「聖書の絵師」ブレンダ・リックマン・ヴァントリース

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★★★ 新潮社

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14世紀英国を舞台にした、ま、ラブロマンスです。タイトルから想像できるような、修道院の地味な挿絵職人の話ではありません。

英国の14世紀末というのは、百年戦争のまっただ中、バラ戦争が始まる少し前の時代です。ポワティエの戦いでフランスをやっつけた黒太子は王位を継ぐことなく死に、一代スキップして即位した息子のリチャード2世はまだ幼少。で、よくあるパターンですが叔父のジョン・オブ・ゴーントが権力をふるう。ジョン・オブ・ゴーントってのはランカスター公で、彼の子供がクーデタをおこしてランカスター朝の始祖となる。それがキッカケでやがてバラ戦争。

百年戦争がだらだら続いている時代なので、リチャード2世(実権者はジョン・オブ・ゴーント)は戦費の調達に苦しみます。仕方ないから税金を重くする。これじゃ食えない・・てんで農民は反乱をおこす。ワット・タイラーの乱です。

当時のカトリック教会は腐敗しきっていて、「アダムが耕しイブが紡いでいた時、だれがジェントリーだったか」などど平等思想を歌にして歩く説教師が人気をえる。おまけに法王庁はローマとアビニヨンに分裂している。

こうした教会の弱体化につけこんだ(?)ジョン・オブ・ゴーントは、聖書の英語訳をやってるジョン・ウィクリフを応援する。英語訳されると、庶民が聖書を読むことができて、聖職者の権威に疑問を持つ可能性がある。困ったことです。敵の敵は味方。ウィクリフは教会の敵なんで、これを応援することは間接的に教会の権威を弱めることになる。

ややこしい時代です。

無知な農民たちを教会が支配している中世ってのは、悲惨ですね。王権貴族の支配だけでも大変なのに、さらに教会が権威をふるう。十分の一税を収奪する。文句をいえばもちろん首吊るしに火あぶり。ついでに王権と教会はいがみあって、いがみあっているけど上層部では結託している。司教区を持てるのはたいてい有力貴族の子弟ですね。日本だったら親王がいきなり天台座主になるとか。

教会にとって、庶民はなるべく無知なほうがいい。庶民農民に知恵がついたら大問題です。伝統的にカトリック教会が信徒の「無知」をよしとするのは、そうした戦略があったんでしょうか。統率しやすいのは無知にして純な羊の群れ。ただ困ったことに庶民だけでなく、司祭連中もたいていは無知だった。ラテン語のお祈りを少し暗記していればそれで十分。資質的にも疑問符な連中が大部分だったらしい。

この小説に登場する悪役にノリッジ司教ヘンリー・ディスペンサーという男がいます。たまたま僧職についているけど、性格的には武人。小説の終わり頃、反乱勢力鎮圧のためこの司教が剣を帯びて出陣するシーンがあります。史実らしい。戦う司教。

こういう時代、亭主が死んでしまった小さな館の寡婦(女領主)はどんな立場か。ささやかながら領地があるので、周囲の貴族連中はなんとか自分のものにしようとあの手この手。教会の坊主どもも口実をみつけて喜捨をむしりとろうとする。女領主は頭が痛いです。おまけに土地を管理させている差配人がまったく信用できない。戦争中なんで、まともな男手がたりないんです。そうそう、王にはこうした寡婦の領地を召し上げる権利があったらしい。

そんな状況に、平民ながら男前の絵師とその愛娘が馬に乗ってやってくる。ロマンスの始まり始まり。

ロマンスそのものはたいして興味をひきませんが、時代背景は面白いです。かなり忠実。登場人物もその時代にふさわしい発想で行動し、次々と、実にあっさり死にます。


寡婦の領地を召し上げる

えーと、確証はありませんが、貴族の結婚は王の許可が必要です。勝手に閨閥を作って連携されるのは恐いですから。あえて言えば、王は臣下の結婚を勝手に決めることもできる。しかしこれを恣意的にやられては困るので、貴族たちは許可料を払ったり、宮廷で王のご機嫌をとったりしてある程度自由な結婚をします。

貴族の寡婦といっても、単なる奥方というケースと、その土地付きの女性(相続人) というケースがあります。相続権をもった女性なら、女伯爵ですね。たいていは息子が成人すると後を継がせますが、たまには子供がいないこともある。あるいは娘がその相続権を継ぐとか。そうなると、求婚者がむらがります。

タテマエとしては、貴族は王に対して武力で奉仕する義務があります。しかし寡婦にはそうした力がない。そういう理屈で、王は寡婦に対して「修道院に入って亭主の菩提をとむらったらどうだ」と勧告することもできる。ま、実際には王に一族の領地をとられたら困るんで、死んだ亭主や寡婦の親戚とか友人とかがナントカして妨害するでしょう。

王があんまり強引にやりすぎると、たいてい貴族連中は結束してクレームをつけます。明日は我が身。勝手は許さないぞ。しかしたまたま友人も親戚もいない寡婦だったらどうなるか。狼だらけの森に迷いこんだ赤ずきんですね。ということで、この小説の寡婦は、意に染まない近所の強欲な有力貴族(ガーター騎士)の求婚に対して苦労するわけです。

少し違っているかもしれませんが、だいたいは合っているでしょう、きっと。