飯嶋和一という作家は初めてです。かなり読ませますね。中身が濃いけれども、坦々と進む。ちょっと違うものの吉村明のような感じでしょうか。人物造形が複雑ではなく、良い人、卑劣な人、善意の人、狭量な人、だいたいパターンが定まっている。
「狗賓童子の島」は幕末から明治、島民が松江藩の郡代(代官)を追放した事件(隠岐騒動)が一応の主題です。その少し前に大阪では大塩の乱が起き、加担した高弟の長男は15歳になるのを待って隠岐に流される。少年は島で医術を学び、あくまで流人としてコレラや傷寒、麻疹の治療に専念する。
時代です。ひっそり生きてきた隠岐の島民も、だんだん外界との交流が増えるにつれて流行り病も上陸するし貨幣経済にも苦しむ。米価は高騰する。島は貧しいです。おまけに支配を預かっている松江藩は旧態依然の役人根性で、ひたすら搾り取ることしか考えていない。
こうして窮乏がすすんで切羽つまったところで大政奉還。島の中は天朝派と出雲グループに別れます。ただし出雲グループといったって、根っから親松江というわけでもなく、なりゆきやら立場で仕方なく松江藩に従っているのがほとんど。で、「維新で年貢半減」のプロパガンダを信用した島民や「隠岐は天朝支配になった」と思った庄屋連中たちが松江藩の代官を追い出して自治政府をつくった。
もちろん維新政府もたいして定見があるわけではないし、年貢半減はすぐ取り消しになるし、おまけに「当座は松江藩が隠岐を管理せよ」と命じたんで、大騒ぎです。大義名分をえた松江藩は隠岐上陸。大砲まで打ち込んで制圧した。と、朝令暮改で、こんどは鳥取藩か長州藩が隠岐を管理という雰囲気になったけど、まだ正式命令はない。引っ込みがつかない松江の奉行は撤退拒否。
まるでマンガみたいですが、結局は同情的な長州藩や薩摩藩の軍艦まで港に入ってきて最終的に松江藩は折れます。たぶん帰国してから責任者の松江の奉行は処分されたでしょう。なんやかんや。隠岐は鳥取藩が管理することになったようですが、前より良くなったかどうかは不明。まったく変わらないか、下手するともっと苛政になった可能性が高いですね。世の中の仕組みはまったく変わらない。
大筋から外れますが、大塩平八郎の乱制圧で活躍した内山彦次郎という名前が出てきます。ん? なんか見覚えがある。なるほど、新選組に暗殺されたという大阪西町奉行所の「悪与力」ですね。相撲取り乱闘事件で新選組の恨みをかったという説が有力です。ただし内山彦次郎は名与力であるという説もあるんで困る。誰かが良い人だったか評判の悪い人だったか、それすらも明快ではないのが歴史というものです。