真面目な研究書でした。ただし一応は「一般向け」も意識しているのかな。すいすい読める本ではないですが、かといって完全な論文というほどでもない。
この時代のモンゴルは、ほとんど調査されていなかったようです。旧ソ連時代はチンギス・カン(この本での記述)なんて悪の巨頭だったし、この名前を口にしただけで民族主義者として逮捕される可能性もあったらしい。ま、それも当然で、ロシアとか東欧からすればモンゴル軍は悪魔の使者です。殺戮集団。いまでもあんまり良い感じはない。
ソ連から独立して、ようやく堂々と民族の英雄について語れるようになった。たしか巨大な銅像もどこかに建ってたはずです。モンゴル系住民にとっては、やはりチンギス・カンは大英雄。酒でもレストランでも建物でも、大きなものにはみんなチンギス・カンの名前がつく。チンギス・カン・ホテルとかチンギス・カン池とか。チンギス・カン酒とか。
イメージだけは強烈だけれども、ではモンゴルとは何だったのか、チンギス・カンは何をしたのか、どんな帝国だったのかというと、あんがいわからない。不明な部分がべらぼうに多い。それで日本の考古学チームなんかが現地チームと協力していろいろ調査発掘をしている。残された資料は少ないようですが、それでも少しずつわかったきたらしい。
この本をザッと読んで理解したこと。面白かったのは、チンギス・カン(テムジン)はウイグル系商人のバックアップをかなり得ていた可能性があったということです。そうしたバックアップを得て、周辺部族との戦いに勝利を得ることができた。また通商使節団を殺されたのが原因とされているアラル南域ホラズムとの戦いですが、実際にはその前から戦いを準備してきたらしい。使節団うんぬんは単なる口実。
要するに沙漠の交易商人たちは自由に中央アジアを歩き回りたいわけです。それには国境が消えてほしい。制限が少ないほうがいい。なんならホラズムがモンゴルを制圧したってかまいませんが、どうもモンゴルのほうが理解がありそう・・・そう考えた商人たちがいた。そう思わせる何かがチンギス・カンという人間にはあった。
そうそう。雌伏期のテムジンは実は金の子分になって力を蓄えた。タタールってのは金に従服していたんですが、ちょっと勢力が強くなりすぎたのかやがて金に嫌われた。で、声をかけられて東西から呼応してタタールをやっつけたのがテムジン。政治情勢を見て狡猾にたちまわる能力があったんでしょうね。単に強いだけの連中ではない。
もうひとつ。オルドってのはたんに妻妾のいる住居ではなく、いわば「宮廷」、場合によっては「首都」だったらしい。で、オルドはいくつもあって、チンギス・カンのいたのが大オルド。
そうそう。モンゴル弓の構造についても知りました。複合弓というやつですね。コンポジット・ボウ。
イメージとしては柔軟な鹿の角みたいなのを組み合わせたシンプルなものかと思っていましたが、実際は非常に細工の細かいものらしい。まず竹とか柔軟な木で弓の幹の形をつくります。イメージとしては逆C字形。この幹にベタベタと角や骨なんかの板を貼り付ける。反対側にもいろいろ貼って、最後は牛や羊の腱のようなのものでグルグル巻く。かなりの強度が出るらしいです。
そして逆C字だったのに弦を張って、C字に引く。弦を張るだけで弓は裏返されてるわけで、パンパンになっている。したがって、短い弓でももべらぼうな飛距離が得られる。使いこなすには剛力とテクニックが必要だったでしょう。遠矢なら500Mとか600Mの記録もあったらしい。遠矢には鏃(矢尻)を小さく、近距離用なら大きくて重い鏃を使ったらしいです。ふだんは弦を張らないで逆C字の形で保管していたそうです。
などなど。初めて知ったことも多い本でした。