「永井路子歴史小説全集 2」美貌の女帝

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konoyooba.jpg中央公論社★★★

系図というもの、通常は男系です。誰それに何人の子がいて、その長男には何人の子女がいて、そのまた次男がなんとかかんとか・・・。で、その次男とか三男の横に妻の名が記され、小さく「どこそこヨリ・・」とか記してある。ま、場合によっては、その奥さんの実家の簡単な系図が付記されることもある。

こういう家系図で歴史を眺めていると、ときどきワケがわからなくなることもある。はて、この嫁さん、どこの家から嫁いだんだっけ。前にも同じ家から誰か迎えていなかったかなな。

飛鳥時代あたりの歴史を眺めていて、永井路子もそう思ったんだそうです。このナントカ天皇の母はたしか蘇我のクジラの娘だったな。ん、その弟の奥さんも蘇我。蘇我のシャチだったか。

で、登場する女性たちの側から系図を作ってみた。誰の姉がどこに行き、妹がどうして姪がなにした。こうして一覧してみると、意外や意外の事実がわかった・・そうです。つまり壬申の乱から、あいつぐ政争。持統天皇あたりから聖武天皇あたり、そして長屋王の死まで。カギになるのは蘇我氏の女性たち。

中大兄がクーデタで蘇我氏を粛清し、以後は天智と鎌足の天下。白村江で唐に大負けし、天智・天武兄弟の抗争があり、天皇側は天武の後家の持統が奮闘したり元明、元正と地味な女帝が続いたけど、やはり藤原の隆盛には抵抗できず、藤原にのっとられた。ま、たいていはこんな理解でしょう。あまり資料もないし、よく知られてもいない。私もよく知らない。

一般には『天皇一派と藤原氏の勢力争いの時代』と見られてるんだそうですね。結果はもちろん藤原が圧倒。鎌足の息子の不比等が土台をつくり、その4人の子たちがブイブイ言う。四兄弟とも流行り病でなくなるけど、藤原の血の聖武天皇の御世が続いたので、あとはもう万全。ずーっと後には藤原北家(四兄弟の次男・房前の裔)の道長なんかが満月みて歌を詠んだり。

しかしここに『蘇我の血』という要素をくわえると、様相がガラリと変わる。つまり延々150年近く、歴代天皇の母親は蘇我の女性たちだった。女系の系図をつくってみると、それが如実に判明なんだそうです。なるほど。

そう考えると、この時代は持統、元明、元正という蘇我系の女帝が必死に藤原と戦い続けた時代でもあった。蘇我系の皇子を天皇にすえる。藤原の血を入れないように抵抗する。実は鎌足の死後の一時期、藤原はかなり落ち目だったらしい()。で、そこから復活したのは不比等の力。

そうした必死の抵抗が終焉したのは長屋王の変()。長屋王は高市皇子の長男です。高市皇子は天武天皇の長男です。天武系はアンチ藤原でもあったので、実力者である長屋王の自死で蘇我復活の可能性が消えた。ついでにいえば元正女帝の妹は長屋王の妻でした。これも同時に死んでいます。

で、当時の天皇(聖武天皇)の母は不比等の娘。皇后(光明皇后)もまた不比等の娘、聖武の母の異母妹です。そして光明皇后の生んだのが孝謙天皇。完全に、二重三重に藤原の血。こうして長い藤原氏の天下が始まった。

なるほど・・という視点でした。要するに藤原系の天皇即位を簡単に許さないための対抗措置として女帝が続いた、ということなんですね。おまけに彼女たちは『敗者』ですから、たぶん資料もあまり残っていない。地味な印象。

作者としては、この時代を書いた初めての作品らしいです。ボリウムは350ページくらいあるものの内容は少し薄いというか単調というか。分厚い一冊の後半にはまだ短編がいくつか載っているようですが、未読。

そもその壬申の乱というのは、天智・鎌足一派(近江朝)が倒れたという戦争だったんですね。またこの結果として対唐政策が見直され、遣新羅使の時代に。その後に不比等が実権を握るまで遣唐使は廃止になっていた。
長屋王のこと、ほとんどわかっていないようです。なにしろ総理大臣クラスが謀叛の疑いで反対勢力に攻められた大事件。妻(女帝の妹)も一緒に死んだ。ただほとんど資料がない。