今年書いた感想を見直してみると、★★★★評価はゼロでした。良い本に当たらなかったのか、それともこっちの感受性が鈍って新鮮な驚きがなくなったのか。
計70冊ほど書いてますが、実際に読んだのはザッと100冊強でしょうか。平均すると週に2冊。たいした量ではありません。老眼で長い読書が辛くなったのも原因のひとつでしょう。
で、★★★評価はたくさんあるんですが、これはサービス星3もあるし、本当は星4にしたいけど、ちょっと足りない・・というものもある。ということで記憶に残る★★★を拾ってみました。
ヴァスコ・ダ・ガマの「聖戦」
著者はナイジェル・クリフ。学校で習う歴史ではコロンブスの航海を重視するのが普通ですが、しかし実際の影響という面からするとむしろヴァスコ・ダ・ガマかもしれない。ガマはアフリカを南下し、喜望峰をまわってインド航路を開拓した人です。
ちなみにコロンブスのスポンサーはスペイン。ヴァスコ・ダ・ガマはポルトガルですね。スペインは西へ西へと拡張し、ポルドガルは基本的に東へ東へと勢力を伸ばした。教皇の仲介で両勢力のテリトリー境界を決めたりしていますね。
ひたすら香料と財宝を求めてヴァスコ・ダ・ガマは航路を開拓したと思いがちですが、実はプレスタージョンの発見という重大な使命もあった。プレスタージョンってのは例の「東方に英邁な主君がおさめるキリスト教国家がある」という神話です。当時の人はかなり真剣に思い込んでいたらしい。中東にはイスラムが居すわって東西流通を阻害されているんで、これをなんとか挟み打ちにできないか。強大なプレスタージョンと提携できればそれが可能になる。つまりは聖戦の一環。
インド沿岸の港はイスラム首長が権威を振るっていた。でも調べてみると偶像をまつった寺院のようなものもある。イスラムが偶像を嫌うという知識はあったので、こりゃキリスト教の寺院に違いない、プレスタージョンは近くにいる・・・と勝手に思い込んだらしい。もちろんヒンズー教の寺院です。
で、さんざん馬鹿にされた(イスラムからすればポルトガルなんて野蛮人です)連中は、いきなり大砲装備の船で港を砲撃する。ずいぶん乱暴ですが、これが十字軍の感覚です。交渉ってのはお金と知恵でするもんだと思い込んでいた平和ボケのイスラム首長たちは、あっというまに降参。
こうしてインド亜大陸とインドネシアの島々は簡単に征服される。ただしポルトガルの冒険家連中は質が悪くて人数も少なかったんで、結果的にインドは英国にのっとられましたが。むしろポルトガルのような小国がこの時期だけは体力も考えず、よくぞ世界に雄飛した。そう考えるべきかもしれません。
ま、そんなふうな本でした。たぶん。
ぼくたちが聖書について知りたかったこと
池澤夏樹が聖書学者にいろいろ聞いて書いた本、という形式です。
いろいろ知らないことがたくさん書いてありましたが、いちばん新鮮だったのは「古代ヘブライ語には「時制」がなかった」という事実です。これはびっくりした。
長ったらしい旧約聖書、ほんと矛盾だらけのゴッタ煮です。矛盾する記述がやたら多い。でも、それは我々が「時制」を当然として読んでいるからなんですね。誰が何をしたから子供の誰が何した。そういう因果関係で通常のストーリーは成立している。
しかし時制がないということは、そこには過去も現在も未来もない。すべての記述が並列なんです。そしてすべては神が語った言葉なので、それを分析したり、カードにしたり、一部分だけとりあげることはしない。ぜーんぶまとめてトータルが「聖書」です。おまけに古代ヘブライ語では「母音」を記さないので、どう読むかはかなり恣意的。したがって書かれた文字列に大きな意味はなくて、声に出して読まれたものに意味がある。
だから聖書やタルムードは、最初から最後まで声に出して読む。ぜーんぶ読んではじめて「聖書」。部分々々には意味がない。どう読むかは練習、暗記ですね。だから黒い帽子をたぶった髭の信者たちは頭を振り振り詠唱に励む。
そういうものであった聖書を、紀元前頃にギリシャ語訳する際、当然のことながら時制をつけて訳した。そのために矛盾がたくさん生じてしまったらしい。論理を無視した記述を、無理やり論理にあてはめてしまった・・・。なるほど、と理解できたような気もするし、やっぱり納得できないような気もします。難しいです。
中国鉄道大旅行
ここ数年気に入っているポール・セローの本です。鄧小平の改革が始まって数年後の中国旅行らしい。
その数年で中国は激動の変化をとげた。善良な人民たちの参詣で盛況だった毛沢東の生家は閑古鳥。もう誰も訪れない。名所旧跡はどんどん観光パーク化して、拡声器が大音響のミュージックをかなでる。けばけばしいプラスチックの施設が乱立する。人民服を捨てた人民たちが笑いながら押し寄せる。
ポール・セローってのは底意地の悪いオヤジなんで、お目付役人が見てほしくない場所ばっかり行きたがる。最新式の工場にはまったく興味がなく、さびれた人民公社の跡を訪問したがる。あえて毛沢東について聞いてみたりする。みんな口を濁して、いやー、もちろん英傑だったけど、晩年はちょっとね・・・と誤魔化します。大人になった元紅衛兵たちは「おかげで勉強の機会を逸した。損した」とブツクサ文句を言う。
たしか旅の最後にチベットを訪れています。アホ外人のふりしてるけど、しっかり事前勉強してるんですね。チベット語日常会話ハンドブックなんかで学習。そして汚くて臭い連中の中にどんどん入り込んでいく。
汚くて臭くて貧しくて笑顔で頑固なチベット人ですが、心を開かせる奥の手があったそうです。ひそかに数十枚持ち込んだダライ・ラマの写真。これをこっそり手渡すとチベット人の表情がガラリと変化する。
中国よ、行き過ぎるな!というのが最後のまとめだったように覚えています。躍進はいいんだけど、この国は歯止めなく行き過ぎる。ほどほど中庸ということを知らない。見ていてハラハラしてしまう。どこまで突っ走るつもりなんだ・・・。
海賊女王
皆川博子の小説。16世紀、実際にいたアイルランドの女海賊、グラニュエール・オマリのお話です。
アイルランドといっても西海岸。波濤荒く、たぶん岩と沼地だらけで貧困の地。作物作ったってどうしようもないので、このへんの氏族(クラン)は代々の海賊稼業が多い。もちろん海賊といてっも、いつも船を襲ってるわけじゃないです。襲撃して皆殺しってのは儲けも大きいですが、リスクもある。いつもやっていると子分の損傷が多すぎますわな。したがって平常は沖行く船から税金(通行料)をとるだけです。こっちの方が効率がいい。
たしか九鬼水軍なんかでは帆別銭(ほべちせん)といってたと思います。通行税であり、建前としては通行保護金。みかじめ料ですね。保護してやっからよ、銭を少し出せや。
で、だいたいは通行税を徴収し、たまに心得違いで遁走しようとする船がいると襲撃する。身代金のために捕虜にしたり、積み荷をぶんどったり。収奪品がたまると、国内はヤバいので、たいていスペインあたりで売りさばく。時々は折り合いがつかずに紛争もおきる。ま、ギャングですわな。
イングランドからすると重罪手配の海賊首領。アイルランドの連中からみれば地元のスーパーヒロイン。それがイングランド側の圧力に追い詰められて窮地におちいって手詰まり。最後は捨て身でロンドンまで請願に出向き、エリザベス女王に謁見をたまわった。これは史実らしいです。
エリザベスとグラニュエールがどんな内容の話をしたかは不明。常識的には「もう悪いことしません」と謝ったと思うんですが、許されて帰国してからもグラニュエールはブレることなく、相変わらず海賊業を続行。なんだか分かりませんが、けっこう痛快な話です。
そうそう。アイルランドへ侵攻したイングランド兵たち、無給だったらしいです。エリザベスはケチで有名ですが、ま、それだけでなく当時の常識でもあった。したがって兵士の糧食や給与はすべて現地収奪です。こういうシステムだったため、アイルランドの住民はイングランドに対して猛烈な敵愾心をもつ。ただ惜しむらく、スコットランドもそうでしたがアイルランドの連中もみんな独立心が高くて、要するに勝手気ままで統一戦線をつくれない。だからいつもイングランド兵にしてやられた。
逆に考えるとイングランドってのは、たぶんシステムとかルールとかを決めたら遵守する感性を持っていたんでしょうね。ゴルフにしてもテニスにしても、あんな訳わからないルールなのにゲームが成立している。個々のイングランド兵が特に豪勇だったとは思いませんが、でも集団戦に強かったとか。ま、勝手な想像です。
慶長・元和大津波奥州相馬戦記
近衛龍春です。同じ感じで南部とか毛利とか島津とか、いろいろ書いてますね。タイトルの「大津波」はほとんど意味なし。時代を見て出版社が無理やり付加したんでしょう、きっと。
で、主役は相馬の領主・相馬義胤。相馬ってのは、伊達政宗にとってはいつも目障りな場所です。勢力としては伊達の相手にもならない小さいものなんですが、それでも完全制圧しようとすると難しい。なんせ伊達は周囲が敵だらけ(政宗の不徳の至り)で、一方にかかりっきりになると、チャンスだ!てんで他が攻めてくる。
ずっーと目の上のタンコブ状態で、相馬は生き延びてきた。そし太閤小田原攻めへの参陣もおくれて、あわや改易という危機にも瀕する。要するに天下の情勢がわからない、東北の片田舎の小領主。戦争といっても昔ながらのパターンで、農閑期にちょっと戦って、田んぼが忙しくなると和睦のくりかえし。
そういう小領主ですが、なぜかギリギリのところでいつも所領を安堵してもらえた。たぶん理由は「伊達に対する楯の役目」だったらしい。小領ながらも兵は強く、馬は優良。伊達が中央に悪い心をおこしてもしばらくの間は楯になってくれるだろう。そういう役割を歴代の政権から与えられて、ずーっと長らえた。面白い回り合わせです。
朝鮮戦争
朝鮮戦争ものはいろいろ出版されていますが、これは児島襄のもの。史実うんぬんは知りませんが、読みやすく、理解しやすい朝鮮戦争記でした。
マッカーサーとトルーマンの対立とか、東京司令部にマッカーサーが神のごとく君臨していたとか、ま、このへんは知識の範囲でしたが、けっこう知らないことも多かった。
まず米軍が弛緩しきっていたこと。下っぱの兵卒はもちろん訓練不足で素人同然。もっと問題は将軍クラスの独善と情報不足でしょうね。みんな東京司令部の方ばっかり見ていて、現地を知ろうとしない。後半のエピソードですが「北朝鮮も韓国人と同じ言葉を話しているのか」と聞いた将軍までいた。いかにも無知独善のヤンキーです。
もうひとつは、朝鮮戦争が実質的に米国の戦争であったこと。当事者であるべき韓国軍はほとんど相手にしてもらえなかった。実際、韓国軍は統率もとれていなくてすぐ崩壊し、米軍にとってはお荷物のような感覚だったらしい。あちこちで韓国兵の戦車恐怖症エピソードが描かれています。北にはソ連からもらった優秀な戦車部隊があったけど、南に戦車部隊は皆無だった。そりゃ戦車は恐いです。経済インフラ、軍備などなど当時は圧倒的に北が強かった。
そういう貧弱な南朝鮮で、良くも悪しくもひとり頑張ったのがたぶん李承晩です。この人の存在(そもそもこの人の大統領就任は米国の責任)が韓国にとって、長い目でみて良かったのか悪かったのは微妙なところです。依怙地な反共主義者であり猛烈な反日論者であり、独裁者であり圧政者。少なくとも日本にとっては困った人が大統領になり、この人が強引に大韓民国を勝手に成立させてしまった。
米軍は中国が国境越えて参戦する可能性を過小評価していたようです。まさか来やしないだろうとタカをくくる。実際、毛沢東もかなり迷っていたらしい。そして現実に中国(義勇)軍と対面してからもその兵力をなめていた。所詮は劣悪装備で黄色いアジア人です。近代的装備で制空権を確保している米軍にとって、非常にイージーな戦争になる・・・はずだった。
マッカーサーの博打がラッキーに当たって仁川上陸。でも朝鮮北部の地形は山また山の連続みたいです。そんな狭隘な山道を米軍が堂々と能天気な隊伍をくんで進出していくと、夜中にチャルメラ鳴らして中国兵がおしよせる。殺しても殺してもウンカのごとく押し寄せる。空爆は地形のため効果があがらない。夜は冷え込んで氷と雪の世界。おまけに米本国では国民がこの戦争にあまり共感をもたない。
第二次大戦の帰還兵は英雄でした。でも朝鮮戦争の帰還兵にはだれも同情をもたない。あんなアジアの外れの山地で米国の子弟は何をしてるんだ・・・。泥沼のベトナム戦争の前駆ですね。
そして休戦。休戦交渉の当事者も米軍vs中朝軍です。韓国は蚊帳の外。この構図はいまも変わっていないようですね。もし北朝鮮が境界線を越えて南進してきたら、戦いの主導権を握るのはたぶん米軍。これじゃあんまりだ・・と韓国がクレームつけてたようですが、現在のところも依然「戦時の作戦統制権は米韓連合司令部」という形です。韓国にはとってかなりプライドを傷つけられる状況ですね。朝鮮戦争はまだ尾をひきづっている。というか、戦争はまだ形式的には継続中です。
ダーク・スター・サファリ
これもポール・セロー。どうも好きみたいです。
この本のポール・セローはもう60歳を超したオヤジ。人間、トシとると感傷的になるんでしょうね。若いころ教鞭をとっていたアフリカのどこか( どこだったっけ)を再訪したくなった。多少は有名作家なんだし、学校に頼み込めばたぶん臨時講義ぐらいはやらせてもらえるだろう。センチメンタルジャーニーです。
青年時代のセローはたしか徴兵忌避で、海外協力隊(みたいなもの)でアフリカのどこかに行った。どこだったっけ。人食い大統領で知られた国です。えーと、はい、平和部隊でウガンダです。大統領はアミン。アミンが大統領になったんで、あわてて隣国へ逃げ出した。
私事ですが海外協力隊でアフリカに行っていた知人がいます。酒飲みながら聞いた話では、ウガンダ国境に近い村なんかでアミンの悪口を言うとかなり危ない。夜中に連行されて、拷問されて喰われてしまう危険もある。真偽のほどは不明ですが、何人かは喰われたという噂がある。
ま、それはともかく。
エジプトから延々と苦しい鉄道の旅を続けてきたセローは、ようやくウガンダの隣国、懐かしの地マラウイへ。若い教師だった頃のセローは同僚たちと「あと10年もしたらこの国も豊かになる」と話し合っていました。きっとそうなる。そうに違いない。信じていた。しかし現実のマラウイはいっそう貧しい国になっていました。
セローは怒り狂います。これがセローのいいところで、シニカルな表面を装っているけど、実はけっこう熱い。熱いオヤジなんです。図書館の本が盗まれ、職員住宅の壁が破れている。これは理解できる。無能な政府が予算を配分しないからだ。しかしなぜ廊下にゴミがあふれているのか。なぜ庭に雑草が生い茂っているのか。なぜ誰も掃除をしないのか。
要するに、こうした貧困はアフリカ人自身のせいです。他に原因を求めてはいけない。だれかが援助してくれることだけ待ち続けて、自分たちはなにもしない。無為無策のまま援助物資で食べている。そんな民衆に希望なんてカケラもない。
善意の西欧が親切に援助の手を差し伸べてきたアフリカ。でもその援助がアフリカをダメにしているんじゃないだろうか。昔の河沿いの村は貧しくて、住民たちは手作りロープと牛皮のバケツで井戸から水を汲みあげていた。いままた訪れた同じ村には、錆ついた汲みあげモーターが転がり、トラックの残骸があり、切れたプラスチックのロープが捨ててある。そして住民たちは昔と同じように手作りロープと牛皮のバケツで井戸から水を汲みあげている。トラックはガソリンがないと動かない。モーターは修理できる人間がいない限り壊れたまま。
何も変わっていません。相変わらず土とホコリと貧弱な木々だけの村。ただ以前にはなかった残骸ゴミが余計に増えただけ。
ま、そんなふうな本です。そうそう。偉そうに演説しているセローですが、実はあちこちで良さそうな金細工とか土産物を買い込んでます。そういう意味ではふつうの人。で、旅の最後の南アでは一流ホテルに宿泊。やれやれと安心して施錠したバッグを預けて、レストランで美味い飯を食ったんですが、預けたバッグは消え去っていた。南アは文明国だったはずなのに・・・。残ったのはずっと身につけていた取材ノートだけ。取材ノートが残ってよかった。
アラブ500年史 上
ユージン・ローガンの上下本。ただし下巻はあまり楽しくありませんでした。上巻も楽しい本ではないですが、ま、下巻よりはマシ。
えーと、まず16世紀、マムルーク朝のエジプト軍がオスマントルコと対決。ここでエジプト軍は大敗します。これを契機にオスマン大帝国が誕生。以後のアラブ世界はオスマンの支配下で生き続けます。
マムルーク朝が隆盛を誇る前はどこだったんですかね。調べてみるとアラブ帝国ってのは、まずムハンマドの時代を経て拡大してウマイヤ朝。次がアッバース朝。他にもあるんですが、ま、次は大帝国とはいえませんがエジプト中心のマムルーク朝ですか。
で、マムルークを撃破してオスマントルコが大帝国となった。オスマンはアラブではないですが、一応はイスラムなので、なんとかアラブ世界も静かになった。しかし、やがてオスマンが西欧に浸食されはじめると、各地でアラブ民族主義が台頭。こういう見方でいいのかな。ちなみにアラブ人とは、概略アラブ語を話す人々です。
あるいは、台頭するのはアラブ民族主義なんて立派なものではなく、個々の氏族なのかもしれない。たいてい「ナニナニ家」という連中です。はっきりしませんが、たぶんムハンマドの系譜を継ぐ名家なんでしょうね。各地に勢力をひろげた一族、名家。そういう「一家」「氏族」が抗争しながらアラブ各地でテリトリーを拡げ、資産を蓄積する。そして第一次大戦後のアラブ分割では、各国の思惑でそれぞれバックアップしてもらった実力者が、国境線をひいたエリアの大統領や王様になる。
そんなふうに大きく眺めると、アラブ世界ってのは面白い。各国みんな親戚のようでもあり、ライバルでもあり、敵でもある。シーアとスンニという大きな違いもある。うまく利害が一致すると(OPECみたいに)団結して行動する。ときどき裏切るところもある。
イスラエルという国家は、最初からあったわけではないんですね。てっきり船に乗って「神の国家だあ」と乗り込んできたような印象でした。映画、栄光への脱出。実際には特定エリアへの植民計画だったそうです。パレスチナ地域に大量のユダヤ人を入植させて、だんだん入り交じらせる。しかし土地の購入とか接収とか、いろいろトラブルが発生する。暴力抗争が連続する。
そもそも無理な計画だったわけで、英国はイスラエルエリアを勝手に決めてしまいます。要するにパレスチナには泣いてもらいましょ、ということ。ただし全アラブがパレスチナに同情したわけでもなく、これを機会に残りのパレスチナ地区を自領にしようと策謀する王様もいたらしい。
でも国境線を勝手に引くなんてそもそもが無理筋で、さらに暴力とテロが連発する。草創期のイスラエルってのは、ほとんどテロ国家です。彼らに言わせれば自衛。生き残るために必死なわけで、あちこちで騒ぎを起こす。この頃の行動責任者たちが後で首相なんかになっています。
とどのつまり、結局薬局で英国は完全にサジを投げる。検討委員会にまかせて国境を決めた。何月何日。あとは勝手にしなさい。責任もたん。もう知らんもんねと宣言。
その実効当日、周囲のアラブ諸国がいっせいにイスラエルに攻め込む。「知らんものね」って言うんだから勝手にさせてもらいますわ、です。ところがイスラエルは長年の独立抗争で十分な戦力を養っていた。武器も大量に保持していた。アラブの連中はいかにもアラブらしく勝手バラバラ、統一なく作戦行動する。その結果はイスラエルの圧勝。圧勝したイスラエルはチャンスに乗じて一気に国境線を拡大する。
多少は違うかもしれませんが、だいだいこうした経緯なんだと思います。詳しく歴史経緯を知ると、パレスチナ問題を安易に解決する方策なんてあるわけがない。読めば読むほど暗澹たる気持ちになるだけです。