入院記録
爽やかな初夏。突発性難聴で入院した (2000年初夏)
2000年の初夏、突発性難聴のため急な入院が決まった。あとで調べてみると、私の場合は非常に軽症で、場合によっては通常の生活も困難になることがあるらしい。以下はベッドの上で、暇にあかせて書きつづったものである。非常に個人的なものではあるが、当時の心情をそのままどこかに残しておこうと、あえて掲載した。文中、一部の固有名詞を変えた以外は、基本的にいっさい編集していない。
2000年4月29日(土曜) 晴れ
入院4日目。ようやく少し余裕ができた。
23日(日曜)朝から左耳がつまり、気にもしていなかったが月曜、FAXの転送切り替え設定の際に受話器音声がひび割れ、音量も下がっていることに気が付いた。中耳炎のなりかかりかもしれないと判断。出社し、月曜の急ぎ仕事をかたずけて11時すぎに近くのさびれた耳鼻科(川上医院?)でみてもらう。年配の医師が万一の場合、突発性難聴の可能性あり、紹介状を書くからすぐ慈恵へ行けという。
あとは後ほど。
4月30日(日)
(続き)
会社に寄って慈恵の診療カードを探し(以前肩板損傷などで取得済み)、すぐに慈恵へ。受けつけを済ませ、いったん社に帰って仕事(なんせ月曜は多忙)、昼食を取り、2時にまた外来へ。30分ほど待って診察。
聴音検査を受け、診断にあたった中年の医師はあっさり「突発性難聴。できれば水曜には入院してください。目安は10日」という。ただし慈恵は引越し中のためベッドがない。紹介状を書くが聖マリは高いしな、川崎とか横浜市大は家に近いかと聞かれる。帰宅後に家族とよく検討して病院をさがすことを約す。帰社後は残りの仕事を必死でかたづけ、引継ぎの準備をし、なぜかTがインターネットで病名を詮索して下調べをしてくれたので(難治指定の病気であった)一覧、なんとも急がしい1日となった。
25日はなんとなく仕事の処理にくれた。I、M、総務に連絡。総務のAにはゲタゲタ笑いながら「海外旅行か」といわれた。例によって躁病気味らしい。なにしろ病人に見えないのだから仕方ないが少々ムッとする。H(妻)に買って良いかと電話で確認したうえで、浜松町のダイエーで迷いながら即決でノートを買う。SonyのVAIO。29万5000円ほど。本来の目的はM子(娘)用(もちろんHも使う)。夜のM氏送別会は出席せず、早めに5時半ころ帰る。
26日は(Hが問い合わせたガンセンターは断られた)市営地下鉄で横市のセンター病院(浦舟)。最新ホテルのような新院。ここでも聴音検査。世界不思議発見の野々村誠のような若いヒョウキンな医師に、ここでは長期入院はとれないのでとS病院を紹介される。「S病院のT先生、ユーの字はコロモ偏に右でしたっけ谷でしたっけ」などと同僚に大声で聞きながら紹介状を書いたていた。
小雨のなか横浜駅ビルで昼食をとり、文庫を買い(三好徹の三国志。1,2,2巻をダブって買ってしまった)、USBマウスも買い、タクシーでS病院へ。横市センター病院とは規模も雰囲気もガラリと違う昔風の古い病院だった。事務や看護婦の応対も、昔風。つっけんどんではないが、さりとて妙に親切でも無い。
外来でまたたっぷり待ち、そのうち漫才の山田花子のような皮膚の厚い看護婦に検査用紙の束とコップを持たされて一人で検査室回りをする。血液、採尿、レントゲンなど。終わってからまた診断を受け、診察中で泣きわめく幼児のすぐ傍らで点滴の針先部分を入れられ(うるさくてすみませんね、と一応は謝っていた)、入院。このときの診察はN医師。10日から14日の入院予定という。ステロイド点滴と星状神経節ブロック(SGB)の説明をうける。耳鼻科にベッドがないので整形外科になるとのことでベッドは6人部屋。310号室。横になり点滴をはじめると、急に病人のような気分になった。5時頃にHがパジャマなどを持って来る。夕食を見てから帰った。
27日(木曜)は6時起床。8時朝食。予想どうりの食事内容。すべからく栄養であり義務と心得、余さず食べる。屋上の喫煙スペースはあまり柄のよくない連中の溜まり場となっており、少々うるさい。寝転がってのべつしゃべりまくっている牢名主(5年もので病気3つ持ちだそうな)が核になっている。
この日は午後から点滴。そのあとストレッチャーにのせられて手術室へ。麻酔医(小柄な40台の女医)からインフォームドコンセントを長々とうけ、神経麻酔。薬を入れると左肩にピクッと反応がくる。医師がかなり慎重になっているのがわかった。初回のためか、そのまま20分ほど麻酔医が横に座っていた。なにかほかの書類でもチェックしているような雰囲気だった。病室に帰ってベッドに降りるときは、少し頭がくらくらした。クラッとした様子をみせると、かなり気にする。
5月1日(月曜) 晴れ
ようやく静かな連休前半が終わる。この2日はブロック処置も休みだった。患者も外出や外泊、退院などで少なく、院内は静か。午前の点滴が終わるとすることがない。玄関、病棟ロビー、屋上などをひたすらうろつき、本を読み、テレビを眺め、タバコを吸い、寝ころがる。
昨日の朝、4日ぶりに便秘解消。当事者にとってはなかなかな重大事件であった。予想に反し快感のない土くれのような便。怒涛のように噴出するかと予期していたのだが。ボトボトと1日2回。胃がすっきりし、頭が軽くなる。
昨日はH、M子から手作りケーキの差し入れ。いらないよと言ったが、夜、気がむいて一切れ食べる。意外においしかった。妻子のいる間に「水のいらないシャンプー」という代物を試した(ま、それなりの効果)が、今朝は5時に起きてしまったので時間をもてあまし、朝食前に石鹸で髪を洗う。袖がぬれた。
朝の血圧チェックが高かったらしく、いつもの舌ったらず口調の看護婦が時間をおいてもう一度計ろうという。二度目は150-90。私にしては非常に高いが「さっきはもっと高くて、ぎりぎりだった」という。処置取りやめの可能性もあったらしい。あとで聞いたら180まで行っていたらしい。そういえば水曜か木曜にも血圧が高いといわれたことがあるかと聞かれたことがある。意識してはいないが、けっこう上がっているのだろう。SGBあとの再測定では130ほど。通常に戻っていた。
昨日から耳はかなり復旧。正常の8割くらいか。ただしテレビの音質が低く割れて偏り、金属的に聞こえる。アナウンサーの声が陰気な押し殺した声に聞こえる。
現在午前9時5分。もう少したつと点滴か。SGB処置も今日は3回目だが、早めにあるかもしれない。経過がよければ3日から外出許可がでる可能性もある。シャワーをして、ビールでも飲んで、冷たい刺身と辛塩の鮭でも食べたい気分だ。ただし病院食もだんだん不味くは感じなくなっているのも事実。(美味いわけはないけどね)まずまず食べられるようになった。これなら軍隊でも暮らしていけるかもしれない。
昨日、目障りだった貧乏ゆすりの牢名主がようやく退院。喫煙室の雰囲気が目立って変化し、出入りのメンバーも少し変わった。向かいのベッドの爺さんは昨日退院。奥の生コンのお兄さん(子供は4歳。今日来ていた)も午後に退院。玄関脇のベンチに座っていると「6月から仕事に入る。入院費が17万円」などと夫婦でゴソゴソ話しているのが耳にはいった。仲のいい夫婦で、ミニふうカジュアルスタイルの奥さんはたいてい朝の11時くらいから来て夜の8時までゴソゴソ話していた。野球の話が多かったようだ。巨人ファン。
ここでは、なんでも聞こえてくる。病歴、家庭、子供のこと、退院の予定、トイレの回数。それなりのあっさりした付き合い方をしていかないと、長くは続かない。みんな廊下や長いすで合えば軽く会釈し、軽く言葉をかわし、しかしそれ以上はあまり語らない。隣りベッドにくる見舞いの婆さん(えせ上品そうな言葉づかい。どうも爺さんの近所の人らしい。爺さんも好いてはいない雰囲気)は長尻で詮索好きがみえみえでひんしゅくもの。(まーお若い、そちら、奥さんよね、娘さんみたいにお若い。かわいいわー。ほんと、娘さんかと思いましたよ)
いま、2時45分。3時か3時半ころに聴力検査に呼び出されるのではないか。連休はせめて家で食事をしたいものだとも思う。入院初日以降は、会社や仕事のことは完全に頭から消えた。考えても意味のない世界。老人や見舞い客たちのゴソゴソした話を聞くともなく聞き、飽きると場所を移し、ひたすらベンチに座って風の音を聞き、木々の揺らぎを眺め、とりとめのないことを考えているだけ。あっというまに初夏のたたずまい。そうしていると、不思議に1日が終わる。強制的牢獄バカンス。
4時ごろにはHとM子。来るなりコーヒーをいれてケーキ。4時半に検査に呼び出され、これは快調だった。ゲーム感覚で聞き取りに挑戦。ほとんど右と同じレベルに回復していた。N医師は悪いけどといった様子で「でも予定どうりに続けさせてほしい」という。夜7時半ころにベッドにきて「明日は処置があるので無理だが、以後は外泊も可。点滴の時間などは看護婦と決めてくれ」とのこと。「よくなると、皆さん、帰りたがるんですよね」
隣りのじいさん(老人会の会長ふう。労音の話もしていた)の見舞い婆にM子が髪をなでられる。まったく。遅くなってから娘さんらしき人もきてバナナの差し入れ。ちょっと迷ったがお返しする。私はバナナは好きではない。本当は素直にもらっておけばいいのだけどね。
5月2日(火曜) 晴れ(降らず)
目がさめたらまだ深夜2時だった。トイレにいってから寝なおし。いびきやトイレ音や廊下の足音を聞きながら、なぜかばたばた精力的に新規法人立ち上げ段取りをしている夢を見た。5時に起床。守衛室の横のヤニ臭い小部屋でで缶茶をのみ、一服。守衛と少し言葉をかわし、10分ほどボーっとしてから寝なおし。6時すぎからぐっすりしていると検温。また血圧が高いとのこと。163の100。「朝は高いのかしらね。またあとで測りましょ」
麻酔の女医はマスクをはずすと実は疲れた50歳がらみであることがわかった。若いほうの太った麻酔医の指示で動いているらしい様子も見えてきた。片隅で土曜の出勤時間の打ち合わせをしていた。「え? 10時半ですかー。12時頃のつもりだったんだけど。11時じゃだめかなー・・・わかりました。10時半に来ますから」 点滴は2時間半ほどで落とす。ぐっすり昼寝。
早めに来たH、M子にしばらく待ってもらったが、なかなか呼び出しがかからず、辛抱できず詰め所で問い合わせてみたら結局今日の外泊はないことが判明(詰め所にいた幹部格の看護婦が威厳をもって断言した)。ちょっと期待していたので、少しがっかりする。楽観がよくない。期待するべからず。明日から3日間は通いで点滴となるらしい。土曜はまた11時ころからブロック処置が入ることになるようだ(今、回ってきた看護婦からの話)。どうも雰囲気としては少なくとも連休あけまで完全解放はないような感じで、以後も時々通うようになるのではないか。
受け入れること。この間は完全に仕事(メールとインターネット)から離れること。せっかくの機会と考えること。完全にカラッポにすべし。風のそよぎと流れる時間に身をまかせよう。初夏の絶好の季節である。
今日の外来は大繁盛で、仕事を終えてN医師が来たのは8時半近かった。土曜はやはり麻酔医の都合がわからないので前日金曜の夜に戻ってくれとのこと。了承。
連絡のためHに電話をいれ、社のMが電話をほしいと言っているとの伝言を受ける。無理のない話ではあるのだが、会社から気持ちが遠ざかっていたためか、ムッとする。
携帯はチャージがかかるので仕方なく新規にテレカを買い連絡をとってみると、D社、S社との関係がゴタゴタし、契約解除しかないかと相談しているとか云々。詳細は不明だがそのS社のS嬢も倒れたというし、肝腎のシステムTも具合が悪いとかで「層の薄さを実感しました」としらっと言っていた。T氏がたおれたら、そりゃシステムぐちゃぐちゃになってしまっているだろう。ミスが出て訂正不能だったよし。そういう態勢なんです。いまごろ危険に気がついたかね。
T女も電話をほしいと言っていたという。明日連絡予定。
5月3日 水曜(晴れ)
深夜4時に目がさめる。守衛室の横でタバコをすっていると、時々みかける「借金かかえた口もとゆがみの小太り不動産屋ふう」も黙って入ってきて黙って一服。蛍光管がジリジリと鳴り、ほの暗い床をダンゴ虫が1匹ぐるぐると這いまわっていた。甘い缶コーヒーを半分のみ、タバコを2本すってベッドに返る。5時40分ころまで眠れた。
6時半に守衛室(今日は売店は午後1時から開店)で買った日経を読み終え、朝食までの時間にベッドでPCを使っていると明るい掃除の兄ちゃん(巨人の高橋ふう)が我慢できないふうに「それ、なにをやってんですか」と問う。聞きたくってしかたなかったらしい。「ゲームとか、マージャンとかですか」
8時前から点滴をつけてもらう。10時ころには終わるかもしれない。Hに連絡をいれる。タバコが切れたが、売店はまだやっていない。
隣の爺さん(K氏)は昭和11年の兵隊検査。甲種があふれている小名浜(それとも北陸か?)で検査だったのが幸いして応召はなかった。向かいの78歳の爺さん(N氏)は16年か17年の東京甲種。11月か12月に応召で1月の16日かに出征。習志野とかいっていたような気がする。中支、南京など転戦した。同期会も10年ほど前までは芸者をあげて騒ぐなど面白かったが、だんだん出席も減ってきてつまらなくなったという。同年兵の会は7~8人しか出席がなく、面白くないからもう出ないという。
看護婦が回ってくる。そのパソコン、いくらくらいするんですか、と舌たらづ看護婦。「私も覚えられるかしら」と年配の気弱そうな色白メガネ看護婦。
これから(点滴落としの速度促進のためもあり)、横になる。一休み。
10時半ころに点滴が終わり、ちょうどタイミングよくHが来る。暑いような輝く初夏の道を帰る。つづじがあちこちで咲いていた。
帰宅して茶を一服。シャワーをあび、髪を二度洗いし、ハムエッグと納豆、コブの佃煮で昼食。おいしかった。ビールを1缶飲む。
T女に連絡をとったが、特に大きな問題もなし。ミスを気にしていた。この3連休も出社することにしたという。
午後はM子がピアノへ出かけたあとでHと下まで歩く。Hは道端の花の話をいろいろしていた。つつじとか、かえでの花のこと。本屋では何も買わなかった。帰ってからノートパソコンを少し整備し、1時間ほど昼寝。いい気分だった。5時前にすっきり目がさめる。夕食のメニューは刺身。刺身は先日、食べたいと言ったから。あまり脂のない500円のカツオ(本当はもっと安くなるのだそうで、まだ高い)とナントカ鯛の刺身。今夜はゆっくりして、明日は10時までに点滴のため病院へ行く。
5月4日 木曜(晴れ)
やはり4時に目がさめた。しばらくガマンしたが、起き出して水を飲み、窓を明け、白みかかった東の空を30分ほど眺めてから、また寝た。7時前にあらためて起床。Hは8時過ぎに起き出してきた。手を隣にのばしても畳に触らないのがいい。あ、いるなと感じるのが安心という。
朝はパンとヨーグルト。便意をもよおし、貧弱なのを3本だしてから、あらためて時間をおいて一気に出た。胃が空になったような奇妙な感覚。自分の体と対話をしている時間が長いせいか、腸の具合とか便通には非常に関心がたかまる。
10時前、Hに送ってもらう。12時前に点滴が終わり、歩いて道に迷い、結局和田町経由で帰る。暑く、さすがに少し疲労した。少し汗ばむ。まだ多少頭がフラつく。
帰路「羊たちの沈黙」を購入。精肉店でステーキ肉を4700円。帰ってからM子のノートPCに通信とプリンタの設定。TからN社の件のファクスが入っており(締め切りは8日朝!)、たまらなく嫌な気分だったがこれだけは仕方なく執筆。嫌なことは早く終えてしまいたいという気持ち。やりたくないのに仕事をしてしまった。返信のためメールも必要最小限だけ探してチェック。もう週明けまでメールはいっさい読まないぞ。
「もしかしたら新居をあきらめることも一応は考えた」とHが言っていた。これから借金をかかえたくない、と私が言いだす可能性も考えたらしい。病人がどんな心境になるか、確かにそれは分からない。心配かけました。私は大丈夫です。ただし、ちょっとワーカホリックの心境から抜けてしまった感がありますが。
5月5日 金曜(快晴)
今日も朝からスッキリ晴れ上がっている。5時過ぎに目が覚めた。喉の奥がかゆく、うがいすると少し血が出ていた。歯ではなく、原因不明。水をコップ1杯、ゆっくりすする。水がおいしいことが、ここ数日でわかった。
もう一度寝る気がしないので北の部屋でパソコンをいじる。ステロイドとかSGB(Gはganglion。麻酔の女医はわからんと言うておったな)について検索して遊ぶ。SGBは突発性難聴だけでなく、かなり一般的な処置であることがわかった。ついでだが神経節は全身に4カ所ほどあるらしい (もっといっぱいある、とM子)。ステロイド(合成副腎皮質ホルモン)は感染防止。ただし免疫作用を後退させるらしい。突発性難聴が直らず苦しんでいる人も多いようだ。難聴は周囲の理解が得られないのが辛いと体験者が書き込んでいた。
今日も10時前に点滴へ行くことになる。終わったらまた一人で帰宅して、夕食後に病棟へ戻る予定。なにしろ建前上は入院中だ。土曜日は帰宅できるかどうか、スケジュールがよく分からない。場合によると更に一泊することになるのかも知れない。なまじ正常な生活を味わってしまっただけに、またあのベッドに戻るのかと思うと辛い。
今、朝の8時。M子の部屋の目覚ましが鳴っている。そろそろリビングに戻ってコーヒーを温め直して、新聞でも読むか。
点滴を終えて上星川経由で帰宅。西友で日本酒とウイスキー、白菜漬け物。500円の割引券が当たった。食事をしてから部屋を真面目に掃除。おどろくほど埃りがたまっていた。M子のPCのマウス速度を設定しようとトライするが失敗。新規のドライバーが認識されない。これは暫定、あきらめることにする。ステロイド点滴の影響か、顔に2カ所ほど水泡あるいはヘルペス?のような盛り上がりがかすかに見える。
5月7日(月曜 薄曇り)
外泊から5日の夜に病棟入り。酒の勢いで就寝。それでも翌6日は5時に目が覚めた。6時すぎにまた寝る。午前は点滴とSGB。女医が「宿題の答えです」とSGBのスペルをメモ用紙に書いたのをくれた。同僚の医師が麻酔専門医の現状やペインクリニックなどについてしばらく講釈する。外科手術の補助的な意味合いから独立してまだ新しい科のようだ。この病院の麻酔医枠は2人のようなことを言っていた。
6日は外来も午前中ということで、1時前に呼び出し。T主治医から説明を受ける。予定通りの処置は必要ないかもしれないとのこと。月曜に聴力があるので、この結果を見てから決めたいという話だった。ただし願いの出ている今日土曜の外泊は不許可。SGBを受けた患者を病院の外に出したくないということのようだ。事情はわかるので了解。
結局、最短で月曜に診断、火曜の退院ということになる。14日間。もちろん、場合によったら伸びる可能性もゼロではないということだろう。
自由なシャバの空気を吸ってしまったためか、昨日は病棟での一日が長かった。隣のK爺さんがベッドを窓際に移す。例によって目薬の件で看護婦とやりあう。テレビが聞こえないとかで騒ぎだし、これは私が仕方なく電源ボタンを入れてやる。
また例のうるさいペチャペチャ婆さんがやってきて、閉口。私と看護婦との会話にまで口を挟んでくる。たまたまきつい看護婦(小林幸子ふう)で、他の患者さんのベッドに来ないでください、と叱られる。ゴミ箱を掃除するとか言って触ろうとするので、強く拒否。お願いですからかまわないで下さい! あとでK爺さんの話によると宗教団体関係の人で、まったく親しくなどないのだという。迷惑している。ようやく納得。
9時にN爺さんが「消灯していいか」という。仕方なく了解。目が覚めたらまだ12時だったが、起き出して守衛室。浅い夢を見続ける。腸が沸騰している。出そうで、トイレにいってみるとガス爆発だけ。夜中に4回ほどトライした。朝方にヨーグルト飲料を無理して飲む。更に腹がガボガボと文句を言っていたが、4時頃からようやく静かになり、少し熟眠。
朝は湿りけのある生暖かい食パン1枚。餡の少し入ったロールパン。マーガリン。塩。温泉タマゴ。キャベツのサラダ。バナナ。ミルク。こうしてメニューを並べるとけっこうな感じだが、もちろん実際は貧弱。バナナ以外をすべて片付ける。屋上階で一服したらようやく記憶のある感覚がよみがえり、便通。時間をかけてしっかり出した。気分爽快となる。人間、たっぷり食べてたっぷり出せれば、90パーセントくらいは幸せなのではないか、とつくづく思う。
屋上の喫煙室ではここ数日顔見知りになった大工(カニのような横幅の頑丈)が、使わないから右腕が細くなったとなげいていた。それでもまだ十分に逞しい肉体労働者の上腕。「睡眠薬を毎日飲むより、酒のほうが健康にいいんじゃないかって気がするよ」と笑う。
太ったオバハンが「早く退院したいもん」と笑いながら、元気よく手を振って大股に散歩をしている。真っ白い顔の子供(小学校5年くらいか)が、また一人で階段を上がってくる。この子もどういう病気なのか不明だが、話相手がいなくて寂しいようだ。大人たちにまじって、黙ってソファーに座っている。缶のプルトップを集めている。1万とか2万コで車椅子が買えるのだという。
軽く汗ばみ、うとうとしながら11時15分に点滴終了。電話を入れ、外泊許可証をもらい、上星川経由で帰宅。途中でタバコを買う(朝食後から切れてしまっていた)。16号沿いのモスバーガーでテリヤキとコーヒー。ハンバーグのケチャップとマヨネーズが唸るほど刺激的に濃く、うまかった。こぼれたレタスを残らず食べ、指にこぼれたマヨネーズをなめとる。健常人の味。
駅でハンニバル(羊たちの沈黙の続編らしい)上下を購入。1500円。25日に6万を下ろしたのだが、現在の残金は2万3000円。12時半のバスで帰宅。これで明日の朝まではまたゆっくりくらせる。朝食はみそ漬けのサワラ(?)、納豆とわかめ。シャワーを浴びてスッキリする。
現在、セリーグは首位横浜。巨人が昨夜は勝って3位か4位になっているはずだ。一人を殺した西鉄バスジャック事件の犯人は17歳。ついでに「人を殺す経験が必要と思う」と主婦殺人事件の犯人も17歳。
暇つぶしでキーボードガタガタ叩いていたら、Hがコーヒーを入れてもってきた。これから買い物にいくという。後ろ姿を見送ってから、いっしょに行こうと声をかけようかどうしようか・・と少し迷う。すでに運動十分、今日はもう動かないことに決める。ネットで副腎皮質ステロイドホルモンについての作用副作用について調べる。かなりしっかりした文献がみつかった。
今回の入院で考えた事。
私が入院するのは、まだいい。なにかコトが起きてHが入院するようなことになった場合が問題だ。それでも私が仕事をしていない、時間のある状況なら、なんとかなりそうな気もするのだが。
仕事をしながらの場合、どれだけの看病ができるだろうか。たとえば毎日の食事。Hが病棟食をたべることができるだろうか。みるみる痩せてしまいそうな予感。うーん。かなり暗い。洗濯。家事。これはなんとかなりそうな気もする。たぶん、できるだろう。問題は、やはりHの食事だろうな。
勝手なことを言えば、Hが元気なうちに、Hに看病してもらって死ぬのがいちばんか。私がいなくなってから苦労するのはM子になるが、そこまでは知らない。親子でなんとかやってくれ、と言い置いてサッサといなくなるのが一番ずるくていい。
人間、何歳まで生きていけるのだろうか。病院で年寄りどもを見ていると、やはり最低でも70歳くらいまでは生きていないと少し損という気もしてくる。私が70歳。するとHが66歳、M子は37歳? ま、ここまで行けば文句を言うべきではなさそうだ。もちろん、勝手な考え。その頃になればなったでもっと欲を出すのは分かりきっているのだが。
5月10日(水曜)晴れ
退院した。
予想では月曜の診察で結論が出て火曜退院かと思っていたのだが、1日伸びた。ネックになっていたのはSGBの処置数だったような感触がある。10回の前提で始めたのに6回で打ち切りではあんまりではないか、というような感じ。この月曜、火曜の病院生活は長かった。
月曜に隣のベッドがふさがり(ヘルニア手術予定)、火曜にも向かいの空いていたベッドに遠慮がちなオッサンが入った(なにか小売りか個人店をやっているらしい)。木曜退院予定の元気な老人(S氏)もいるため満杯。
夕方、点滴の針を抜いた。2週間、よく持ったものだ。意外に小さな穴がポツッとあいていた。しばらく抑えていたらすぐふさがり、カサブタができた。
夜は大反響イビキ、連続イビキ、独り言、いろいろで、いつもに増して賑やかだった。結局最後の夜も深夜3時に起き出して一服、ヨーグルト飲料を半分飲む。しばらく寝つけなかったが、そのうち寝入り、朝の6時近くまでトロトロできた。
今日10日は朝食をとってからひたすら待ち時間。会計が8時半に開くというので9時から9時半かと予想していたが、やはりもっと時間がかかった。朝の見回りの際にも看護婦に清算のことを確認して「いそぐようにさせます」との返事はもらっていたのだが。要するに病棟看護婦は事務や手続きの方面に関心もないし、うといということ。患者が昼食を食べるかどうかには非常に関心がある。
昨日の話で朝食をとってから退院にするか、後にするかと聞かれて妙なことを聞くとは思っていた。しかし事務から事前に書類が来るのだろうと考えていた。看看護婦に聞いてみると、窓口は閉まっているから清算は明日になるという。今朝また聞いてみると、呼び出しがかかるから待て、と言う。どうも様子が不審だった。
待ちくたびれた10時過ぎに呼び出しがかかって会計窓口へ行くと案の定、いきなり合計精算額を出して払えという。そんな現金はない、1時間くらいしないと払えないと抗議。では待つから、用意ができたらまた声をかけてくれと係が言う。彼女たちにとってはどうでもいい話なのだ。
この清算システムだけはどうも釈然としない。前日にでも請求書を見せるとかすれば問題ないと思うのだが。明日退院予定というS氏も合計金額がどれくらいになるのか気にして看護婦に相談していたが、もちろん具体的な進展はなかったようだ。「いきなり15万とか20万とか言われたらないですよ。恥をかくことになる」
Hに電話を入れて30分ほど待つ。8万8000円。薬をもらい、入院伝票の疑問(4月分と5月分が別々の入退院書式になっていた)を窓口で一応確認し、荷物をまとめて撤去。いったん家に帰ってお茶を飲んでから安愚楽亭で中ジョッキ2杯、割引券があったので大ジョッキも追加。5000円弱。帰りに自作農家でHはネギを買った。ふとんを敷いて2時間ほど昼寝をする。いい気持ちで眠れた。
ゆっくり起きてから茶をいれて飲む。そのうちHが稽古をはじめていいかといいう。しばらく夕刊を読み、ハンニバルの上巻を読み始め、飽きてきたのでPCで日記付け。
今週木金は出社せず、体力復旧。仕事もTまかせ。いちおうメールのチェックだけはする予定。土曜日曜の速報はやらずばなるまい。月曜からまた会社に復帰。あまり仕事をする意欲はないが、そうはいっても溜まっているだろうな。明日、Mにメールを出しておくことにしよう。
体調、ほとんど問題ないようなのだが、しかしまだ時々ふらつく。顔面はステロイドの影響か、どす黒く、脂っぽい。皮膚の感覚が鈍く、舌の感覚が通常とはまだ異なっている。スタミナもかなり衰えているようで、すぐ息が切れる。明日は図書館にでも歩いてみるか。リハビリテーションの週末です。
5月11日(木曜 曇り)
気温がだいぶ下がっている。昨夜はM子がビオラのため一人で先に晩酌。シャワーをして7時頃からテレビを見ながらビールをあける。塩辛の残り(不味い)、のり佃煮。飲んできるうちにHが一品用意してくれる。他にアジのから揚げ酢。タマネギが辛くて美味しい。さやえんどうの炒めたもの。
夜は10時半ころに就寝。夢もみないで朝8時ころまで眠る。数日前から感じている肩の凝りがいっそうひどくなっていた。ステロイドの影響なのか、それとも布団の固さの関係もあるのか。起きている時間(頭を上げている時間)の関係なのか。
出された薬を調べてみたらメチコバール(末梢神経障害にきくビタミンB12)、アデホス顆粒(内耳など血管拡張の効能がある様子)2種類だった。
あまり気がすすまなかったが朝、たまっていたメールを一応チェック。T、Mなどに復帰のメールを発信。S、O(A)にもメール。まだ積極的に仕事をする気にならない。
5月12日(金曜 薄曇り)
昨日は午後に図書館へ。腕や肩をほぐしながら片道20分のリハビリ。それなりの運動量で、首筋に汗が一筋流れた。足が疲労。まだまだ体力がない。時折、体がふらつく。
今日Hは実家へ行って泊まり、明日移転予定マンションの内装のナントカを見てくることになっている。
7月25日(火曜)
退院後3回目の検査。N医師しかいなかったが、ようやく完治を宣言してもらった。やれやれ、長いことかかったものだ。おめでとう!
帰宅してから残っていた薬を捨てる。このところほとんど服用していなかったので、たっぷり残っていた。ゴソッとごみ箱に捨てた。以上、おしまい。
注
難治指定: 多分「直しにくい病気」という意味かと思う。突発性難聴の場合も原因が特定できず、実際にはウィルス対策と血管拡張という二種類の処置をしている。経験的にどっちかは効くということのようだ。
SGB: 首に麻酔薬を注射する。頸動脈をうまく避けて、その裏にある神経節に当てるのが大変らしい。部位が微妙で、もし頸動脈に薬を入れたりしたら大騒ぎになる。そのため、わざわざ万全の設備のある手術室で処置を行う。