何をとち狂ったか、遅めの夏休み、黒部アルペンルートを行ってきました。
最初の日はゆっくり出発して松本の先、大町温泉郷で一泊。翌日は早く出立するのが賢明なんですが、そんなことは嫌だ。ゆっくり起きてゆっくり飯を食うぞ。で、山を越えて宇奈月温泉へ。この日はさすがに忙しかったですね。アルペンルートってのは乗り換えがやたら多いので、それぞれの待ち時間が計算できない。天気もよかったし、途中でゆっくりできればよかったんですが、とにかく先を急ぐばっかり。駅についたら、すぐ次の乗り物に並ぶ。
ま、結果論としてはなかなか面白かったです。ルートのいちばん高所は室堂でたしか2400mくらいあります。こんな山の中、よくまあルートを作った。
そうそう。翌日は宇奈月からトロッコ電車(これも意外に楽しめた)の放送で、なんか昔は加賀藩の役人たちが山の中を巡回していたとか言っていました。へぇーと、あとで調べてみたら「黒部奥山廻り御用」とかいうらしい。当時は裏立山とか北アルプスとか、みーんな地図では空白地帯。しかし他領の百姓連中が勝手に金目になる木を伐ったりするんで、それを防止する必要がある。
加賀藩のそうした職掌の家にたまたま生まれた下っぱ侍が、山廻りをしていたのかな。きっとどす黒く日焼けして健脚の侍たちがいたんだ。そう思ったんですが、実際は違ったようです。山の中を歩き回ったのは侍じゃなくて、山中の村の村役人。
Wikiには「十村分役の一つである山廻り役への加役または兼役」とありました。村役人が多少の祿をもらって、こうした山廻り役をしたんでしょうね。それでもレッキとした藩の御用ですから刀くらいは帯びていたかもしれない。そこそこ威張ってたんでしょう。きっと下役も何人かは連れていった。
江戸時代、草鞋がけで2000メートル級の山中を歩き回って、もちろん野宿もしたり、ルートの途中には粗末な差し掛け小屋をつくったり、虫に刺されたり、猪肉や岩魚や山菜の食事。もちろん御法度の盗伐集団を見つけたら逮捕、連行。楽しかったのか、辛かったのか。
そんな人たちがいたんですね。