今回は「関ヶ原の後、政宗は百万石をもらえませんでした」という内容でした。したたかなはずの政宗なのに、喰えない家康の「百万石のお墨付き」を何故か信用してしまった。いい話ってのは信じたくなるものです。要するに「若いのう」ということなんでしょうね。35歳だったかな。たしかに若い。
考えてみれば政宗、ドサクサまぎれに上杉と和睦したり、南部にちょっかいかけたり、なんやかんやと悪巧みをいっぱいしています。そうそう、史実かどうかは知りませんが、珍しく頭を下げてきた最上の伯父さんをおちょくったり。因果応報、身から出た錆。家康に文句いえる筋合いもないんですが、人間みんな身勝手なもんですから、都合の悪いことはは忘れている。
家康としては、政宗みたいに信用できない奴に奥州百万石も与えたら怖くてしかたない。最初から頭ペコペコの加賀とは話が違います。ま、紙切れ一枚、難癖つけて破棄するのが妥当です。南部侵攻の訴えが起きたのは渡りに船。
そうそう。関ヶ原で東軍勝利の大ニュースも、遠い奥州にはすぐには伝わりません。けっこうな時間差があるわけですね。このタイムラグの感覚がなんともいえないです。神の目で天空から眺めていれば、何をやっとるんじゃということですが、当人たちは欲かいて必死であがいている。去年の八重の桜なんかでもそんな感じがありました。京大阪で大事件が起きていても、その同じ日の会津は平和で笑ったり食事したりしている。なんていったっけ、こづゆを食べたり。
どうも最近の大河は距離も時間も一瞬でワープしてしまう脚本が多いですね。だから現実感が薄れる。実際にはどこへ行くにも何日も何週間もかかるし、伝わってくる情報も半月遅れだっり不正確だったり。そういうあやふやの中で主人公たちは必死で考えたり動いたりしている。ときどきは間違った判断をする。間違った行動もとる。家康への弁解のため、南部侵攻の責任者の首を差し出しますが、実はその犠牲の意味はほぼ皆無だった。でも自害を決めた武将はそれが役にたつと信じて死んだ。
無駄な・・とも思うし、そういう食い違いがドラマなんだよなとも感じます。
そうそう。ちょっと前に「香の前」という側室、家臣の茂庭綱元に払い下げてからも密かに通っていたのかと思いましたが、実際には何人かの子供を生ませてから丸投げにしたという説もある。丸投げされた綱元がどう思ったかは不明。でもこの前後、綱元出奔という事件もあったようなので、そのへんとも絡みがあったのかどうか。はっきりしないようです。
出奔、多いですね。そういう時代でもあったんでしょうが、仕えづらい主君だったのかもしれません。伊達成実が出奔した。茂庭綱元も消えた。一門のイッセー尾形の出奔なんてのも、実は政宗が追い出したんじゃないかと思います。なんせ仙台あたりの城主だったはずなので、邪魔になったとか。
それはともかく。関ヶ原が終わって、伏見にいた正室、側室たちはホッとしていました。百万石もらえるんですってね、とニコニコ話をしていたら、それがダメになったらしい。おまけに 庶出の長男には本家を出てもらって別家を与えるとかなんとか、伏見留守居役の寺田農が急に言いだす。側室ねこ御前が「話が違う」と怒り狂っています。なんで寺田・定綱はそんなことを言ったんでしょ。普通に考えれば主君の内意をうけて、打診絡みで話したと受け止めるのが自然ですが。
この長男の宇和島伊達と仙台伊達、本藩支藩の関係なのか、独立しているのか、けっこうややこしいみたいです。金の貸し借りの問題であとあとトラブルになって仲が悪かったとWikiにありました。