「シベリアの旅」コリン・サブロン

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siberiaheno.jpg★★ 共同通信社

ソ連時代にも旅したことのある英国の旅行作家が、あらためてウラルから太平洋までシベリア鉄道で放浪します。放浪という表現もなんですが、何カ月もの時間をかけてうろうろしてるんですから、ま、放浪ですわな。ほとんど経済壊滅状態だったエリツィン時代のようです。

読後感はひたすら悲しいです。悲惨。シベリアはいつだって過酷で悲惨な印象ですが、かろうじて保っていた共産主義大国の誇りと希望さえ失ってしまったシベリアには、もう何も残っていないようです。

工場は放置され盗まれて破壊、河川は汚染、農業は壊滅。システムが機能しない。真面目に仕事をしたって給料は払われません。食べるものがない。希望がない。ハイパーインフレで貯金は無意味になり、生活設計が崩壊する。貧困の中でキリスト教分離派や固有のラマ教が少し復活するものの、たいした力はない。なぜかまがい物のバプティスト教会が誕生したもします。途絶したはずのシャーマンが活動したりもしていますが、伝統がなくなっているのでかなり内容は怪しい。

国境地帯では中国の商人や出稼ぎ農民が精力的に進出してきています。ここで描かれる中国人は目ざとく活動的です。土地と資源とルーブルを求めて蟻かイナゴのように働く。対するロシア人たちは無力感にさいなまれ、何もしないでひたすらウォッカを飲んでいるだけ。

男性の平均寿命が50歳代だったかな。みんな酒をくらって早死にする。寒くて仕事がなくて希望がないと、人間はすぐ死んでしまうんですね

プーチンになって油田好調で、少しは改善されたんでしょうか。一部は豊かになったかもしれませんが、むしろ格差が広がったという報道も多いです。あんまり変化していないような気もする。

シベリアという信じられないような広大な土地。可能性だけはめいっぱいあるんですが、ロシア帝国もソ連も、今のロシア共和国もそれを上手に活用することができないでいる。無尽蔵に見えるタイガの針葉樹も、次から次へと採されてけっこう目減りしているようです。伐採したまま放置の材木がべらぼうに多いと何かで読んだ記憶もあります。(伐採の樹木、多く輸出されるのは日本です)

シベリア、なんか巨大な砂糖菓子のようなもんでしょうか。巨大すぎるんで、ここ数百年、いちばん外側の砂糖だけなめて過ごしてきた。外側の砂糖をなめるのも実は大変だったんですが、幸いなことに無尽蔵の囚人がいたので、それが可能だった。囚人というか、要するに奴隷ですね。労働力が足りなくなったら適当に逮捕すればいいんで、実に単価が安くすむし供給も簡単。そうした安易システムに安住してきたから、きちんとした開発の仕組みができていない。

無意味なんですが、つい想像してしまう。沿海州でもいいし南東シベリアでもいい、あるいはサハリン。適当な広さを日本に貸して国際特区にできたら素晴らしい。そこに日本から大量の資本と人員を持って行って、ようするに植民ですか。これって、戦前の満州構想そのものですが、もし双方が妥協できるようなきちんとした条約を締結できたら面白いですね。

日本に足りないのは土地と資源。シベリアに足りないのは資本とシステムと労働力。もちろん無理な話です。ロシアにもメンツがあるし選挙もある。いざ交渉となるとイザコザするのは当然。そもそも北方四島返還ですら難しいのが実情です。あっ、北方領土の場合は日本にも言い分というかメンツがあるんで更に難しいわけですけどね。「言い分」なんて言い方したら叱られるかな。

でも戦争はそもそも理不尽なんです。というか理不尽なことを暴力によって実現させてしまうのが戦争という手段。横車を通して占領してしまった領土を「理屈に合わないから返せ」と正義を主張しても、そもそも噛み合わない。平和時の交渉というのは、ま、利益供与でしょうか。「こんなに得な話だよ」と説得するしかない。形の上のWin Win。

味気ないですけどね。本音をいうと、1945年の8月、北海道が占領されなくてよかった・・・と思っています。恥ずかしながら浅田次郎の本を読んで初めて千島北端、占守島戦闘について知りました。ほんと、下手すると北海道の東半分はソ連領となった可能性があった。日本が分断統治とならなくて不幸中の幸いでした。