「日露戦争史」半藤一利

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★★★ 平凡社

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全3巻。気にせず読み進みましたが、なんか馴染みがあるような気がする。念のために過去を検索してみたら、あらら、去年に読んでました。自分の記憶力に自信がなくなります。当時はまだ2巻組だったんだろうか。それとも3巻だけなかったとか。

ということで、1巻2巻のことはおいて、最後の第3巻。3巻は日本海海戦と講和が中心です。

やはりねえ。司馬さんの描いた数々の挿話とはだいぶ様相が違います。まず連合艦隊幹部たちは対馬ルートに自信を失っていた。どうも東郷も賛同していたらしい。それで「北へ移動しろ」という封密命令書を各艦にくばっておいて、何日何時に開封と告げてあった。

ギリギリだったんですね。明日は開封という段階でも誰だったか(第2艦隊の藤井?)だけが反対で、他はみんな北進論に傾いていたらしい。そこへ遅刻してきた島村速雄(舘ひろし)がもう少し様子を見ようと提案。これで雰囲気が少し変わった。で、うーんと迷った末に、東郷が「わかった、もう少し待つ」と決定した。

坂雲で描かれたように「来るっちゅうけん来る」というほどキッパリしたもんじゃなかった。バルチック艦隊がもう1日か2日遅かったら、連合艦隊は北へ移動していた可能性があったらしい。もしそうなったら、結果は大きく違っていたでしょうね、きっと。こういう事情だったから、坂雲のこのへんの説明もなんかスッキリしない形になったんでしょう。

また例の右腕グルリの東郷ターンもかなり疑問。最初の頃の資料では、参謀長の加藤友三郎が取舵を命令した。で「取舵にしました」と横の東郷に報告。東郷はウンとうなづいた。要するに最初から東郷と加藤の間では合意があったということらしいです。

ま、それでは東郷があまりカッコよくない・・・と誰かが考えたらしく、後になってあの荘厳な右腕グルリ神話が誕生した。

そうそう、もうひとつ。秋山参謀の「天気晴朗ナレドモ浪高シ」。どういう意図で付記したかはわかりませんが、実際には連合艦隊にとってあんまり歓迎すべき天候ではなかった。好条件なら「天気晴朗ニシテ浪高シ」のはず。やけに波が高いため、小さな駆逐艦なんかは沈没しそうな大騒ぎで、秋山が計画していた七段構えの最初のほうは実行不可能になったんだそうです。要するに駆逐艦なんかでバルチック艦隊の進路を邪魔したり、機雷を敷いたりという計画です。

そうやって乱しておいてから、おむむろに主力の戦艦で叩こうという予定だったのに、最初から主力同士の艦隊決戦になってしまった。困った天候だったんですね。

ただ実際には偶然のことから駆逐艦(鈴木貫太郎だったっけ)に進路を横切られたバルチック艦隊が勝手に右往左往して、団子状態になってしまった。非常にラッキーだった。

1巻からずーっと通して読むと、日露戦争ってのは非常にラッキーの連続だった。本当は負けてもいいような場面で、なぜか幸運が発動する。ロシアによくぞ勝った。冷静に考えると、あえて開戦に踏み切った当時の政府(陸海軍)の決定は合理的だった言えるのかどうか。いろいろ慎重に準備していたとはいえ、本質はヤケのヤンパチ、ヤブレカブレが、なぜか通用してしまった。

開戦と勝利は良いことだったのか、失敗だったのか、それは何とも言い難いような気もします。もう100年か200年くらいたたないと結論は出ない。