神保町のすずらん通と思うんだけど、なんとかというカレーの店がありましたね。黒潮とか南海とか、そんなふうな印象の名前。タールのように真っ黒なカレーで、カツなんか乗せるのが定番。やたら混んでいて、入り口から中を覗くとすぐ奥のオバはんに見つけられて、高圧的に相席を指示される。そのテーブルがまた狭い。今もあるか調べてみたけど、発見できませんでした。
ま、どうでもいい思い出です。私、神保町で古本を売ったことはありません。大学が地方だったんで、だいたい4割から5割が古本の買い取り相場と思いこんでいた。ところが東京はえらく安いんですね。それで懲りて、以後古本を持ちこんだことは皆無。たまに買うだけです。大通(靖国通かな?)をずーっと冷やかして歩いて、すずらん通りに回って、最後は三省堂というルート。
で、この本は神保町という古本街のなりたちです。幕末から今日まで。鹿島さん、実によく調べた。知らなかったけど、共立女子大にずーっといたらしいですね。それでいつも神保町を歩いていた。
いろいろ面白いことを知りました。明治初期の学制改革(というか場当たり)にふりまわされて、英語派、独語派、仏語派の戦いがあったこと。あっ、もちろんもっと前には洋学派と漢学派、国語派の対立です。正則と変則。そうした混乱の中で、東大、明治、日大、法政などなどの初期学校が誕生した。(訳のわからん話ですが、たとえば仏語学校はみんな理系ということになり、それが理科大学につながったとか。ん、違ったかな。とにかく大混乱です)
そもそもを言うなら、お役所の役人たちがアルバイトで教えていた都合で、地理的に近い神田のあたりに学校がたくさんでき、学校がたくさんできたので本屋街もできた。漱石もこのへんをウロウロしていたし、時代が下れば魯迅や周恩来も勉強したり酒を飲んだりしていた。
面白い本でしたが、ずっしり中身がつまっているので返却期限までに読みきれず。途中で返してしまいました。