子供の頃にもっていた絵本はそう多くなかった。たしか桃太郎はあった。金銀珊瑚綾錦。車に積んで一行が凱旋する。キンギンサンゴアヤニシキ・・の語呂がよくて気に入ってしまった。語呂といえば、紫檀黒檀タガヤサン。とにかく高価な貴材らしい。こっちは祖母が教えてくれたのかな。
もう一冊、厚手の本でワイルドの「幸福な王子」もあったはず。町の広場に立つ幸せそうな金ピカ王子の銅像を、一羽のツバメが訪れてはいろいろ世界のお話をしてくれる。王子は自身を飾るルビーやら真珠やら体の金張りを、貧しい人々の元へ届けるようツバメに依頼する。
宝石を失い、輝きも失って最終的に「幸福な王子」は見すぼらしい銅像になり果ててしまう。見すぼらしい王子を見て町の人々は憤慨する。なんて貧乏ったらしい像だ。廃棄してしまえ。
なんでこんなことを思い出したのか。この絵本のエピソードの一つとして、真珠採りの話があったはずです。今にして思うとたとえばアラフラ海とか、真珠貝がたくさん棲息する海。耳や鼻に蝋をつめた白人奴隷が深く潜っては真珠貝を採ってくる。船の上には黒人の商人が待ち構えている。息も絶えだえの奴隷が船縁につかまって真珠をさしだすと「まだ、小さい」と海に突き戻す。
最後に奴隷は大きな真珠貝を採ってきます。真珠を取り出した商人はニヤリと笑って「これなら王子様の王冠にふさわしい・・」とつぶやく。手渡した奴隷は耳から血を流して死にます。鮮烈なシーンでした。
描かれた奴隷の肌が白く、船の上の商人(あるいは船頭、奴隷頭)が黒人であるのが不思議でした。奴隷=黒人と思いこんでいたわけです。子供心に変だなあと思ったことは他にも多くて、たとえば小学生になってからでしょうが、少年向け小説でクロマニヨンの少年がネアンデルタール人たちと戦うとか。同じ時代にいるわけないじゃないか。また、ハリウッド映画のクレオパトラが白い肌で金髪なのも違和感がありました。エジプトの女王なのに。映画会社の都合なんだろうと思っていました。
もちろん、すべて正しかった。古い時代、奴隷の多くは肌の白い連中だった。スレイブの語源はスラブ。クロマニヨンとネアンデルタールの時代は重なりあっていたし、クレオパトラはマケドニアの将軍の系譜。子供の思い込み知識です。こうした勘違いは多い。
それにしても「幸福な王子」と真珠採りのエピソードがどう繋がるのか。王子の王冠を飾る真珠がどうやって得られたかの説明とは、ストーリーの時系列が合わない。そんな事実を王子もツバメも知りようがないわけです。
ずーっと気になってはいました。そして、先日、ふと調べてみた。ひょっとしたらアンデルセンの「絵のない絵本」あたりに出てくる挿話だったのかな。それにしては、昼間のシーンをお月さまが見ているわけがないし。不審。
やはり「幸福な王子」に真珠採りの場面はありません。その代わり、同じワイルドの童話に「若い王」というのがあった。若い王をきらびやかに飾るために、どんな搾取や残虐の背景があったのか、そして事実を知った若い王がどんな行動をとったかというお話らしい。たぶん、ここに真珠採りの挿話がある。ちなみに真珠は王冠用ではなく、王錫を飾るもののようです。
うーん。可能性としては、子供の頃に読んだ「幸福な王子」は、いくつかの童話を盛り込んだものだったんでしょうね。ワイルド童話集とか。同じ本なので、記憶が混同されてしまった。でもそうすると「幸福な王子」は絵本ではなくて、ひょっとしたら挿絵が所々にある程度の児童書だったかもしれない。
貧弱な挿絵であっても、子供は心の中で勝手に彩色された絵を描きます。モノクロ画面で見た映画が、記憶の中でカラーになっているようなものでしょうか。記憶の再構成。不思議なものです。きっと今の自分が持っている「確かな記憶」なんて、90%以上は錯覚なのかもしれない。そうした錯覚記憶でもって自分は生きている。へんな感じです。