創元社★★★
半藤一利のエッセイ集というか、むしろ雑文集といったほうが合ってます。
なにが「まわり舞台」なのか。つまり半藤さん、例の文春文士劇の名プロンプターだった。ま、ご本人はそう言ってます。文壇はなやかなりし頃ですね。文春のお膳立てで有名作家や評論家たちが素人芝居に夢中になった。時代に遊びがあったというか、いや、遊びだらけだった時代ですか。
エピソードが次から次へと出てきます。面白い話がサラリサラリ。サラッと出てきてすぐ次の話になる。肩に力が入っていません。ダラダラ流し。
で、中頃から以降は、半藤さんの雑学というか、雑知識で、むしろこっちが面白いです。なかで個人的に「へぇー」だったのは「戦陣訓」の成り立ちでした。
昭和16年、陸軍大臣東条英機が発した訓示ですね。「生きて虜囚の辱めを受けず」が有名で、これで多くの兵士たちが無意味に死んだ。死ぬ必要もないのに死んだ。なんで東条はこんなものを発令したのか。
そもそも、はアホな話でした。皇軍兵士たちが大陸でバカばっかりやってる。上官暴行、暴動、放火、強姦、略奪。悪い評判が東京にもさかんに伝わってきて、さすがにまずい・・ということになった。いちど引き締める必要がある。
原因は、ほとんどが飲酒です。これがいけない。「ムラムラっとしたら、家に残した妻を思い出せ。恥ずかしいことするんじゃないぞ」というふうな、肌感覚でわかりやすい訓示を10カ条ほど担当官は考えた。これなら連中でも読める。理解できる。
ところが軍の本質は役所で軍人は官僚です。衆知を結集する必要ありというんで哲学者とか教育者が呼ばれて検討会議。揉みに揉んだ結果としてやけに立派な文案ができあがった。こんな文章で兵隊たち、読めるんだろうか。
これだけでも酷かったのに、仕上げに島崎藤村が呼ばれた。大作家が訓示をさらに格調高くまとあげた(※)。こうして堂々と完成したのが「戦陣訓」。当初の意図とはまったくかけはなれたものを陸軍大臣東条英機の名で発表した。そういう経緯だそうです。
で、その戦陣訓が一人歩きをしたんですね。戦後、最初の発案者は責められて往生したらしい。オレのせいじゃないだけどなあ。
※こういう事例、多いですね。文章の力。有名作家なんかが結果として大きな弊害を残してしまう。戦後の国語国字問題の山本有三とか。もっと前なら徳富蘇峰とか。