
さすがに中に入ってしまうと多少は空きます。空くといっても、ま、スタスタは歩けません。ぶつからないように注意しながら歩く。暑いような天気で、芝生にはみんなゴロゴロ寝ていました。これでビール飲めれば言うことなしなんだけど、なんせ環境省の「御苑」なんで不許可。
そうそう。妻子には「大身の旗本である内藤氏の屋敷跡」なんて偉そうに説明しましたが、勘違いでした。実際には高遠3万石の内藤氏(※)の下屋敷跡(中屋敷という説もあるらしい)。ま、いいかげんなことを言うもんじゃないです。
ついでに犬公方綱吉が作った「中野の野良犬小屋」もだれか旗本の土地と思っていたけど、これも間違いでした。田畑とか寺社の土地を提供させたようで、百姓61名とかいう資料もあるらしい。できた犬小屋は若年寄クラスが管轄。けっこう大がかりですね。
※ ふつう「高遠」で連想するのは保科正之ですね。秀忠の隠し子(正之)が保科の養子になった。その後(かな)内藤という大名が行ったとは知らんかったです