独眼竜政宗の再放送 第21回 修羅の母

関白は小田原攻めを開始。伊達家は抵抗か参陣かで揺れています。だいたい若手は徹底抗戦派、年寄り組は降参派ですね。別の表現をすると主君か御家か、政宗か伊達家かという選択です。

こうしたユラユラ・モヤモヤだけで45分。でもしっかり見応えがありました。役者さんが揃っていないと無理ですね。その前にしっかり書き込まれた脚本が必要か。最上へ相談にいったお東と義光だけの芝居でも10分くらいはあったんじゃないでしょうか。そう簡単に説得されたりはしないんです。

雪深い最上の屋敷内で小さな火鉢を間に原田芳雄と岩下志麻だけの演技、これが兄妹なのか、恋人同士なのかもわからなくなる濃密な空気。まるでこれから道行という雰囲気です。

設定として、あくまで母親は政宗を彼女なりに愛しているという点が素晴らしい。単純に憎みあっているわけじゃないんです。ま、母親としてはどっちかというと次男のほうが素直だし好いてはいるんですが。次男はもちろん可愛い。伊達家は大切。そこへ奸智の兄が蛇のように毒を吹き込む。だんだん修羅の道へ引きずりこまれていく岩下志摩。

dokuganryu2014.jpgたっぷり見せてくれた悲劇の前夜でした。うん、よかったよかった。


それにひきかえ・・

で、軍師官兵衛。うーん。こっちは言うてせんない話なんですが、悪口言いたくなってしまった。

題材はかなり魅力あるものなのに、惜しい。惜しいというより、イラッとしっぱなし。なんでなんだろ。

安国寺恵瓊に嘘をつかせ、隠居した吉川元春の元へズカズカと官兵衛がやってくる。こりゃありえない話です。嘘をついちゃいけない。非礼。元春も用心が足りない。

で、官兵衛が元春を説得(のつもりらしい)する。説得というより大声で恫喝に見えます。おまけに病のせいか元春がヨロッと転んだり。足の弱った主君の傍に近習や小姓はいないのか。そもそも家来はいるのか。

蜂須賀小六が死にます。臨終の床の周囲にはなぜか嫁にやった娘と嫁入り先の姑と官兵衛。長政もいたかな。とにかく黒田関係者が勢ぞろい。小六の奥さん兄弟縁戚子供などなどは何しているんだろう。おけまに秀吉までもが供も連れずに急にのしのしとやってきて、遺骸の上に仁王立ちして横っ面叩き。当時の秀吉はもう関白ですよね。関白殿下が臣下の屋敷へ御成りになるのに、先触れもない。

えーと、大坂城ですか。迷路のような廊下を長政の若い嫁がフラフラ歩いていて、開けっ放しの衣裳部屋(?)に闖入。それとも居室なのかな。侍女の案内なしというはずもないし、しっかりもの(のはずの)長政妻女まで一緒なのに。で、その部屋の主らしい若い女(茶々)にろくな挨拶もしない。

吉川元春が死にます。ここではさすがに身内が何人かいるようですが、なぜか異分子の官兵衛も偉そうに座っている。おまけに元春が息を引き取ると、ろくな挨拶もしないで冷たく立ち去る。

目上の人の前では「身を低くする」という礼儀常識が全体に欠如しているんでしょうか。上から睨みつけて、つばを飛ばして怒鳴ったら決闘でしょう。あるいは臣下の臨終の席に関白殿下が闖入してきたら(ありえないけど)、他の連中はとうぜん恐懼してスペースをつくり、平伏(せめて頭を下げるとかて)するのが自然でしょうね。しかし誰も動かずスペースがないので、秀吉は布団の端を踏みながら近づいていました。布団の上を歩いちゃいけません。

そういう演出をしたからといって経費がかかるわけではなし、単に演出がサボっているだけ。あるいは常識がないのか。敢えてやっているとも思えないし。

同じようなヘンテコリンは朝の連ドラでもしょっちゅうあります。というか最初から最後までヘンテコストーリーだけど、朝ドラはしょせん学芸会。そう思っているから(好かんけど)腹はたたない。

大河ドラマ。せっかくいい役者を使い、けっこうな予算も使っているはずだから、惜しい。「軍師」というなら九州攻めなんて諜報調略、官兵衛の腕の見せ所だと思うんですが、視聴者に見えたのは死にそうな吉川爺さんを挑発恫喝したことだけです。軍師が(恵瓊坊主もそうですが)戦いでもないのに座敷内でやたら鎧を着込んでいるのも不自然でたまりません。ユニフォームなんですかね。

もったいないなあ。

来年の松陰の妹が完全な青春群像ドラマになるのなら、それもよし。あるいはその次の真田丸がコミック味付けの歴史ドラマならそれもまたよし。なんにしろドラマの方針をきちっと定めてほしい。重厚演技なのに中身がカラッポという大河だけは困惑します。最近数年ずーっとそうですが、意味もなく主人公ヨイショ(ただしセリフだけ)という脚本はさすがに閉口です。