常一ついででもう一冊。こっちは「宿、泊まる場所」の歴史的考察です。
都へ租庸調ですか、地方から食料もって上ってくるだけでも大変です。税をおさめて故郷へ帰るのはもっと難儀。政府が面倒みてくれるわけもない。旅は水盃、無事に帰ってこれる保証なんてなかった。道中、たくさん死んだし、たくさん失踪もした。
はるか時代を経てもずーっと事情は変わらず、旅は難儀なものでした。しかしその割りには、みんなよく旅をした。例の松尾芭蕉の一行なんてのも、なんとなく優雅な旅みたいな印象ですが、実体はなかなか大変だったらしい。所によっては泊めてももらえないし、食べるものにも苦労する。たぶん野宿もあったんでしょうね。いっぽうで絵とか落語とか特技もってあちこちフラフラしながら優雅に旅したケースもある。江戸時代なんかだと地方の目明しとか顔役博徒の家が狙い目だったらしい。
総じて庶民は旅が好きだった。あんがい宿賃は安かったようで、「一泊いくら」という合理的なスタイルが成立したのはかなり後期になってからのようです。基本は「こころばかりの謝礼」。たくさん払うか少しにするかはケースバイケース。
そうそう。本筋と関係ない挿話ですが、「言海」の大槻文彦は温泉が大好きだったらしい。どこそこの湯か気に入ると、30日でも40日でも滞在する。伊豆の下田なんて、静かで快適だってんで、3カ月以上も居続けた。泊り込んで、新鮮な魚をたべて(このへんは酒も灘から良いのが船で直接入った)、じっくりと大言海の校訂ができた。いい時代。
有名人ではあったものの当時の大槻センセイがどれだけ金持ちだったのか、それとも宿泊費が非常に安かったのか、けっこう微妙なところがあるようです。ちなみに大槻文彦は幕末の儒学者の三男。蘭学の大槻玄沢は祖父で、ついでですが玄沢は「解体新書」の杉田玄白・前野良沢の弟子です。こういう人たちの資力、現代の感覚ではなんとも見当がつかない