★★★ 講談社
西郷とか慶喜とかみんなが知ってるキーマンたちの行動ではなく、名もない庶民の視線から幕末の空気を見てみようということで、非常に成功してますね。
いわば上巻にあたる「幕末気分」の冒頭は「幕末の遊兵隊」。遊撃隊じゃないです。「遊兵隊」。
遊兵って何だ?というと、文字通りブラブラ遊んでる兵隊連中のこと。そもそもは武具御用のお役目をつとめている御家人たちが、青天の霹靂で14代将軍にしたがってぞろぞろと大阪へ出陣する羽目になった。
たしか200年以上も前の島原の乱以来、ずーっと天下太平で、まともな戦争なんてなかったですよね。急に「出陣じゃ!」と言われてさぞや驚いたでしょう。そうか、オレたちってサムライ、戦争専門職だったんだ。
しかし当人たちに「戦争専門職」という意識はまったくありません。公費で大阪出張させてもらえるのか・・程度の小役人感覚。だったら出張を存分に楽しませてもらいましょ。弥次さん、喜多八などなどニックネームで呼び合っている仲のいい数人(自称 業平組。なりひらぐみ です)、毎日のように連れ立って芝居を見たり、業者の接待を受けたり、喰ったり飲んだり。ちょっと可愛い娘でもいればちょっかい出したり転んだり立ったり。楽しい日々です。
いかにも江戸っ子ですね。物事を真剣に受け止めたり頑張ったりするのは野暮、田舎者。すべて軽く洒落のめして生きるのが粋というもの。楽しく気楽にすごそうじゃないか。
ただし楽しい日々にはだんだん暗雲がたちこめてきます。まず居心地のいい民間宿舎だったのが(さすがに経費がかかりすぎた)、「いろはに・・」の番号を振られて急造の兵営に引っ越しをさせられる。組織改革もやたら多くって、今まではろくに仕事もない武具奉行配下の同心だったのが、なんかよく分からない部署へ配属になる。
おまけに弓矢火縄銃じゃだめだということが判明して、軟弱な弥次さん、喜多さん連中まで重い銃を持たされて訓練を強要される。そんな生真面目なこと、やってらんねえやい。
「幕末気分」ではここで終わるんですが、この弥次喜多の後日談は「幕末伝説」(「幕末不戦派軍記」)に続きます。なんのかんのと要領よく立ち回っていたこの弥次喜多連中も、最後は鳥羽伏見の戦争に直面。もちろん真剣に戦ったりはしません。とにかく逃げる、泣く、わめく。そして最後はどうなったのか・・・たぶんツテを利用して江戸帰還の舟になんとか潜り込んだ可能性が高いですね。真面目に東海道を歩いて帰ったとは思えない。
ま、御家人でもそうなんですから、まして関東近在の百姓を急募して作った幕府「歩兵隊」の質がどうだったか、想像するまでもないです。そもそも、質のいい百姓は兵隊に応募しません。無理やり割り当てられたら、ふつうは村のやっかい者を提出しますわな。あるいは流れ者、やくざもの。腐ったリンゴ、固いリンゴ、美味しいリンゴ、ゴチャ混ぜにして銃を与えて即席訓練してできあがったのが歩兵隊。
だから歩兵連中が花の吉原へ突撃する(「吉原歩兵騒乱記」)という破天荒な騒ぎもおきる。たぶんなんか吉原で無理無体をしたんでしょう、歩兵が数人、用心棒に殺された。こうなると歩兵も仲間意識は強いです。憤激して、堂々と隊伍を組んで吉原の大門を破り、縦横無尽に暴れ回った。「建物はどんどん壊せ。ただしなるべく人は殺すな」という指令が幹部から出ていたそうです。たちの悪いのが武器を持ってるんだから始末におえない。
世も末・・と言いたくなりますが、実際、世も末だったんでしょうね。
その他、妖怪・鳥居耀蔵のその後が紹介されていたり(明治になってもまだ生きていた)、江戸を荒し回った根拠地・薩摩三田屋敷の詳しい解説があったり、へえーということが多かったです。
そうそう。備前藩兵士が領事館(の旗)に発砲した神戸事件、出来立ての新政府にとっては真っ青になる大事件だったわけですが、実はこれが開国政策への方針転換のいい口実(言い訳)になったという著者の解釈。ちょっと目からウロコが落ちました。前々から、攘夷々々と言ってた新政府が、どういうカラクリで大方針転換を周囲に納得させたんだろうと疑問だったので。
注記
知ってる人にとっては余計なお世話ですが、「御家人」というのは幕府の直参、いちおうは広義の旗本に含まれます。つまり将軍に拝謁する資格のない下級旗本ですね。
ただし「旗本」も狭義では御目見得資格のある直参のことを指し、呼称は「殿様」です。もう大名とあまり差がない。「大名」と「旗本」の差はもらっている祿高。1万石以上が大名ということになっています。