかせていた。ほんとかどうか知れませんが、妙に説得力のある話でした。

で、最新装備の庄内軍は強かった。本拠地を守ろうなどとせず秋田(副総督の沢為量がいた)まで遠征して攻め込みます。かなり成功したんだけど、冬になる前に肝心の会津が落城。もちろんその前に列藩同盟はガタガタになってたんですが。最後の頼りの会津までが降伏したんじゃ万事休す。どうしようもありません。まだ南部あたりは細々残ってたみたいですが、実質的には庄内藩だけの単独抵抗の形になって、こりゃもうアカン。

というわけで庄内藩もついに降伏。思いの外、寛大に扱ってもらったようです。

歴史トリビアとしては面白かったんですが、なんせ書き手が佐藤賢一です。常にいい題材で書く作家と思いますが、ちょっと文体やキャラクタ設定のくどさが難ですね。何を書いても同じ雰囲気で「サトケン臭」になってしまう。