「江戸城の宮廷政治」山本博文

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★★★★ 読売新聞社
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戦国大名細川忠興と息子忠利の間の書簡研究です。

当時としては普通でしょうが筆まめだったんですね。おまけにしっか保存されていた。数千通とか記してありました。

まだ秀忠の時代で、参勤交代も明確な制度にはなっていません。しかし幕府のご機嫌をとるためは、身を低くして阿諛も必要。昔の感覚で「これでいいんだ!」と言ってたら福島正則とか肥後の加藤のように無理難題で潰される。他の大名が何かご機嫌とりをしたら、馬鹿馬鹿しくても真似しないわけにはいきません。鑓一筋の時代から、そういう交際と情報の時代になってきた。

つまり「宮廷政治」の時代です。

細川忠興は荒くれ大名ではあるものの、けっこう時代を見る目があって、幕閣の中枢に近い有力旗本との交際を大事にする。そこから情報を得る。幕府が何か言うのを待っていたら危ないんです。先取りしてご機嫌をとる必要もあるわけです。

しかし忠興が「この程度でいいだろう」と考えるよりも、息子の忠利はさらに細かく気をつかって幕閣とつきあいます。ちょっと卑屈すぎるんじゃないのと思われるほど。後半、忠利は細かすぎたというような批判もあったと記されています。気をつかいすぎて、そのせいではないだろうけど早死にした。

忠興は80歳すぎて大往生。死ぬまぎわに「戦国はよかった・・・」と述懐していたとか。生きにくい世の中になったなあ・・と思ったんでしょうね。こんな腐ったような平和は嫌いじゃ。

そうそう、黒田藩とは仲が悪かったらしく、いっぱい悪口書いてます。おべっか使いすぎだとか、ずるいとか、いろいろ。晩年の伊達政宗の悪酔いエピソードなんかも笑えます。

主要テーマではありませんが、島原の乱での攻城戦の模様は面白かったです。武将たちがどんなふうに原城を包囲して、どんなふうに陣を築いたか。竹束とか櫓、帆柱なんかつかった「仕寄」で少しずつ城に近づいていく。このへん、はじめて具体的な城攻めのイメージがつかめました。ほとんどの小説、このへんの詳細を書いたものって、ないんですよね。