「劔岳 点の記」新田次郎

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★★★ 文春文庫
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本棚に転がっていたもの。新田次郎も昔はけっこう読んだ記憶があるが、これはたぶん未読。

なるほど。劔岳=剣岳って、登ってはいけない山だったんですね。いわゆる立山信仰ですか。立山連峰のうち剣岳はとくに険しくて人が登ったという記録がない。立山曼荼羅では地獄の針山としてとらえられていたとか。

そういう山であっても地図作成のためには三角点を置かなくてはなりません。で、日露戦役の終わった頃、これまで空白だった立山周辺も5万分の1地図を作成することになり、参謀本部陸地測量部(当時は陸軍が測量していたんですね)が測量官を派遣。

なんせ陸軍はお役所なんで、こうした三角点設置も年度予算にあわせて1年で終える必要がある。ここは大変だから数年がかりで・・なんてことは陸軍のお偉いさん、絶対に許してくれません。実際に仕事をするほうは大変です。

ということで柴崎芳太郎という測量官がえらい苦労しながらあちこちに三角点を置き、現地の長次郎という案内人の協力を得て最大の難所である剣岳にも登攀。ところが頂上には朽ちた宝剣と錫杖が残されていた。ひょっとすると奈良時代あたり、修験者が残したものかもしれない・・・。

そうそう。「点の記」ってのは、要するに三角点を設置した経緯の記録なんですね。これを書き残し正式文書として提出しなければならない。公文書ですから、非常に坦々とした無味乾燥な代物ですが、たぶん新田次郎はこれを元にいろいろふくらませた。したがって小説に書かれたことは、一部の事実の他はほとんどがフィクションと思います。

そにれしても大変だ。ずーっと厳寒の雪の上でテント暮らしを続ける。ワラジに鉄鋲はめてアイゼン代わり。ストックの代わりに鳶口持って登る。えらいこっちゃ。