何を隠そう、肉とバターとチーズとタマゴと刺身が好きです。いや、好きだった。
ちょっと前まで、センスのない漫画家はよくスキヤキネタを使っていました。家族や同僚、スキヤキの肉を取りあう。だまされて麸をとってガッカリする。私も子供の頃は兄に、味が染みて茶色くなった麸を肉と騙されそうになった。
お昼だったか、茶の間の火鉢で卵焼きをつくっている兄(※)に半分頂戴と頼んだら「2分の1じゃ可哀相だ。よし、4分の1にしてやろう」と策略をしかけられた。もちろんサッと気がつきました。したり顔で言われたことは信じちゃいけない。分数しらなくても、子供心にもそれくらいの知恵はある。タマゴは今でも好きです。
ふだん父が尻をすえている茶の間。横手の低い小さな置き床には砂糖壷とバターが入っていました。火鉢をへだてた茶箪笥のラジオの隣には水飴のガラス瓶があったりもした。どちらも絶好の狙い目です。水飴はひとすくい嘗める。バターも薄くすくって口にする。父が厠から戻ってくるとあわてて逃げる。アブラっけに飢えていたんだろうか。
チーズはたぶん雪印の6Pのプロセスチーズですね。たまーに食べさせてもらった。ん?チーズはもっと後、中学くらいになってからかな。刺身はたまに子供たちにも分与があって、マグロはたぶん二切れくらいもらった。一切れあれば何回も醤油をつけて、ご飯一膳くらいはたべます。
そういう記憶って消えないものなんですね。サラリーマンになってからも同僚と飲むさいは、けっこう刺身のたぐいが多かった(年上の同僚は輪をかけて刺身好きだった)。ちょっと値がはる。ちょっとぜいたく。
ニュースでは今年はカツオが豊漁だそうです。去年にくらべて20倍とか30倍の漁獲高。おまけに太っている。ふーん、とスーパーの棚を見ていますが、まだそんなに安くはない。先日もつい買ってしまいましたが、解凍の小さな柵が350円くらいとか。
もうしばらくは売り場に注意してみるつもりです。しっかり重そうな柵が安いって、なんか幸せな感じがする。ま、そんな繋がりですかね。なんとなく子供のころの食べ物を思い出してしまった。ちなみに肉はもうダメです。「食べたい・・」という強烈な欲望がかなり萎えてしまっている。特にサシの入った高級肉。残念なことです。
※タマゴはけっこうぜいたく品だったはず。自分の昼食のおかずとして勝手にタマゴを使ったりするのはこの亡くなった二兄だけだったと思う。庭でニワトリを飼っていた頃だったのか。
タマゴかけご飯は、子供たち二人で鶏卵一個あて。かきまぜたタマゴ、先に分けてやろうという提案は三兄だったと思う。ツルッと分けると黄身は残る、白身は出て行く。白身だけだとあまり美味しくありません。
ちなみに溶いたタマゴに醤油とたっぷりの削りカツオで軽く焼くとなかなか美味しいです。母が入院して自分で弁当つくっていた頃は、魚肉ソーセージの塩コショー炒めにタマゴ焼き。それしかつくらなかった。
※父が毎年一回くらいは市場からカニを買ってきてくれた。居間の食卓の子供たちはそれぞれセイコ(メスです)を一杯でした(離れて茶の間で食事の父は大きなオス松葉)。食べた後はセイコのハサミを使ってカニカニ遊びをしたり。季節には数回、塩焼きのニシンを各自1匹とかあった。カズノコ(メス)が当たると嬉しかった。サンマのシーズンなら一人2匹だったかな。安かったんでしょうね。
※嫌だった食べ物は毒々しく まがまがしく太いインゲン。個性を強調する臭いピーマン。これが主菜だと泣きたい気分だった。シーズンになると毎日々々々々々々出てくるカボチャ、浅漬けで白い部分の大きいナス。おやつで出される(水っぽい)サツマイモ。あのころのサツマイモはまずかった。ついでに、塩鱒の貧弱な切り身。吹き出ている湿った塩だけで弁当のご飯をたべる。
思い出した。昔の「パン」もまずかったなあ。食パンももちろん、コッペパンなんて、何も付けないままでは絶対に無理だった。三丁目の夕日なんかに騙されないように。そんないい時代ではなかったです。