連合出版★★★
10巻から連合出版と書いてしまいましたが、実際には11巻からのようですね。つまり10巻までは文芸春秋。
この11巻、いろいろありますが「井真成墓誌」と「予言」がメインのようです。「井真成墓誌」は例の中国で発掘された日本人留学生です。
当時、日本ではなんだかんだと推測がなされていましたが、高島さんによるとほとんどが根拠のないデタラメ。みーんな中国語と漢字と日本語の関係を正しく理解していない。だから訳のわからない理屈をこねる。中には墓誌と墓碑を混同している学者もいたらしい。
そもそもこの墓誌、盗掘の結果として出てきたということ、どこかが書いていたかなあ。あとになってバレた。だから埋葬状況の詳細がまったく不明だし、墓誌の一部も(パワーショベルで)欠けている。どっちにしてもあまり大切にされて埋葬された状況ではないらしい。墓誌の文言も実はかなり簡易。やっつけ仕事。
「予言」について。本の後半スペースをたっぷり使って書いています。ごく簡単に言うと、「予言」も「預言」も「豫言」もみーんな同じ字、同じ意味です。「予言」は予想を言うことであり、「預言」は神の言葉をあずかること・・なーんてことはない。
どっかの時点でどっかの人(キリスト教関係者)が「預言」は違う意味だと言い出した。理由は不明。辞書も昔は「あらかじめ」の意味しか掲載していなかったのに、なぜかいつの時代からか「あずかる」も併記しはじめた。そもそも日本の聖書で使っている漢字は、ほとんどが中国(清代)の漢訳聖書のものを流用しています。同じ漢字なんだから当然ですね。
で、中国語(それをコピーの日本語も)では、「預言」は「あらかじめ言う」です。「言をあずかる」という文法はない。え?「銀行預金」があるじゃないか・・というんですが、江戸、明治のころに見られる「預金」は「あずかり金」「あずけ金」と読んでいました。それがいつか「よきん」と読むようになってしまった。理由は不明。
というわけで、たとえば 撮る 取る 採る 録る・・・を使い分けるなんてのは、まったく無意味。日本ではみーんな同じ「とる」です。ちなみに中国語では、それぞれ違う字であり、発音も違います。違うものを同じ音にした(※)からややこしいことになった。