怒りと寛容と

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トシとると寛容になる。あるいは怒りっぽくなる。どっちも本当ですね。

たとえば誰かが約束を違える。やると言ったのに、やらない。こんな程度ではムッとしません。そんなものです、ニンゲンは。許せるようになる。何かすぐ欲しい・・と思っても我慢する。待つ。これもできるようになった。

逆に言うと、やるべきことができなくなった。細かいことではたとえばベランダの鉢の植え替えとか。やろうと思ってもう5年。まだ、できない。「やるぞ!」という踏み出しができない。日々惰性。エネルギー不足ですね。そうだな、来年春でも考えるか。

その代わり、政治や社会ニュースにはやけに腹がたつようになった。アホなバカップルが子供を殺す。恥知らずな代議士や総理が狡猾の末に知らん顔をする。得意顔で嘘をつきまくる。評論家や記者がへらへら媚びる。野党がどんどんおかしくなる。悪辣な大統領が独裁と悪行の限りをつくす。テレビが毎日々々お詫び訂正しまくる

本当は大昔からそうなんですけどね。だんだん、あはは・・と流せなくなってきた。立腹は体に悪いです。考えてもしようがない。

心理学者やお医者は「なるべく許しあって生きましょう」とみんなおっしゃる。許容はよい。怒りはいけない。「そんなこと、誰が決めた!」とまたヘソが傾きそうになる。最近ムッとした表情で下向いた老人をみることが多い気がします。上機嫌の爺さんはめったにいない。オトコの特性なんでしょうか。世の婆さんたちはいちおう仲良く社交的におしゃべりしているのに。

そもそもこんなしょうもないこと、わざわざ書くのがおかしい。これが老化なんでしょうね。