NHKスペシャルで「駅の子・・」という番組を見る。
駅に寝泊まりしていたこうした浮浪児、戦災孤児たちがその後どうなったのか。ずーっと疑問に思っていた。浮浪児狩り(たしかそういう言い方だったと思う)で保護されれば、たぶんなんとか生きながらえることができたんだろうけど、多くは飢え死にしたり凍え死にしたり。火垂るの墓ですね。
子供の頃、お祭りになると見かけた白衣の傷痍軍人。あの人たちもそれからどうなったのか。親は「見るな」と言っていたから、多くは偽だったのだろうか。
なにしろ戦後生まれなので詳しいことはもちろん知らない。しかし実際にみかけたり、あるいはニュース映画の一場面としての知識はあった。そして、いつのまにか見かけなくなった。
小学校低学年、髪が伸びたり爪が伸びたりすると家のおなご衆から「浮浪児みたいだ」と言われた。女の人って、クリクリ丸坊主の子供が好きなんですね。ちなみに爪が伸びると「オニの爪」とか「天狗の爪」と言われる。
で、「浮浪児」はごくふつうの言葉でした。それがいつ「駅の子」になったのか。「浮浪児」は差別語ということになったのだろうか。そうそう。「戦争孤児」という言い方も知らなかった。記憶していたのは「戦災孤児」。なんか違いがあるんだろうな、きっと。
言葉の使い方、なんか変化しているようです。つい先日もテレビののど自慢でアナウンサーが参加者を「ナントカの和菓子職人さん」と紹介していた。おかしくないようだけど、「さん」に少し違和感がある。包丁鍛冶師さん。解体業者さん、リベット作業員さん。どれも、少しずつズレている。でも「ズレてる」と言うと「え?」と驚かれる、きっと。
ヘリからリポートしているテレビ記者が「あちらに見える橋が言問橋になります」などど言う。「言問橋です」と断言するのを躊躇する気分があるんだろうな。なるべくアイマイに、無難なように。迷ったらより丁寧に。だから「犯人の父親がお帰りになった際に」なんて奇妙な言い方が登場する。