「中国の大盗賊・完全版」高島俊男

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講談社 ★★★★
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前から読みたいと思っていた本。図書館に「完全版」がなかったので、アマゾンで買いました(珍しい)。ま、買っても損はしない本と思います。

「完全版」というのは何か。高島さんの定義では「盗賊」とは集団で、武力をもって地域を荒らしまわったり占拠した連中。日本なら山賊とか海賊。bandit。黒沢の「七人の侍」に出てきますね。それを数千人、数万、数十万に拡大したのが中国の「盗賊」です。で、そうした盗賊集団がついに都を制圧して皇帝を追放してしまうと、これが代替わり。新王朝です。中国の歴史ってのは、だいたいこれの繰り返しだった。

この本で「大盗賊」として描かれたのはたとえば漢の劉邦、あるいは明を建てた朱元璋、明末の李自成、太平天国の洪秀全。そして最新は中共の毛沢東ですね。しかし「中国の大盗賊」の元版はあいにく諸般の事情で毛沢東の分がはいっていなかったらしい。タテマエは新書のページ数の制約ということですが、実際には当時の中国に対する遠慮があったんでしょう。やがて時代とともに雰囲気も変化し、その削除した分を復活させて新しく刊行したのが「完全版」ということです。

非常に面白い本でした。司馬遼太郎なんかが小説で丹念に描いてくれた部分、たとえば劉邦という男が若いころどうたらこうたら。それを高島さんはあっさり「わからない」と切り捨てる。そもそも本当の名前すらよくわからない。何をしていたのか、何歳くらいだったのか、どんな人間だったのか。もてあまし者だったようだけど、ゴロツキ連中に好かれる要素はあった。たぶん。大盗賊たち、だいたいは同じような育ちです。みんな功なり名をとげてから適当に自分を飾った。秀吉の「我が母が御所に仕えていた折り帝のウンヌン・・」ですね。

なぜ中国でこうした輩が登場するのか。要するに国土が広すぎるんです。本来なら5つとか6つとかの国家が分立する広さなんですが、なぜか始皇帝が統一してしまった。統一はしたけど広すぎるんで、地方のことまで手がまわらない。どこかで誰かが流賊になって騒ぎを起こしても、ちょっとした規模なら放置する。足の先にオデキができたようなもんでしょう。

そうやって放置しておくと、時々は騒ぎが大きくなる。主要都市を占領するような事態になると、ようやく朝廷は討伐しようとする。ただし討伐といっても、官兵は弱いです。弱いだけならともかく、非常にタチが悪い。盗賊は殺したり犯したり奪ったりはするければ、完全に奪いつくしはしない。タマゴを産むアヒルを殺さないようなもんで、一定の配慮がある。しかしそれを討伐にきた官兵は地域に根ざしていないのでまったく遠慮がない。盗賊を討伐した後、今度は居すわって同じように殺したり犯したり奪ったりする。それも過度にやる。盗賊のほうがまだマシ。来てくれないほうがいい。

(盗賊の有能な首領が降参すると許してもらえることがあるらしい。で、降参した盗賊は、そのまま官の将軍かなんかに横滑りする。要するに賊も官兵も同じ人種。泥棒が目明かしになるパターンですね。それなら、多少は地元に配慮してくれる「盗賊」のほうがマシです)

ということで、この本の言いたいのは「いまの中国なんて、要するに大盗賊が作った国家だ」ということです。毛王朝。したがってマルクス主義だとか農民のためにウンヌンとか、みーんな嘘です。毛沢東という人物、盗賊の親分にしては多少の学問もあるし、古典からいろいろ学ぶ力量もあった。だから中華人民共和国、建国以来けっこうすんなり栄えてきた。

(毛沢東がどれだけマルクスを読んだか、これはいろんな人が疑問視していますね。せいぜい短いパンフレットくらいだったんではないか。しかし毛沢東は文人なんで、けっこう中国古典や歴史書は勉強しています。高島さんによると毛沢東の詩(詞)はかなりいいらしい)

そう考えれば鄧小平が国家の方針をあっさり変えてしまったのも不思議ではないわけです。明だったら中興の永楽帝。そもそもが共産主義のために革命したわけではないんで、自分たちの王朝維持に役立つという判断があれば何をしても当然。共産主義は単に便利な看板、スローガンにすぎない。

主張のそれぞれ、ほとんどが納得できるものでした。この大盗賊論でながめると、中国史のあやふやな部分がスムーズになる。人間をあまりかいかぶってはいけないし、神格化は論外。中国ってのは、そういう国なんだな・・と思うことで理解も深まります。ただし中国をバカにしたような本ではありません。あくまで真面目です。文体は軽いけど。

名著でした