インドネシア、東によったあたりの小さなレンバタ島。その南側にある小さなラマレラという集落の話。オーストラリア大陸にも近く、チモール島のちょっと北になります。
この貧しい海辺の集落は手銛を使ったクジラ漁で有名なんだそうです。物干し竿みたいな長柄の銛をかまえて、壊れそうな舟首から跳躍。なんか日本のテレビでも芸人が出かけていって紹介していたような気がする。
日本だったら和歌山の太地ですか。ただしもっともっと原始的で貧しい。島の北側にいちおう「町」があるけど、そこへいくには夜明け前から山を超えて1日仕事。で、海岸の民はひたすらクジラやマンタ、サメを突いて、処理した肉を日干しにする。日干し肉の一部は山の民との物々交換につかう。サカナと野菜穀物の交換。
ちょっと前までは完全なアミニズムの文化でした。そまつな木製の舟には先祖の霊が宿っている。クジラと闘って壊れたら、可能なかぎり以前の板や綱を使って再建。そうしないと呪われるかもしれない。プレゼントの不文律を破ったりしてシャーマン(の役目を担っている)部族との間にトラブルがおきると深刻です。ヤギの呪い、もっとひどい羊の呪い。悲惨なことになります。だれかがケガをする。海から帰ってこない。
もちろん、こうした村にも近代化、情報化の波はおしよせる。そのうち電波が通じる。若い男女は携帯電話のテキスト通話で恋人とやりとりする。女はドルを稼ぐために遠くの町へいって奴隷的な女中奉公をする。工場に勤める。そしてシャーマンは苦々しい顔をするけど、船外機付きも導入される。
村人はたとえばクジラを突いて、それをたんなる乾燥肉として食べます。クジラもサメもマグロも同等。ちょっと知識のある遠くの島の漁師はマグロを5倍の量のサメと交換しようという。あるいは1本10ドルで引き取ってくれる業者もいる。その10ドルで買ったマグロを新鮮なまま流通にのせれば、果ては数千ドル、日本に輸出されて高級スシネタになる。野心をもった男が情報をつかんで起業をはかる。
ただしほとんどの村民はそうした情報を持ちません。高校まで行ける少年少女はまれ。教育をうけたからといって、抜け出せるとは限らない。失望して戻ってくる青年たちも多い。村には、なにかしらの共同体意識がある。貧しいけれども、多少の幸福感もある。三丁目の夕日ですね。しかし、どうしても、やはり貧しい。
このへん、旧オランダ領、フランス領、いろいろですが、東のチモール島の付近はキリスト教の影響が強くて、カトリックも多い(※)。司祭がいていろいろ説教したり結婚をつかさどったり、懺悔を聞いたり。結婚前に子供のできる男女も多くて、いろいろ大変。キリスト教と伝統宗教がなんとか折り合いをつけているわけです。住民たちもジョンとかベン、フランシス。洋風名前が一般的らしい。
たぶん、もうすぐ消え去る村落でしょう。クジラを救え!と外からやってくる運動家も多い。そもそもクジラもマンタも魚もこのところ減っています。クジラが減るなんて、漁民たちには信じられない。(まるで、そのうち太陽が昇らなくなるぞ、という話です)
予想したより面白い本でした。
※隣接した西のバリ島のあたりはヒンドゥー教。もっと西のジャワ島はイスラム教。