「血脈」佐藤愛子

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ketumyaku.jpg文芸春秋 ★★★★

まだ学生だったころの北杜夫が「斎藤家には変わった人間が多いから」と話した。ま、これが後の『楡家の人びと』になるわけですが、それを聞いた同じ文芸首都の同人、佐藤愛子は「佐藤家のほうがよっぽど変な人間が集まっている」と思った。

佐藤家というのは佐藤紅緑です。もう知らない人が多いかな。『ああ玉杯に花受けて』とか、今となっては古くさいけど熱血野球小説とか、少年倶楽部なんかを中心として大活躍した。大流行作家でした。知らんかったけど脚本も書いて一座も持っていたらしい。多才。

で、その佐藤紅緑(本名は洽六)が若い女優志望の女に惚れてしまう。これが通常の恋なんかではなく、なんというか宿命的で強引で大迷惑な恋です。女は好かれてちっとも嬉しくない。でも別れられない。すげない態度なんかとると熱血の洽六は卒倒してしまう。本気なんです。そのうち、子供もできる。もう一緒になるしかない。

で、無理やり離縁の前妻が生んだ子供たち。これがそろいもそろって、とんでもない不良。あるいは無気力。無責任。あるいは大嘘つき。本人の責任なのか、親がいけなかったのか。

ただ同じワル連中でも長男の八郎だけはなんというか才能があった。大酒飲みで狂的な女好きで氷のようなエゴイストなのに、機嫌がいいときは思い切ってサービスもするし、機関銃のようなしゃべくりは抱腹絶倒()。甘ったるくセンチメンタルな詩を書く。感動させる力がある。つまり、サトウハチローです()。

で、要するに佐藤家には呪われた血が流れているんではないか。愛子の表現では「荒ぶる血」。この血は濃い。ハチロー以外の洽六の子は酒と女と無気力と薬で身をほろぼす。洽六が芸者に生ませた子さえ、やはり年経るにつれて壊れていく。

子だけでなく、孫の代も同じ。男の子はみーんな崩れる。持ちこたえたように見えても、やがて崩壊する。

かかわりあった女たちもそうですね。それぞれに関係あった何人、何十人の女たちも耐えきれず壊れる。少数,、気丈に生き残った女たちだけが生き残る。生き残るけれども、なんか変る。おかしくなっている。疫病神たちとの生活、常人には無理なのかもしれない。佐藤家は特殊な一族です。

愛子は気にもしないで生き残ったクチです。そして洽六とハチローと愛子だけが、世に認めさせる文才があったんでしょう。ただし文才があったからといって正常とは限らない。正常ではないかもしれないが、少なくとも負けない勝手さ強引さがあった。

愛子が戦前に結婚していたとは知りませんでした。陸軍主計士官。子供も産んでいます。ただ佐藤家にからむような男たちの宿命・運命で、戦争中に薬物中毒になる。復員してからも治らない。結局は離婚。

愛子が次に結婚したのが文芸首都の同人仲間だった田畑麦彦。これが能天気な事業失敗で巨額の負債をつくり、それを意地になって返済したいきさつが『戦いすんで日が暮れて』です。直木賞。佐藤家の女とからむ男たちは、やはりかなり異常ですね。田畑も不思議な人物。男が徹底的にだらしないと女は強くなるしかない。だから愛子は強くなって、生き残った。いまは100歳か101歳か。

愛子は強くなったけれども、怒りをエネルギーにしていて、やはり困った存在ですね。つまりは洽六とハチローと愛子の三人だけが佐藤家の選抜組。あとはみーんな濃い血に負けた。

12年かけて書いた本だそうですが、全3巻。それぞれが600ページ前後あります。重いです。中身もずしっと重い。登場人物は実名。本の最初のうち洽六がやたらと「福士は何しとる」とどなるシーンが多い。役にたたない走り使い。これが詩人の福士幸次郎だった。

天使のように好人物の福士()以外、あとは洽六の周辺でウロウロする居候やら友人やら付き合い先やら親族やら、有名無名、良く書かれているケースは少ないですが、みーんな実名で登場します。いまの時代じゃこの小説、無理だっただろうなあ。訴訟が20件や30件は発生します。もっと多いかな。

非常に疲れるけれども、面白い本でした。佐藤家に生き残った怒れる鉄の女、佐藤愛子、です。

 

戦後、辰野豊のすすめで徳川夢声、サトウハチローの三人が天皇陛下のご機嫌伺いをした。つまりは笑談・雑談のひととき。すごい三人組です。天皇は心の底から大笑いし、ハチローは父・洽六に報告して土産の恩賜のタバコをプレゼント()。病床の臣・洽六は感涙にむせんだそうです。
ハチローは「話の泉」の常連だった、とある。そうだったかなあ。思い出すのは石黒敬七とか長崎抜天とか。・・・ん、これはとんち教室。混同しちゃいかん。(「話の泉」は堀内敬三、山本嘉次郎、渡辺神一郎・・・記憶がぼんやりだなあ)
福士幸次郎はいつも洽六に尽くした。人間とは思えないほど善意の人。もちろん徹底的に無能。詩人を執事代わりにしちゃいかんです。
※※「それにしても不味いタバコだぜ」と付け加えた。こういうところがハチロー。