日本の貧しい給食

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ちょっと前のニューズウィーク日本版。日本の学校は先進国中で特に無償給食の実施率が低い・・・というような記事があったようです。

で、先日のX(Twitter)、政府の誇大?PR記事が叩かれていました。ようするに「平成・令和の給食例」としてずいぶん立派すぎるのが掲載されている。美味しそうな写真なんだけど、それに対して多くの母親たち(たぶん)が立腹した。こんなの現実の学校給食と乖離しすぎている。いまの給食ってすごくミジメなのよ、量も足りないし、ほんとにまあ嘘ついて・・・。(

農水省の広報誌ですかね。Webマガジンaffというのがあるようで、そこに掲載されていた記事に対する批判です。探してみました。なるほど。

kyuushoku1.jpgで、その件の本筋とは関係なく、実際の昭和に育った世代として違和感のあった部分ですが、まず掲載の右の写真。「明治」の給食例で、おにぎり、塩鮭、菜の漬物。いったいどこで給食なんて提供したのか知りませんが、明治22年の例だそうです。写真の「塩鮭」がきれいすぎますね。明治の御世、こんな美々しい「塩鮭」がふつうにあったの?(

時代は違いますが、昭和も戦後のころの弁当のおかず。「塩鮭」を見ることはほとんどありませんでした。少なくとも戦後10年くらいまでは「塩鱒」です。小さくて薄くて塩水まみれ。焼くとジュクジュク塩がにじみ出る。その(少しなまぐさい)塩を箸の先につけてご飯を食べました。子供心にも決して美味しいものではなかったです()。

kyuushoku2.jpg右は「昭和初期~中期の給食メニュー / おじいちゃん・おばあちゃん世代」というやつ。

解説記事「戦後は捕鯨が推進されていたことや、低カロリーで高たんぱくなこともあり、鯨肉を使ったメニューが人気。飲み物には脱脂粉乳が提供されていました。」

うーん、クジラ肉が人気だったのは本当でしょう。全国どこでもいつでも、ではないけど、定番だったのは事実。

ただその理由は「低カロリーで高たんぱく」なんかじゃありません。単純に「肉」だからです。肉は貴重品でした。その感覚が現代の広報編集部には欠けているんでしょうね。

昔のセンスのない漫画では「スキヤキの肉争い」が定番でした。また東海林さだおだったかな、薄いカレー鍋の底に肉の切れっ端が沈んでいるというテーマ。だからカレーをよそう際にに、きちんと底から掬うかどうかは重大だった。小さな肉の破片の存在は大問題。

甘いもの。肉。おいしい魚。そして単純に、。子供だってオトナだって飢えていたんだなあ。昭和はいい時代なんかじゃないです。住民同士、貧しいけれど助け合ってなんかいませんでした。三丁目の夕日をぼんやり眺めてる人なんていませんでした。

西岸良平のマンガ。いい例が、えーと、近くの寂れたウウンターバーですか、ドラマでは小雪が演じたマダム、誌面初登場の頃は派手だけどかなりなワルの目つきでしたね。どうふんだくってやろうか。

ことほどさよう。ムキになるのも変なんですが、なにかと昭和を美化しすぎるのは危険な気がします。昔のほうがよかった・・・なんてこと、ほとんどないはず。また、あってはならない()。
 

数年前には「日本の給食はすごい。外国の連中が羨ましがってる」みたいなネット記事、やたら見かけました。あれは何だったんだろ。

ついでに言えばオニギリが小さすぎる。少なくとも1合か1合半の量にしてほしい。
もしかして明治の頃は日本近海や川筋で鮭が大量にあがった・・とかいうんなら失礼。でも違うだろうなあ。ニチロの前身企業が新潟県三条に創業したのが1906年。明治39年だそうです。北洋に進出するのはそれからでしょうし。

私、さいわいなことに超評判の悪い「配給の棒鱈」は知りません。不味かったようですね。ついでですが空腹しのぎ、オヤツのサツマイモも甘くはなかったです。