★★★ 英治出版
読みたいと思っていたポール・セローの本ですが、あいにく図書館には置いてない。かといって買うとなると3000円以上。躊躇していました。
ふと、図書館なら購入希望も出せるんじゃないかと気がつきました。小さな図書館ですが、不思議に特定系統のファンタジーだけが多く揃っている。これもたぶん熱心な人がせっせと希望を出しているからじゃないだろうか。ということで、ダメモト承知で「予約」を申請してみた次第です。でも、ま、無理だろうな。
意外。届きましたよと知らせが来ました。ただし新品ではありません。なんか図書館同士で融通しあうシステムがあるんですね。地の部分に都立図書館という蔵書印が押してありました。中辞典なみの厚さでずっしりと重く、1キロあるといわれても不思議ではない。えーと、696ページだそうです。
これを手にもって読んでいると、非常にくたびれます。負担がかからないように工夫していますが、それでも痛めた肩がまた痛みだした。はい。ここひと月ほど右肩にギックリが来てるんです。
で、途中まで読んだ「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」は中断です。こっちは購入本。あわてずゆっくり読めます。まずは借り出し本から優先ですね。実は他にも分厚いのを借りてるんで、急がないといけない。
さて。
60歳を超したポール・セロー親爺が思い立ってアフリカ縦断の旅。若いころ兵士になるのを拒否して平和部隊でウガンダへ行き、しばらく英語を教えていたらしい。やがて例のアミンが台頭してきたので、危険を察して隣国のマラウイへ逃げた。アミン、もう忘れられているかな。ゴリラ並みの巨体で、人食いの噂が絶えなかった恐怖の大統領です。で逃げたセローはマラウイで大学の教員をしていた。
ま、そういう時代があった。郷愁ですかね。誕生日をアフリカで迎えたくなった。できれば若い頃に去ったマラウイの大学でちょっと特別講座を開くとかできたら嬉しいな。そんな気分もあって、エジプトから南下を開始。
ただしこの人の旅は基本的に列車とバスです。飛行機には乗らない。交通網の整備されていないアフリカで列車とバスなので、内心、途中で死ぬことも覚悟していたらしい。可能性はかなりあったでしょうね。実際、オンボロトラックを銃撃されたり、ザンベジ河の流域を丸木船で下ったり、ハイエナのうろつく野外で寝たり、いつのたれ死にしても不思議はない。
ルートとしてはエジプト → スーダン → エチオピア → ケニア → ウガンダ → タンザニア → マラウイ → モザンピーク → ジンバブエ → 南アフリカ かな。たぶんこの道筋です。だいたい大陸の東側をたどった。
アフリカについて何も知らないことに気がつきました。たとえばエチオピアには海がない。あれ?と思いましたが、海岸寄りはエトルリアという国になっている。エチオピアから独立したんですね。えーと、1993年だそうです。海を失ったエチオピアは大打撃。 (※ 訂正 エリトリアです。エトルリアはイタリーだ)
エチオピアではラスタファリアニズムという言葉。これも知りませんでした。ジャマイカで発生した「アフリカ復帰運動」のようなものでしょうか。当時の皇帝ハイレ・セラシエを神・救世主として崇め、ジャマイカから移民してきた。ところが皇帝は殺されてしまうし、なんか訳のわからないことになってしまった。
ケニアではヘミングウェイをさんざん罵っています。大嫌い。アフリカを見ようとしないで、ただ大型の獣を殺すことだけしか考えていない傲慢なマッチョ白人。彼にとっての土民はすべて従順な従僕でしかない。セローは若いころからヘミングウェイを嫌っていたらしい。この本の中でも豪華サファリツアーで訪れる観光客を徹底的におちょくっています。
だいたいポール・セローが毛嫌いしているのは、まず宣教師たち。「モスキート・コースト」でも宣教師は天敵でしたね。宣教師だけでなく使命感をもって「貧しい人たちに奉仕しよう」とキリスト教団体からアフリカに派遣されてきた若い人たちもたくさんいる。たとえばある女の子は飢えた子供たちに食事を与える仕事をしている。親にまかせたら横取りされるから、面倒でも子供に直接食事させるしかない。しかし徒労感。因業なセロー親爺はこうしたピュアな(?)若者との聖書論争も辞さない。え?お前の食ってるものはモーゼが禁止しているぞ、どうするんだ。
もちろん彼らは善意のカタマリです。善意ということなら、どこでもかしこでも見かけるNPOや支援団体の連中も同じ。しかしこうした支援は本当にアフリカの役にたってきたのか。ボロ車しか走っていないアフリカで、ピカピカ光る白いランドクルーザを見かけたらそれは支援団体のクルマに決まっている。こうしたクルマに乗っているのは「支援貴族」。貴族だから、現地人や汚い格好のセローが乗せてくれと頼んでも冷たく拒否する。けっして目をあわさない。たぶん理由は臭いからとか、せびられるからでしょうね。現地民と親しくしたいとはまったく思っていない。
こうした「支援貴族」。たんなる自己満足ではないのか。施しという優越感で目が曇っていないのか。
皮肉なことに、現地の住民も決して支援団体を好いてはいないし、しっかり利用してやろうとは思っている。古着や中古品など西欧からの大量の(善意の)支援物資は、どういうわけか地元の業者が一括して安く買いつけ、あっというまに店に並ぶ。現地民はメイド・イン・チャイナの新品ではなく、そうした古着を買い込んで着る。これを着ていれば、白人のセローでも目立たないし、泥棒に狙われる確率もぐーんと減る。
なぜアフリカは豊かになれないのか。35年前、マラウイの大学で若いセローたちは「あと5年か10年たったらこの国も変わるだろうな」と夢をもっていた。しかし35年後、建物はむしろ荒廃し、図書館の本は盗まれ、職員住宅は荒れ、教員は薄給に苦しんでいる。なぜだ!とセローは怒り狂います。政府の補助が少ないから(要するに横取りされて)建物が痛むのは理解できる。しかしなぜ廊下がゴミだらけなのだ。なぜ庭の草は伸び放題なのか。それを片づけようとか、整理しようとする人間がなぜいないのか。
どこの国の風景だったか、マンゴーの木の話が出てきます。炎暑の平原、さして大きくもない1本のマンゴーの木がポツンと残っていて、その木陰にアフリカの男たちがひしめきあって涼んでいる(男が遊んでいるあいだ、女衆はよそで腰を曲げて作業にいそしんでいる)。でもなぜ1本なのだろう。種を植え木を育てようと思った人間はいないのだろうか。そうすれば何年か後には1本ではなく、マンゴーの涼しい林ができる。
ま、仮に酔狂な男がいて木を植えても、ちょっと伸びたらすぐ燃料として斬られてしまうんでしょうね。それを知っているから、誰も無駄なことはしない。
以前はそこそこ豊かだったのに急速に貧しくなったある国。理由は明白で、流通や経済を支配していたインド人を追い出したからです。中小の製造業、小売り店を経営していたインド人たちが独裁政府の方針変更で強制的に追い出され、アフリカ人が接収する。しかしあっというまにつぶれる。
「オレたち、インド人みたいなことはできないからな」が理由。インド人はいつも「イチ、ニー、サン・・」と勘定して商売している。オレたちがそんなケチくさいことできるか。こうしてかつての商店街はゴーストタウンと化す。
ジンバブエなんかが典型ですね。白人経営の大規模農場が次から次へとアフリカ人に占拠され、経営者が追い出される。あるいは殺される。そして農場を占拠して自分のテリトリーを杭でかこったアフリカ人は、なにもしない。政府が種を支給しない。高く買い取ってくれない。トラクターを貸してくれない。燃料を支給してくれない。援助がない。こうしてかつて外貨を稼いでいた大規模農場は、今ではその日暮らしの零細自作農の寄せ集めになってしまう。零細農家が作っているのは換金作物ではなく、じぶんたちが食べるだけのわずかな作物だけです。余った土地は荒廃したまま。
広大な土地を支配し、数多くのアフリカ人を(たぶん)こき使ってきた農場主が(不法とはいえ)追い出されるのは、ある意味、大きな流れかもしれない。問題はその後。土地を獲得したアフリカ人たちに意欲がない。向上心がない。仕事をしない。土地が荒れるにまかせている。常に「なにかしてくれること」だけ期待している。
国際支援がいけない。そうセローは思っています。貧しければ貧しいだけ同情をかえる。膨大な支援金が流れ込む。もちろんその大部分は政府閣僚がポケットにしまいこむ。住民も黙って座っていれば支援物資をもらえる。希望や意欲を持たず「もらう」ことに慣れてしまった人々はもうダメです。彼らが考えているのはなんとかして米国に行けないか。それだけ。米国に行けば楽に暮らせると思い込んでいる。
大きくなった都会はただ荒廃が広がるだけの場所で、いわばスラムの拡大です。むしろ田舎。もちろん何もない貧しい場所で、電気もない、井戸もない、耕作に向いた土地もない。しかし半世紀前に暮らしていたような、かつかつに貧しい生き方ならできる。実際、貧しいアフリカは半世紀前とまったく変わらない様相になっている。ただ違いは、あちこちにトラックの残骸とかプラスチックの残骸が転がっていることだけ。土とホコリと貧弱な木々だけだった土地に、あらたに「残骸」が増えた。それだけの相違。
列車の一等車の窓には貧民たちがむらがって物乞いをします。体の出っ張りほとんどゼロの痩せた少女。食べ物をあげようかと一瞬は迷ったものの、セローは拒否します。その少女は憎しみに満ちた目で、大きな石を何個も窓から列車に放り込みます。死んでしまえ。
いっそ50年前に戻ってもいいじゃないか。そんな考え方もできます。都会は捨てよう。文明がなんだ。電気もプラスチックのバケツも不要。支援団体に電動の汲み上げ井戸を作ってもらっても、やがて故障する。燃料がない。修理できない。結局もとのように手作りロープを使って牛皮のバケツで汲み上げる生活に戻ってしまう。それなら最初から牛皮バケツでいいじゃないか。そこから始めよう。
閣僚や高官たちが自分の子供たち(ほとんどは米国留学)に「アフリカに戻って仕事を続けろ」と言えるような国なら、まだ将来に希望がある。でも自分の子供たちは海外に居させておきながら、他人にだけ「アフリカに尽くしてください」と平気で言い続けていたら、その国に未来はない。
要するに、アフリカ人が自分たちで考え、自分たちで行動しない限り将来はない。これまではずっーと上から目線の押しつけと援助でした。ついでに武器供与なんかもありますね(これが最悪だけど)。こんなことを続けていても未来永劫ダメ。
という具合で、暗いお話です。セロー流に言うとアフリカは「暗黒星」ダーク・スター。でもなにしろセローなんで、滅入ったり、怒ったり、楽しんだり、恐怖におびえたり。ごく稀には快適な列車に乗って美味しい飯を楽しんだり。で満足して旅を終える寸前、一流ホテルで施錠して預けたバッグを盗まれる。実はあちこちで金細工や民芸品を買い溜めていたんです。身につけていた取材ノート以外はすべて消える。
いい本でした。
これで興味をもって調べてみたのが旅のルートとなった各国の貧困度。経産省の2014年資料で、2010年の1人当たりの名目GDPです。いまも大差はないでしょう、きっと。
・エジプト | (2,771ドル 中所得国) |
・スーダン | (1,642ドル 低所得国) |
・エチオピア | (364ドル 貧困国) |
・ケニア | (887ドル 貧困国) |
・ウガンダ | (503ドル 貧困国) |
・タンザニア | (542ドル 貧困国) |
・マラウイ | (354ドル 貧困国) |
・モザンピーク | (473ドル 貧困国) |
・ジンバブエ | (457ドル 貧困国) |
・南アフリカ | (7,100ドル 中進国) |
中所得国とか低所得国というのは、資料に書かれていたまま。こんな区分けになってるんですね。ちなみに2010年の日本は42,916ドルでした。