著者は元北海道新聞の人だそうです。たしか根室支局にもいたことがある。
で、まあタイトル通り、延々と続いた北方領土交渉の経緯ですね。日露(日ソ)とも、ひたすら政治にひっかきまわされてきた。うまく行きそうになっては失敗する。いつも複雑怪奇な思惑と権力闘争が背景にあった。
要するに「日本国民、庶民も政治家もメディアも、総じて北方領土になんか関心は薄かった」というのが結論なんでしょうか。「そんなことはない!」と怒る人は多いだろうけど、ほんとうはさして関心なんてない。心から気にしているのは根室あたりの住民、漁民、元島民だけ。
そうそう。自分自身のことをいうと、大昔に「戦争に負けたんだから当然」という意見を聞いたときのショックがまだ残っている。少年はずーっと「日本は正義でソ連は悪」と思い込んでいた。そうした気持ちに冷や水ぶっかけたのが「理不尽なのが戦争」という事実。正義や理屈でどうにもならないことを無理やり解決するのが戦争ですわな。確かに。
それとは別ですが、日本も戦後しばらくは「せめて2島」というのが本音だったらしい。2島だけならなんとか世界に胸はって「正義はニッポン」と言える。おまけに根室から出港した漁師がすぐ拿捕されるし。目と鼻の先(水晶島との中間線あたり)でつかまる、撃たれる。切実です。
で、ソ連と交渉して、ようやく2島返還を約束。そしたら米国が文句つける。当時の米ソ関係ですね。米国の子分としては、逆らうわけにはいかない。ここから4島一括返還論が通るようになった。その後も交渉がまとまりそうになると、事情でつぶれる。ソ連、ロシアは経済援助がほしい。日本は返還という実績がほしい。メンツの問題あるし、政敵もいるし、どっちも政治絡みです。
それにしてもちょっと前までウキウキしていたシンゾー、どうしたんでしょう。北方領土に関しても拉致問題に関しても、最近は妙に静かです。