安岡章太郎を読んだのはいつの頃だったか。高校生の頃だったろうか。たぶん二等兵ものが中心だったんだろうな。ドジでいつも殴られている初年兵の話。あるいは病棟で、やはり古兵にどやされている話。はい、旧軍では病院入りしたって安心していられないんです。内務班とまったく同じで、あいかわらず殴られ続ける。
そんな軍隊時代のことや、その前の学生時代の話、古くは幕末志士たちの話(たしか祖父の兄弟かなんかがが天誅組メンバーだったような)、敗戦や原爆投下、戦後の学生運動や横井庄一さんの話、などなど。みんな重いテーマなんですが、なにしろ安岡章太郎だから軽い。いや、軽いという表現は正しくないですね。あえて重くしない。権威ありげに大上段に振りかぶって書くのが根っから嫌いなんでしょう、きっと。
こうあるべき!という進め方はしません。ボクはこう思ったんだけどな・・・という個人的なつぶやきだけ。それも難しい言葉は使わないし、世の進歩正義とされる意見にいつも同意しているわけでもない。
そうそう。たいしたことではないですが、明治の土佐自由民権運動。自由じゃ民権じゃ!と悲憤慷慨して騒いでいた論者たちは、冗談みたいですが実は楽しんでいたんじゃないだろうか。集まって激論交わして、飲んだ酒の量が平均すると一升二合(だったかな)。下戸もいるだろうから、一升五合くらいはあけたに違いない。ほとんどヘベレケ祭りです。土佐らしい。
これも本筋ではないですが、もうひとつ。戦争中の戦陣訓とか忠君愛国という合い言葉。戦陣訓は「生きて俘囚の辱めを受けず」が有名で、これによって多くの兵が無駄死にしたという定説になっていますが、安岡章太郎によると、兵隊時代にそんなの聞いたことも読んだこともない。というより、捕虜になったらまずいというのは日本人の常識だった。原隊復帰すれば自決させられても不思議ではないし、家に帰れても非国民。そこにわざわざ「戦陣訓」を引っ張りだす理由がわからない。
「忠君愛国」もそう。戦争末期、こんなことを言う人間はいなかった。使い古された常識的キャッチコピーであり、まったく新鮮味がなかった。
戦前の空気を味わったことのない文化人やジャーリズムが、むりやり理由としてこじつけてるんじゃないだろうか。これこれが原因だなんて、簡単に割りきれるもんじゃない・・ということでしょうね。たぶん、強いていうと時代の空気。そうそう「軍部」という言葉にも違和感があると書いていたような気がします。軍隊とか軍人は知ってるけど、軍部はしらない。軍部っていったい何なんだ。
戦後、野坂参三が帰国して「愛国民主戦線」とか言い出した。これにも違和感があったらしい。庶民の感覚では、延安から乗り込んできた野坂ってのは、GHQやソ連軍と同じで、要するに戦勝側の権威。自分たちの上に睥睨する偉い人なんだろうと受け止めた。そういう男が提唱する「愛国」の意味がわからない。いまさら何で愛国なんだ。日本を離れていたんで、感覚がボケてるんだろう、きっと。
どうでもいいですが野坂参三って、中国から凱旋したんですか。なんとなくソ連にいたと思い込んでいました。もちろん、名前だけで詳しいことは何も知りませんが。