「お言葉ですが... 」高島俊男

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文藝春秋★★★★
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たぶん、このシリーズの最初の刊行。週刊文春の連載「お言葉シリーズ」ぜんぶで何巻になるのかは知りませんが、10巻までは文芸春秋が出した。それ以降は連合出版です。

例によって本とか言葉をテーマにしたウンチク、雑談で、時々は実名だしての叱責もあります。なんとなく、岩波とか広辞苑とか、とりわけ権威筋に対して厳しい印象ですね。国語学の泰斗なんかにも容赦ない。

権威に遠慮しないから世の中が狭くなる。それが悪いか!と開き直って、本に囲まれて塩鮭と(たぶん)漬け物食べながらケンカを売っている。本が好き、悪口いうのはもっと好き。

おさめられたテーマは多岐にわたっていますが、えーと、記憶に残ったのが「結婚」の「婚」の字の話かな。右側の旁の部分、「氏」本来は「民」だったらしい。民+日=ほの暗いという意味です。ただ、なんとか帝の名前に絡んで()、恐れ多いんで「民」の代わりに「氏」を使うようになって、それっきり戻らなかった。昏(くら)い、昏冥とかいいますね。

だからそこに「女」偏をつけると「暗くなってから女をかっさらってくる」という意になる。です。あはは。

あと、意外だったのが「」ですね。「止」に「少」をつけてるようにみえますが、本当は「止」が二つ。点がひとつない。また、下の「止」をひっくりかえして、横棒をまとめた。

したがって「歩」の意味は「止」+「」つまり「2ステップ」です。では足を片方だけ出すのをどう書くかというと。ホコをかついだ人が片足を踏み出した形で、ちゃんと「止」がひとつついてる。30センチに相当するらしい。

・・・というように、どんどん話が流れていく。泉の底から水がわき出るようで面白いです。ただ読み手の問題だけど、それを記憶しておくのが難しい。
 
ご馳走は不要。塩鮭と少しのご飯さえあれば十分と何かで書いていた。この4月に死去。晩年は目が不自由になって、ずーっと口述筆記だったらしい。

  李世民。唐王朝の二代目皇帝ですね。恐れ多いので「民」の字は使えなくなり、みんな「氏」に置き換えられた。