「莫言」と一致するもの

「複眼人」呉明益

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fukuganjin.jpgKADOKAWA★★★

「こんな小説は読んだことがない。かつて一度も」とアーシュラ・K・ル=グィンが言ったそうです。その言葉をそのままキャッチコピーにしているけど、ま、確かに。

台湾の作家です。中国の作家で台湾に逃げて書いてる人なら知っていますが、根っからの台湾は初めてかな。いや、誰かいたような・・・と記憶をたどると、たぶん「鬼殺し」という小説。莫言が褒めたというから、たぶんそれでしょう。でも最後まで読めなかった気がします。えーと、作者は甘耀明という人でした。

で、別人作家である呉明益の「複眼人」。たしかに面白いことは面白い。ファンタジーみたいでもあるし、太平洋を漂う巨大なゴミの島、台湾東部を襲う大雨、高波。環境問題でもある。また山岳地帯の少数民族の話でもある。

で、別件。孤島に次男として生まれた美少年は島に住み続けることはできない(たぶん人口制限が理由)ので、ある年齢になると舟を作って、水と食料もって沖へ乗り出す。置いていかれた島いちばんの美女、お腹に子を宿していて、少年の後を追って海へ出る。これらの美少年、美少女、わたしたちの基準でも美男美女かどうかはかなり怪しいです。

で、台湾ではオトコとコドモをなくして、ちょっとピリヒリして猫と暮らしている中年女性の大学教授。それに唄がうまくてコーヒー店をやってる先住民のオバハン。海に浸食されて湖みたいになった住宅で暮らしていて、はてこれからどうなる・・・。というあたり。

淡々としていて不可解なストーリーで、しかしけっこう魅力がある。でも、まだようやく半分程度で、迫った返却日までにはたぶん読みきれないですね。最近、こんなんばっかり。

 

「遅咲きの男」莫言

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 中央公論新社★★★
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去年の6月刊行らしいです。短編集。ほとんどがノーベル賞受賞後の作品ですね。

受賞は2012年ですか。もう10年もたった。当座は文芸家協会の副会長とか、権威に媚びた作家だとか、いろいろ言われていました。これは正確には「中国作家協会」「14名の副主席の一人」ということです。

14分の1なら、敢えて断ってカドたてるようなもんじゃなし。黙って出された饅頭をいただきましょう。そういう姿勢が莫言のスタイルなんだと思います。

ま、いずれにしても、当時は中国内でもかなりいろいろ言われたらしい。改革開放後に特有のそうした風潮を訳者の吉田富夫さんは「眼紅病」と紹介しています。目が血走って赤い。要するにヤッカミ。

そのためか掲載の短編、村の嫌われ者とか、厭味な男とか、疫病神みたいな女とかの話が多いです。みーんな思いっきりゆがんでいる。改革開放前の農民が正直でまっすぐだったとは死んでも言わないでしょうが、少なくとも良くなったともいいがたい。

表紙の絵は、たぶん大きなスッポンです。かみついたら雷が鳴るまで放さない。

中央公論新社★★

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現代の中国人作家を紹介する本・・・ですね。飯塚容は翻訳家・編者です。

いちばん高齢らしい高行健をのぞけば、よく知っている作家たちです。これにノーベル賞の莫言を入れると、ほぼ完璧。現代中国を代表する作家ということになります。

個人的な好き嫌いでいうと余華は「ほんとうの中国の話をしよう」「血を売る男兄弟 文革篇/開放経済篇」。
閻連科なら「父を想う」「炸裂志」。
本音としては莫言のほうが好みで「転生夢現」か「白檀の刑」か。どっちも傑作。

ということでそこそこ面白く読みました。高行健という人、中国籍を抜けてフランスで本を書いたらしい。傑作といわれるのが霊山で、これがノーベル文学賞。ただし中国政府は完全に無視した。あんな奴。
で、ずーっと知らん顔していた政府だけど、そのうち比較的穏健な莫言も受賞したときは正直に大喜びした。(大昔のパステルナークの受賞辞退騒ぎを思い出します。ちなみに詩人で、ドクトルジバゴの作者。スターリン時代かと思っていたけど調べたらフルシチョフだった)


ついでですが、莫言を体制内の作家というのは少し違うと思います。たしか作家協会かなんかの副会長です。みるからに体制派に映りますが、この副会長ポスト、たしか6人だったか10人だったか ()。このポストを受けさせることで体制サイドは少し安心できる。

ま、作家にとっても無難な位置ですか。体制に100%従う気はないけど、だからといって100%反抗はしない。ほどほど50%とか70%とか。それがオトナというもんでしょ、たぶん。そういう農民的なしぶといチエでしょうね。

それはともかく。図書館の棚に「霊山」はずーっとあった記憶。厚いんで遠慮していた。勇気をだして借り出してみますか。

別件ですが「・・・愚かしくも愛すべき中国」というタイトルはあまり好きになれません。そういう視点からとりあげなくてもいいような気がする。副題の「なぜ、彼らは世界に発信するのか? 」も余計。蛇足。ヘビの足。

2011年、中国作家協会の14名の「副主席」の一人として選出されている。 ノーベル賞受賞はその翌年。

「年月日」閻連科

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白水社★★★

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閻連科(エンレンカ /イエン リエンコー )は中国では(たぶんノーベル賞の莫言の次くらいに)著名な作家です。莫言と同じように、地にはいつくばって生きる農民を描いた作家です。政府にはかなり睨まれているけど、魯迅賞やらカフカ賞やら、いいろ受賞しています。

この人、ま、たいていは破天荒なヤブレカブレ小説で「愉楽」「炸裂志」などなど。そこにちょっと哀愁が加わった短編集が「黒い豚の毛、白い豚の毛」など。

そしていっそう静謐の度合いが増したのが、私小説ふうの「父を想う」。で、今回の「年月日」はこの延長線でしょうね。農民+飛躍のバイオレンス+過酷な静かさ。

太陽が数珠つなぎにのぼる千年に一度の日照り。村民はみんな避難。しかし村には一人残った老人と盲いた犬がいた。乾ききった大地にはオオカミが群をなし、無数の飢えたネズミが走り、とうもろこしの緑の小さな苗がある。

シンプルで短い小説です。

2019年に読んだ本

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検索をかけてみたら、今年は★★★★が4冊。多いのか少ないのかは不明ですが、とにかく読んだ本の絶対量が減ってますね。えーと、たったの30冊か。元気なころは100冊近くを読了していたのに。

ま、ともかく。


「あの頃 - 単行本未収録エッセイ集」武田百合子

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著者は武田泰淳の奥さんです。というより「富士日記」の作家ですね。あれは素晴らしい。

で、武田百合子の書いたものは発見すれば借り出していたつもりでしたが、もちろんこぼれがある。単行本に収録されずに終わったものも多い。で、百合子さんは「死後に出したりするな」といっていたらしいけど、なーに、娘の武田花さんが集めて一冊にした。

疑問に思っていた武田泰淳の病気のあたりもわかったし、神保町でアルバイトやってた頃のエピソードもいろいろ楽しい。花さんによると「とにかく派手な女」だったそうです。やっぱり。


「日本人のための第一次世界大戦史」板谷敏彦

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第一次世界大戦って、どうもわかりません。日本からは遠い戦いだったし、そもそも時代が古い。そうした「第一次世界大戦」「欧州大戦」を広い視野から解説。読みやすいし、面白い本でした。

とくに大戦の本質を「トルコ帝国のアジア側を西欧列強が再分割しようとしたもの」という解説は素晴らしかった。なんで「アジア側」なのかというと、欧州側はもう分割しつくしてしまったからなんですね。

A国とB国がケンカしてB国が負けると「バルカンのあのへんを差し出すから許して」という話し合いになる。そもそもB国のものじゃないんですけど。トルコの欧州側は、そうした列強のせめぎあいの「景品」だった。「分銅」という表現もありました。

なるほど。こうして欧州側の分割が終わったので、次はアジア側。通称「中東問題」です。こっちの場合は、もう余裕がないので列強がナマで衝突するかたちになった。それが「欧州大戦」。なるほど。


「切腹考」伊藤比呂美

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この人のものを読むのは初めて。ま、詩人ということは知っていましたが。文章というか、言葉に力がありますね。

えーと、書かれているのは一応「切腹」についてですが、むしろ鴎外への愛が書かれているというほうが近いかな。ほんと、好きみたいです。

したがってエリスについての考察もあるし、鴎外の文体についても研究しているし。そうそう、文体。これは漢詩のリズムなんだそうです。五言絶句なんかの押韻。だから語尾も「・・だ」「・・だ」「・・だ」と続いたのに、急に「・・である」に変わる。変わる必然性は皆無なのに、変わる。韻です。たぶん鴎外は無意識に韻を踏んでいる。

阿部一族についての考察も面白かったです。「阿部茶事」という原典があったんですね。初めて知りました。 ( ちなみに、滅亡した阿部家の隣家、又七郎が「元亀天正の頃は茶の子茶の子・・」とせせら笑う)


「戦争まで」加藤陽子

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加藤陽子はいいですね。素晴らしい。平易で、論理的で、公平で新しい視点。この本は夏休みに一般から受講生をつのって、加藤陽子が講義した。受講生の中心は高校生かな。少ないけど中学生もいるし高校教師もいる。

しかも単なる講義ではないです。聴講生には資料を読み込むことも要求。ま、高校生といっても大部分は有名私立。よほど強い関心がなければ無理な聴講です。

内容の中心は、リットン調査団、日独伊三国同盟、日米交渉。なんとなくの「定説」とはかなり実相が違います。なるほど、こうやって戦争への道をたどった。軍人だけが悪だったわけでもない。政治家、官僚、マスコミ、国民。みーんな「これしかない」とそれなりにたぶん信じて、破滅への道をひた走った。

その他 ★★★の本
「人間晩年図巻 1990-94年」関川夏央

思いの外、よかったです。山田風太郎の臨終図鑑を継いで、しかしこの時代、臨終の詳細を描くことは不可能。それで「臨終」ではなく「晩年」になった。とりあげる範囲が広がっています。

「黒い豚の毛、白い豚の毛: 自選短篇集」閻連科

短編集です。閻連科(えんれんか)は、ノーベル賞の莫言の従兄弟みたいな雰囲気の作家ですね。同じように田舎育ち、学歴がなく、食うために軍に入り、貧しい農民の生活を描いた。ただし莫言の能天気さではなく、惨めさとか繊細さとか。後味がよくて、記憶に残る書き手です。

「FEAR 恐怖の男」ボブ・ウッドワード

まっとうなトランプ本です。きちんとしていて、読みやすい。内容はもちろん、いかにトランプがアホで始末に困る男か、につきます。ウッドワードって、ニクソン本を書いた有名記者かな。

たとえば大統領執務室。朝、デスクの上に「米韓自由貿易協定を破棄」なんて命令書が、サイン待ちで置いてある。こんなのにサインされたら米韓関係は破滅です。側近は書類をそーっと持ちだしてしまう。

通常なら大問題なのですが、トランプは気がつかない。完全に忘れる。で、数カ月たつとふと思い出して、書類を用意しろ!とまたわめく。また誰かがその危険書類を捨てる。

そんなのが側近の仕事。笑ってしまいますが、真実でしょうね。

「家康、江戸を建てる」門井慶喜

江戸に開府した家康が利根川を曲げて、銚子のあたりに持っていかせた。これは知っていましたが、思うだに大仕事です。

もちろん家康が自分でやるわけはない。開府の頃は本多正信あたりが働いていた気がするんですが、はて、具体的には誰に命じてやらせたのか。こうした疑問に答えてくれる本屋大賞ふうの気楽本が本書ですね。実際には伊奈一族という官僚の系譜が、こうした難事業を実現した。

神田上水や慶長小判の話もあり、これも面白かったです。特に高低差の少ない地形で、どうやって水を流すか。工夫がいろいろあったんですね。

「黒い豚の毛、白い豚の毛: 自選短篇集」閻連科

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河出書房新社 ★★★

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閻連科(えんれんか)は「炸裂志」「父を想う」「愉楽」などを既読。この「黒い豚の毛・・・」はかなり早期から最近までの短篇を収録したものです。

表題の短篇「黒い豚の毛、白い豚の毛」とは、クジをひかせるために用意した毛です。黒い毛ならアタリで白ならハズレ、だったかな。景品はなにかというと、自動車事故で人を轢いてしまった鎮長さんの身代わりになる権利。「鎮」というのは、県より少し小さい都市だったかな。たぶん人口1万とか2万程度の町長です。

中国、タテマエとしては公正な法国家ですが、だからといって権力者の町長さんを監獄にぶちこむわけにはいかない。誰かが身代わりになって、ま、(楽観的には)半月とか数カ月お勤めをしなければいけないわけです。で、その身代わり、出獄の暁にはたぶん出世が待っている、はず。

そういうわけで、村のうだつのあがらない貧乏で気弱な男が身代わりにに応募する。30歳近くなってまだ嫁がこないというのは、非常に肩身がせまいわけです。けんめいに嫁を募集するけど「あんな奴!」と若い娘には愛想つかされている。

で、同じような連中が何人かいて、みんなで豚の毛のクジをひく。なんで豚の毛かというと、身代わり話を鎮長から受けてもってきたのが(村では権力者の)肉屋。いましも何頭もの豚を処理している最中で、面倒だからこの毛を使え!と白黒の毛を提供した。この肉屋にとって、こんな話はどうでもいい些細なテーマなんですね。

で、想像されたことですが結末はかなり哀しいことになります。

同じように気弱な村人テーマでは「きぬた三発」という短編もあった。ぶいぶい言ってるジャイアンみたいな大男を、みんなにバカにされている寝取られ男が「きぬた」でぶんなぐるという話です。ちなみに寝取っているのはそのジャイアン男。これも哀しい。

短編集のテーマは大きく三つで、村の生活、軍の生活、ついでに信仰かな。閻連科という作家は貧困農民の立場に視点をおいた人で、けっこう珍しい書き手です。要するに、インテリではない。インテリでない・・・の点では莫言も似ていますが、もうちょっと洗練されているというか、神経がデリケート。莫言はガルガンチュア的なところがありますからね。

なかなかいい本でした。読み終えて、ちょっとしんみりする。

「昭和史裁判」半藤一利 加藤陽子

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★★★★ 文藝春秋
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太平洋戦争の真の責任者は誰だったのだろうというテーマです。ただし軍人をリストアップすると(当然のことながら)候補が多すぎるのであえて民間人に限定。さらにグググッと絞って広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右、木戸幸一の4人とオマケで天皇。はて、彼らは有罪か情状酌量の余地ありか。

半藤一利がいわば検事の役割でまず難詰します。それを加藤陽子がなるべく弁護する。加藤陽子という人、文藝春秋なんかでよく活躍している歴史学者だそうです。日本の近現代史が専門。

で、内容ですが、想像していたとおりですね。まず広田弘毅は決して無実とはいえないようで、戦争突入の責任がかなりありますね。半藤ジイさんは「広田って気分的には軍人だったんじゃないかな」。要するに城山三郎さんが「落日燃ゆ」でちょっと持ち上げすぎ。それほど見識ある人物じゃなかった。

次に近衛文麿は、まあ想像通り。天皇の前で足を組みかねないほどの格で、頭も切れるし実行力もあるはず。なのに、肝心な場面では何もしない。本人なりには構想があるらしいんですが、なぜか間違ったことばっかりやる。そしてすぐ逃げ出す。要するにお公家さんです。徳川慶喜みたいな部分もある。一見すごいのに結果が伴わない。信念と覚悟がない

定番の松岡洋右。みんなが非難するほど悪いやつではなかったかもしれない。悪名高い国連脱退も三国同盟も、すべての責任を松岡にかぶせるのはすこし酷。性格が性格なんで誤解されるのも仕方ないし、実際天皇にも嫌われた。ま、だからといって同情すべきタマでもないようですが。

そして木戸幸一。私、この木戸についてはほとんどイメージがありませんでした。なんか静かな老人という雰囲気でしたが、写真をみたらだいぶ違いますね。ひそかに「野武士」と豪語していたらしい。木戸孝允の孫で役人出身で背が低くて天皇の側近で、たぶん非常な策謀家。で、ゴルフばっかりしていた。


読み終えて感じたのは、当然のことながら人物も動きもグタグタ錯綜して、時代は複雑怪奇だったんだなあということ。軍部が独走して政治家が小心で、だから戦争になった・・・なんて簡単な話にはならない。

たとえば外務省の主流は対米強硬派で、日米交渉にあたった野村吉三郎を邪魔し続けた。周囲や部下が妨害して交渉がうまく運ぶわけがない。一時期ですが、陸軍よりも海軍よりも外務省が強硬だったこともある。また新聞も雑誌もいい気になって行け行けドンドン囃したてて、軍も政府も迷惑するほどだった。ただし末期になると、逆転して締めつけの対象になったけど、身から出た錆。だからこの連中が「過ちは二度と繰り返しません」なんて言っても、けっして信じないほうがいい。

陸軍は皇道派と統制派が争い、政府にとって実は「陸軍の対ソ強硬派がムチャするんじゃないか」がいちばん心配だったらしい。もしソ連がシベリアから軍を西に移動させる動きになったらすぐドンパチ始まったかもしれない状況だった。ということで陸軍の強硬な北進論を中和させるために、政府は南進論を許容した。結果的に両論併記。もちろん最悪です。

そうそう。日本の方向を決めてしまった感のある三国同盟ですが、あれの本質はドイツと組むというより「英国が負けてからの戦後処理」にあった。太平洋、東南アジアから英国が撤退したあと、ドイツと権益を争うのはまずい。そこをスンナリさせるための同盟だった。ま、そういうタヌキの胸算用が三国同盟。要するに「カネメでしょ」が本筋。

開戦までの間、実は中国から手をひいてゴタゴタをおさめる機会は何回かあったようですが、常に問題になったのは「英霊に申し訳ない」。要するに賠償金なりなんなりのお土産が得られるかどうかです。お土産ナシじゃ引っ込みがつかない。近衛や天皇までそういう気分で、少し景気のいい状況にしてから和平を提案しようという構想。みんなそういう考えなので、ズルズルズルズル続いてしまった。それでも昭和16年の11月初めまではまだ戦争を避ける道筋がかろうじてあったらしい。

軍人、政治家、役人、みんなが勝手な構想を描いて、勝手に動く。けっこう情報も握っていたんだけど、いろいろ思惑があるため握りつぶして共有しない。みんな少しずつ度胸がなかったり、少しズルかったり、意志が弱かったり、勘違いしていたり。そうした「スベテ」の結果が12月8日開戦であり、4年後の敗戦につながった。

それはそれとして、読み終えて「こいつが一番悪い」と感じたのは木戸幸一ですね。目立たないけど、暗躍している。

木戸幸一。天皇といういちばん肝心な部分の情報ルートの玄関番をやって、情報栓を恣意的に調節していた。本人的には「すべてお上のため」なんでしょうが、なんか動きが常に怪しい。で、そうした情報操作や組織・人事は後になってものすごく効いてくる。東條英機なんてのを引っ張りだしたのもやはり木戸幸一。キーマンでした。ちなみに東條英機は単なる生真面目で融通のきかない人間のようです。重要な時期に重要な地位につけてはいけない官僚軍人の典型。

長くはないけどなかなか面白い本でした。

これと一緒に莫言の「酒国」、賈平凹の「廃都」も借り出してたんだけど読みきれず。暑さでボーッとしているうちに期限がきてしまった。またの機会を待つか。


「莫言の思想と文学」莫言

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★★ 東方書店
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東方書店という版元、名前だけは知っていたし神保町店舗の前を通ったこともあるはずですが、発刊の本を実際に読むのはたぶん初めてです。

内容は世界各地でおこなった莫言の講演集。語られているのは例によって例のごとく、貧しく飢えていた少年時代とか、作家になって三食ギョウザを食べたいと思ったとか。金が入ったら腕時計と革靴買って、故郷の街で女の子にみせびらかしたいと思ったとか。

そうそう。新しいことといえば、本人が「酒国」を最高傑作と自負しているらしいこと。たしか初期の本ですよね。へぇーと驚いたので、さっそく図書館で閉架の酒国を予約しました。なぜかこれを読み残していた。

「父を想う」閻連科

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★★★★ 河出書房新社

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閻連科は「愉楽」の人です。マジック・リアリズムとか称されて、たぶん悪くはない小説なんでしょうが、個人的にはあまり合わなかった。

で、この「父を想う」はタイトル通りで亡き父や伯父、叔父たちについて書いたもの。回想といってもいいかもしれません。前書きによると、叔父の葬式で帰ったとき姪から「連科兄さんはいっぱい本を書いてるけど、私たちのことを書いたことはないわよね。みんな亡くなって迷惑かけることもないし、書いてみたら」と言われた。

確かにそうだ。父は早くに亡くなった。伯父は不自由な体にはなったが長生きした。そして叔父もまた亡くなった。父の兄弟はみんないなくなってしまった。はてしない忍耐の人生。生きること、労働、尊厳、死。いろいろ考えます。気負わず、書き残しておくことも必要なのではないか・・。


飾ることなく、生き抜く農民の暮しを描いた、いい本です。とくにドラマチックなことは起きませんが、余韻が深く残ります。

考えてみると、これ、農民の人生なんですよね。いままで読んだ賈平凹(老生)とか余華(血を売る男兄弟)などなどの場合、舞台は農村のようですが、実は違う。農民たちが集まるような小さな町の話でした。だから登場人物も町工場に勤めていたり、小売り店だったり食堂だったりしている。純粋な農民とは、やはり少し違う。つい似たようなものと思ってしまいますが、実際にはかなり違う。

地面に這いつくばった惨めな農民の生活を描いたのは、この閻連科と莫言くらいでしょうか。

新生中国、農民は貧しいです。飢餓の3年をなんとか生き延び、朝から夜まで身を粉にして暮らしている農民にとって、中央のことなんてまったく関係ない。生きることだけで精一杯。ある日とつぜんお役所から「大学入試ができるようになった」とか「張、姚、江、王の四人組が・・」と知らされても、何のことか見当もつかない。

家が貧しいため著者は高校中退ですが、ある日突然受験できる知らせを受けた。入試といっても毛沢東を褒めたたえる作文を延々と書くんですが、うっかり志望を「北京大学」にしてしまいます。さすがに北京大学は難関。あえなく失敗。しかし他の大学の名前なんてまったく知らないので仕方ない。

父も伯父も子供たちが結婚できるようにするため、必死に働きます。娘には嫁入り支度を整えてやる。息子には新居として住める瓦屋根の家を建てる。それをなし遂げることが男としての誇りです。その義務を果たしたら、もう終わり。ようやくホッとして余生を過ごす。

そうそう。文革期の下放についても書いています。都会から知識人たちが農村へやってくる。やることもなく(まともな仕事ができるわけがない)プラプラしてタバコを吸っている。お達しであちこちの農家で食事をとることになっていて、夕食を分担した家では貴重な小麦粉を使った食事をふるまう。ふだんはサツマイモの麺を食べているような農家にとって小麦粉は貴重品。全員が食べる量なんてあるわけないので、食事時になると子供たちは追い払われる。お腹をすかし、たぶん食い入るような目で母親の作る小麦粉のセンベイとか麺とかのご馳走を見つめていたんでしょう。

この食事、一応は少額のお金を払ってもらえたようです。ただし、まったく足りない額。たまりかねて農民たちはクレームをつけたらしい。これ以上続くとみんな飢え死にする。

著者は高校へ進学します。しかし一軒の家からは一人だけしか行けない規則。一人だけと知らされて顔を見合せ凍りつく自分と姉。このへんの描写は泣けます。姉は辞退を決断します。

しかしせっかく行けた高校も、中途退学するしかない。少しでも現金収入を得るために肉体労働を始めます。16時間労働で、家にも帰らず現場で8時間休む。涙が出るほどきつい。苦しい。ああ、村から出ていきたい。都会へ行きたい。もっと人間らしい生活がしたい。こちら側の世界からあちら側へ。そして著者は人民軍へ志願することを決断。これは惨めな田舎からの脱走です。

貧しさから逃げ出して軍に入り、それからどうやって成功したかは描かれていません。やがて結婚した奥さんは都会の人だったようです。死の近づいた伯父は自分の葬儀をことこまかに指示します。そして「お前には一つだけお願いがある。葬式には必ず帰ってきてほしい。しかし奥さんは都会の人だし・・」と言うと「嫌がるようなら離婚します」と断言。それを聞いた病人は嬉しそうに笑います。

そうやって、老人たちは一生を終えた。著者は「尊厳ある死」と考えます。


2016年に読んだ本

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今年は雑読エントリー数が75。少ないです。★★★★評価なんてあったかな?と検索かけてみると、それでも一応はありました。えーと8冊ですか。ま、そんなもんでしょう。


「三四郎」 夏目漱石

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なんで読もうと思ったのやら。田舎青年が東京に出てきてマゴマゴする姿が楽しい。気負いやら気後れやら狼狽やら。青春小説ですね。そうそう、なぜか人気らしい「坊ちゃん」、こっちを青春小説と称するのは奇妙な気がします。ついでには言えば「心」もあまり感心しません。漱石らしくない。

ただ若い頃の読み方と年取ってからでは変わりますね。子供の頃は美禰子さんが神々しく映った気がします。落ち着きはらって胆がすわって、若い女とは思えない。小説なんだから当然、三四郎と美禰子は恋愛関係になるんだろうと思っていたら、あれれ、なんか変だなあ。

人生経験経てから読むと、なーんだ、若い三四郎はからかわれているんだ。からかうという言い方は少し違うかな。要するに美禰子に振り回されている。ただし美禰子が自覚して男どもを振り回しているとは限らない。天然自然、それが「女」なのかもしれない。三四郎がグイッと迫ったら、ひょっとしたらの可能性があったかもしれないし、ダメだったかもしれない。

野々宮さんの妹でしたっけ、頭の鉢の開いたよし子。どこにも美人と書かれていないし、よし子が三四郎に好意を持っているとも書かれていない。でも読んでいるほうとしては、勝手にそう受け取ってしまう。面白いものですね。こういう小説はやはり★★★★にするしかないです。



「醒めた炎 木戸孝允」村松 剛

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久しぶりに全巻通して読みました。とにかくマメで気がついて親分肌で忙しい人だった。充実しているともいえるし、生き急ぎすぎたともいえる。享年45。イライラして胃を悪くして、たぶん怒り狂いながら死んだ。

何回も書いてますが、明治の最初の10年間、よくまあ国家の形を保てたものです。薩長の政治家・首脳はみんな若僧で思いつきで自分勝手に動き回って、よくまあ国が潰れなかった。酷税に苦しんだ国民、よくまあ我慢した。もちろん暴動や蜂起もあったようですが、組織だったものに発展しなかったのが不思議なくらいです。明治維新とこの明治初期、ものすごいラッキーに恵まれたんでしょう。

話は違いますが、最近は関ヶ原の勝敗も、どうも「運」の固まりだったような気がしてきました。事後評価としては西軍の戦意のなさとかグズグズぶりが強調されますが、双方の陣構え図をみると、どう考えたって家康が突出しすぎている。本陣のあった桃配山ってのは、常識外れに西に寄った場所なんです。わざわざ自分から袋のネズミになっている。ずーっと東の南宮山にいた毛利とか長宗我部なんかが、もし気を変えて(可能性は十分ある)その気になれば完全な包囲・殲滅戦になっていた。

ただ、実際にはそうならなかった。吉川広家は動かなかったし、広家が動かないので毛利秀元も山の上に留まっていた(宰相殿の空弁当)。気の利かない長宗我部もボーッとしていた。そして決断を伸ばしていた小早川も最終的には動いた。ま、そういうことです。結果的には「さすが神君」と家康は祭り上げられますが、本当はかなりヤケだったんじゃないか。イチかバチかの賭が当たった。

大きな戦とか国家運営とか、たまたまの偶然とかラッキーがあんがい大きな要素になるのかもしれないです。ユゴーのワーテルロー戦評価に通じますね。前日からの雨で砲車が動けなかった。援軍として駆けつけるべきグルーシー元帥が気の利かない男だった。気圧の具合でお腹の疥癬が悪化したウンヌン。


「大聖堂」レイモンド・カーヴァー


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村上春樹がよくひきあいに出すレイモンド・カーヴァーの短編集です。

どういう筋でどういう内容・・と詳細を書いても仕方ないような作家ですね。ひたすら雰囲気だけで読ませる。これといってオチがあるわけでもないし、特に叙情的というものでもない。ほんと、説明しにくいです。そうそう、表題作の「大聖堂」は、あんまり好きになれませんでした。

ちなみに書かれている題材はほとんどがアル中、離婚、失業などなど。日常が少しずつ壊れていく。読後感は悪くないけど暗いです。4評価は甘くて、実質的には3と4の中間くらいかな。




「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」矢部宏治

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故ハマコーが喝破したように「アメリカ様に逆らえない」はなんとなくの常識ですが、では日本は米国の植民地なのか。そこまでではないにしても「準属国」なのか。

実際には、ことあるごとに米国や米軍が口出ししてくるわけではないようです。そこまでは露骨ではない。しかし「安保法体系」なるものが戦後の日本を支配してきたのは事実。具体的には日米安保とか地位協定とか密約とか、細かなことなら日米合同委員会とか、複雑に糸が張りめぐらされている。事実上、こうした「体系」に逆らうような動きは不可能なんだそうです。すべてが米国の強制ではなく、日本側からの追従・迎合も多い。

仮に政府の専断に怒った民間団体が訴訟を起こしても、政府は絶対に負けない。負けないような形が整っている。だから役人は強気で行動する。役人は負ける側には決して立ちません。おまけに司法は最終的に必ず味方をしてくれる(高度に政治的な事柄に司法は関与しないという最高裁判決がありますね)。そういう形を戦後数十年、しっかり作り上げてきた。なるほど、という説明でした。

ちなみに意外だったのは日本上空の管制権。けっこうなパーセンテージのルートが米軍専用で、日本の旅客機は立ち入り禁止(だから羽田発の航空機は海側に出て行く)。これは知っていましたが、本当は「米軍機は日本上空すべての飛行権をもつ」のだそうです。

ついでですが、米国が日本を守っていると考えるのもかなり甘い。どっちかというと「日本が敵対しないように監視している」というのが近いんじゃないだろうか。ちなみに国連には「敵対国条項」がいまだに残っているんだそうです。日本とドイツは敵対国。これがまた戦争を起こさないように監視するのが国連本来の役目でした。

「連合軍」はUnited Nations、「国連」もUnited Nations。つまり国際連合などど綺麗な言い方ではなく本当は「連合国連盟」とでも称したほうが実情に合っている。それなのに敵対国の尻尾を引きずっている日本が常任理事国になろうと運動しているらしい。奇妙な状況なんでしょうね。



「お言葉ですが別巻6 司馬さんの見た中国」高島俊男


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この人のはたいてい面白いですが、すぐ漢字やら言語の話になるのが困る。それが専門なんだから仕方ないですが、やはり漢字絡みの話になると内容がなかなかに難しい。その点、この別巻6は比較的読みやすいです。

高島俊男という人。とにかく「やりすぎでしょ」と心配になるぐらい権威を切りまくる御老人です。作家や評論家を叩く程度ならわかりますが、飯のタネである大手出版社まで攻撃する。そりゃ敬遠されるでしょうね。ただその切り方が痛快無比で遠慮がなく、ついニヤリと笑ってしまう。

この一冊もいろいろなテーマが盛り込まれていますが、たとえば日本で歴史を贋作というか、強い影響力、勝手なイメージを作り上げてしまった元凶は3つあり、日本外史、司馬遼太郎、NHK大河ドラマなんだそうです。これは非常に納得でした。

ついでですが、日本の「儒学」はいちおう幕府から公認厚遇されていたようですが、実際にはクソの役にもたたない。その代わり害毒ももたらさなかった。それに対して国学は一見マイナーふうなのに浸透力があった。困ったことになまじ影響力をもったために非常に害をなした。本居宣長とか平田篤胤一派でしょうね。これも非常に納得しました。



「戦争と平和」トルストイ

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うーん、これを★★★以下にするわけにはいかないよなあ・・という理由で★4です。そこが「名作・古典」というもの。

それにしてもこの歳でよくまあ再読しようなんて考えた。同じような「名作」でも、たとえばば罪と罰をまた読もうという気にはならない。同じトルストイでもアンナ・カレーニナや復活なんかは手をつける気にならない。大昔、つい懐かしくてジャン・クリストフを買ったけど、いまだにページを開いていない。その代わりモンテ・クリスト伯は何回も読んでいるしレ・ミゼラブルもけっこうな回数読んだ。どこが違うんでしょうかね。

で「戦争と平和」、久しぶりに読んで、やはりナターシャはあんまり好きになれなかった。ついでにピーターってのも、昔からあまり好感持っていません。アホくさい。ま、そんなことは作者が百も承知のわけで、それでも読ませるのが名作の所以なんでしょう、きっと。

だんだん好きになるのは強欲なワシーリー公爵とかヤクザなドーロホフ。ボリスという青年もけっこう好きです。そうそう、ナターシャの姉さんと結婚したケチな男もいいですね。名前は忘れましたが実に似合いの夫婦。

それはそれとして、なかなかに面白い本でした。読んでよかった。最初に読んだのが大学受験後の春休みで、ようやく読めるぞォーという解放感。何日かかったのか。コタツに座りっぱなしでずっしり重い筑摩の細かい活字にとりつきました。読み終えてしばらくボーッとしていた記憶がある。

大昔の大学の一般教養(般教)でとった国文学概論、当時人気だった助教授が「名作ってのは、読み終えると1週間くらいはボーッとするもんです。世界が変わる」とか言うていました。納得です。


「マオ 誰も知らなかった毛沢東」ユン・チアン

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例の「ワイルド・スワン」のユン・チアンです。意外な事実が多かった。というより自分が何も知らなかったというべきかな。

例の長征、単なる逃亡だろうとは思っていましたが、なぜその結果として共産党が大きな力を得たのか。そこのところが分からなかった。不思議です。

この本で理解した限りでごく大胆に言うと、まず国民党が自壊した。失望を買ったんですね。それに代わるものは何か?というと、可能性として共産党しかない。

そんな中、地方組織から権謀術数の限りを尽くして毛沢東がのし上がってきた。方法はシンプルで、とにかくハッタリと嘘。思い切って大胆にやります。そして反対派を徹底的に殺した。もちろん文句をいう農民も無慈悲に粛清。権力を握った。独裁ですね。そして田舎に籠もったため、都会の若者たちには実態が伝わらず、まるでマルクス主義の理想郷のように喧伝された。

ちょうどオーム教団です。腐敗した国民党に絶望し、熱に浮かされた都会の青年たちが延安に吸い込まれていく。そこから(生きて)出てくる連中はいない。神話だけが先行して中身が見えない。実際には逃げようとした連中はたくさんいたけど、みんな殺された。不思議な熱気があったようです。

毛沢東という人、やはり天才なんでしょうね。嘘を言うことに躊躇がない。邪魔になる連中を抹殺することにもためらいがない。いかにも恨みをかって暗殺されそうですが、見事なくらいに臆病で保身に走る。そしてひたすら宣伝々々。宣伝し続ければ嘘も真実になる。

例の大躍進。農民がどんどん餓死した理由の一つは、失政でただでさえ乏しい食料を海外輸出し続けたからのようです。ソ連から高価な武器を買いたいけど、貧しい中国にはほかに輸出するものがなかったから食料を売った。その結果人々が死ぬことにまったく関心がなかった。1億死のうが2億死のうが、それがどうした。(悪い意味で)傑出した人間です。

そうした毛沢東に抵抗する者はいなかった。いたことはいたようですが、みんな途中で(周恩来のように)くじけた。くじけなかった者は抹殺された。



「老生」賈平凹

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中国にも素晴らしい作家はたくさんいる。ひょんなことから莫言を読み始めたのがキッカケで、高島俊男さんの紹介する作家リストなどを参考に、図書館で発見するたびに少しずつ読んでいます。この賈平凹もいい作家でした。

「老生」は年齢不詳の弔い師(弔い唄をうたうのが仕事)を狂言回しに、国共内戦、土地改革と人民公社、文化大革命、そして開放期。一つの村に住む人々の愛や欲望や憎しみ、殺し合いをずーっと追ったものです。現代中国ではこういう大河スタイルの小説が非常に多いですね。他に書きようがないのかもしれない。党を直接批判せず、しかし婉曲にでも抵抗の姿勢を見せるのは非常に難しいのだと思います。

そうそう。記述の背景として、山海経(せんがいきょう)の読解があります。意図がわからないし成功しているとも思えないのですが、たしかに奇妙な本らしい。まさに怪書。ひたすら天下の山や海、そこに住む怪物や産する鉱物を延々と記述している。こういう内容の本だったのか・・と知っただけでも凄い。ほんと、中国にはなんでもある。



「群雲、関ヶ原へ」岳宏一郎

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関ヶ原ものの定番ですね。登場人物がいったい何人いるのか。それぞれの武将がそれぞれの思惑で必死に生き残りをかける。卑怯な奴もいるし、バカ正直もいる。うまく成功した武将もいるし、なぜか失敗してしまったものいる。文字通り「命をかけて」の駆け引きであり、どっちが勝つかの読み勝負。そうした大小の「群雲」たちが関ヶ原の一点へ向けて収斂していく。司馬遼太郎とはまた違った味で、傑作と思います。

登場する人物みんなが必死に生きているからか、読後感は爽やかですね。家康は不器用で愛嬌があるし、三成はもっと不器用で傲岸不遜だけど、可愛いところもある。完全なヒーローなんていないし、悪人も敵役もいない。唯一、上杉景勝だけがちょっと綺麗に描かれすぎで、これは作者のエコヒイキでしょう。

さすがに何回も読みすぎて、どこかの章を読み出すと「ああ、こういう話だったな」とすぐ思い出す。すぐ思い出してしまうのは詰まらないですが、それでも時折は読み返す本です。




「老生」賈平凹

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★★★★ 中央公論新社

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賈平凹という人、中国では莫言とならぶ有名作家らしいです。ただしまったく読んだことがなかった。

もうかなりの年配らしく、後書きではちょっと歩くとすぐ息があがるとか書いています。やれやれと道端に腰を下ろして、妻子が文句いうのも気にせずタバコを吸う。で、紫煙を漂わせながら来し方を思う。そんな心境が「老生」というタイトルになっているのでしょう。

本の内容は国共内戦期、土地改革と人民公社、文化大革命、そして開放期を描いた4つのストーリーです。舞台は西北部の陝西省。かなりの僻地らしいです。その地域の小さな村々がどんな具合に翻弄されたか。村人がどんな具合に欲望に身をまかせ、罵りあい、足を引っ張りあい、泣き、殺し合ったか。

雰囲気はかなり莫言のそれに似ていますね。賈平凹は陝西省、莫言は山東省。ひたすら土俗的。暴力的。同じようにユーモラスでもありますが、もう少し毒っ気がある

語り部は百歳を超えたかもしれない放浪の弔い師。死者が出たとき弔いの唄をうたう慣習があるらしいです。そしてもう一つ、死に瀕した老弔い師の住む洞窟の外では、謹厳な教師が少年に山海経を教え込んでいる。山海経(せんがいきょう)、書名だけはぼんやり聞いた気もしますが、ひたすら中国というか世界の山々や海、産物と奇獣神獣について延々と解説した奇想天外な書物のようです。初めて知りました。

訳者は吉田富夫。現在刊行されている莫言の小説は、大部分がこの人の訳です。登場人物はみんな訛りのきつい田舎言葉でしゃべり、独特の雰囲気をかもしている。そうした雰囲気が原書の訳としてふさわしいのかどうかは不明で、半分くらいは作者と訳者の共著のような印象になっています。

なんか説明になっていないようですが、なかなか面白い本です。そんなに厚くないですが、読了するのにけっこう時間がかかる。機会があったら他も読んでみたい。

そういえば、莫言の「転生夢現」「白檀の刑」を読んだときも、つい★4つを付けてました。こういうスタイルの小説、好みなんだろうか。

「愉楽」閻連科

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★★河出書房新社
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閻連科(エン レンカ /イエン リエンコー)は中国の作家で、けっこう微妙な内容なので出版するたびに中央に叱られているらしい。でもこの小説でフランツ・カフカ賞受賞。日本でもけっこう売れたとか何かに書いてありました。版元も河出だし。ふーん。

マジック・リアリズムということになっています。ノーベル文学賞とった莫言なんかと同じ系統の作家ですね。こうした手法がいちばん安全なのかもしれない。

お話は河南省の僻村。どうでもいい山の中の集落なので、周囲の県から相手にしてもらえない。住民のほとんどは障害者。というより、付近の障害者がみんなこの村に流れ着いた。ここなら支えあって安心して生きていける。忘れられた村です。

で、野心に燃える県長がレーニンの遺体(最近粗末に扱われているという噂)を招来して町おこししようと思い立つ。特殊技能をもった村の住民を使って絶技団公演を企画、莫大な資金集めをもくろむ。要するに巡回サーカスです。それに対抗する村のカリスマ指導者は(少女時代に)延安長征にも加わったことのある老婆。ドタドタバタバタとストーリーが展開します。

ちなみに中国の「県」は行政的には日本の郡のようなものです。でもさすが中国、81万県民とか野心県長は豪語していました。日本の小さな県にも匹敵する。

うーん、いまいち乗れませんでした。ほんと、莫言と似たような小説なんですが、莫言のねちっこさがない。自然がうまく描写されていない感じがする。人物の描き方もうーん・・・・・。描写の「根っこ」が生硬なのかな。

素晴らしい!と感動する読者がいても不思議はないですが、ワタシ的にはダメでした。


「兄弟 文革篇/開放経済篇」余華

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★★★ 文藝春秋

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上下二冊。前から図書館の本棚に並んでいるのは知っていましたが、高島俊男さんが「お言葉ですが...別巻6」で評価していたのでふと読んで見る気になりました。

前半は文革篇。地方都市の血のつながらない兄弟が主人公です。県の中心となる程度の大きな町なんでしょうね。中国の県は日本の郡くらいと思います。その町も文革の狂騒にまきこまれ、父親は三角帽子をかぶせられて撲殺死。このへんのドタバタは莫言のそれに類似しています。というより、悲惨な文革期を描こうとしたら、こうした喜劇調にするしかないんでしょう。

莫言の小説と非常に似ているんですが、やはり違う。何が違うのだろうと考えてみると、まず「兄弟」では自然が登場しない。莫言の場合、自然描写が濃密で、ほとんどひとつのテーマのような印象を与えます。湿気と寒さと熱暑。べらぼうな存在感をもつ樹木や家屋や動物。自然がねっとりとまつわりつく。しかし余華の場合はあくまで主役は人間で、自然にはあまり興味がない

もうひとつは登場する人物たちがごく普通の村人だということ。例外として「福利工場14人の従業員」という連中も登場しますが、これは白雪姫の7人の小人のような脇役で、あくまで喜劇効果を盛り上げるための合唱隊的です。こういう表現、差し障りがあるのかもしれませんが、莫言の小説では青痣、足萎え、狂人、盲目・・・これでもかというくらい重要な登場人物で、これを身体障害者という言葉で簡単にくくるのはどうもピンときません。もっともっと差別的。でも村民たちは馬鹿にしたり苛めたりしながらも、ある程度折り合いをつけて共同体として生活している。60年前くらいの日本の田舎の感覚でしょうか。綺麗に言えば人間たちもまた「バリエーション豊かな自然」の一部です。

ちなみに莫言は11歳で文革を迎えています。もちろん学校にも行けない片田舎の貧農の息子(ただし出自は中農かな)。余華は医師の家だったようですね。たぶん杭州市で育って、文革時は6歳ですか。この本の主人公である兄弟と同じ年代です。

莫言と余華。同じようなトーンの小説に見えて決定的に違うのは、この年代と育ちの差にあるかもしれません。片方は嵐の中を必死に生きのび這い上がろうとする。片方は異様な光景を見聞きし、たぶん境遇も急変したでしょうが、まだ子供なので状況が完全には理解できていない。


で、小説の後半は開放経済篇です。実直な兄は町一番の美人と結婚し、野放図な弟は失恋して金儲けを目指す。兄は金属工場で働きますが、その工場が倒産。仕方なく肉体労働を始めたものの頑張りすぎて腰を痛め、あとは要領悪く転落の一途。最後は詐欺セールスマンとして国内を放浪します。

徹底的に楽天家の弟は廃品回収から身を起こし、日本製古着の輸入販売で一気にのし上がり、巨大なコングロマリットを築きあげます。美処女コンテストを開催したり、世話になった仲間を引き上げたり、独り暮らしをしている弟の(兄の)女房に手をだしたり(ま、初恋の相手だったわけで)、好き放題。

しかし巨万の富を手にし、純金の洋式便所に座って糞をひりだしながら、もう果たすべき夢もない。虚しい。そして最後に思いついたのは大金はたいてソ連の宇宙船ソユーズに乗せてもらい、青い地球を眺めること。そのためにロシア語を勉強し、肉体を鍛える日々。それしかない。

開放経済篇は非常にテンポよく、すらすらすらすら読み進みます。ま、笑劇ですからね。じっくり立ち止まって熟読するような内容ではありません。すたすら馬鹿馬鹿しく進行します。作者に言わせると「喜劇だけど悲劇を内蔵している」展開。対称的に前半の文革篇は「悲劇的展開ではあるが内部トーンは喜劇」だそうです。そんな趣旨のことを後書きで書いています。

まったく蛇足ですが、読みながら兄は鈴木亮平(たまに見る花子とアンの真面目な亭主役)、弟はキャスターのミヤネ屋をイメージしてしまいました。ごめんなさい。なんか似ている気がしたもんで。

「莫言神髄」吉田富夫

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bakugenshinzui.jpg★★★ 中央公論新社会

吉田富夫は莫言の著書をたくさん訳している人です。初期のものはまた別の訳者で、えーと、藤井省三という人が多いかな。

ま、最近刊行のものはたいてい吉田富夫訳だし、親交もあるらしい。ノーベル章をもらったんで中央公論が喜んで、こうした本になったんでしょう。

前半の半分以上は、莫言がどんな人物でどんな本を書いているかという紹介。後半は日本各地やストックホルムでの莫言の講演録です。それぞれ面白い。ま、このところ莫言にはまっているせいもあるんですが。

「豊乳肥臀」で当局の逆鱗にふれ、かなり苛められた。投獄も覚悟したらしい。しかしその後もスレスレのきわどい内容を書き続け、ノーベル賞をもらったので、ま、今後は安泰。

でも単に安泰というわけではなく、いろいろゴマ擦りもしているらしい。なんか毛沢東の言葉を集めて一冊の本にする(いいかげんな言い方ですみません。詳細は忘れた)というイベントでは、何も文句言わずに一部執筆を担当したようです。要するに当局による踏み絵ですね。こんなときには決して逆らわない。

たしか文芸協会の副会長かなんかやってたはずですが、これも想像とは違って十数人いる副会長の一人。しかもほとんど実権のない名誉職らしい。でも「辞退する!」なんて言わないで唯々諾々と従うのが莫言です。長いものには巻かれろ。

徹底的にしぶとい農民スタンス。青臭くない。まず飯を食う。安らかに暮らす。しかし積極的に迎合はせず、可能な限り小説の形で体制批判を続ける。正義に燃える文芸家たちからは「体制側だ」と文句言われているようですが、党にとっても実は扱いにくい作家でしょうね。

そうそう。ノーベル賞の授賞式というのが1週間も続く大変なスケジュールだったとは知らなかった。かなりハードなものらしいです。式典の途中、隣に座っていた山中教授が莫言の膝をそっと叩いて「今だよ」と起立のタイミングを知らせてくれたらしい。よかったです。(もちろん莫言、小学校中退なんで外国語はダメです。式典進行、何を言ってるかぜんぜん理解不能だったでしょうね)

「現代中国の父 鄧小平」エズラ・F・ヴォーゲル

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★★★ 日本経済新聞出版社

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著者は大昔のベストセラー「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を書いた人らしい。なんせ読んでないので詳しくは知りません。

で、ヴォーゲルが退職して暇になってから調べだしたのが鄧小平です。良くも悪しくも現代中国の方向を決めてしまった政治家ですね。ちょっとレベルは違うものの、日本の吉田茂とか田中角栄にも似ている。

鄧小平。要するに毛沢東の有能忠実な部下。一時期は不遇だったが、毛沢東の復権と共に返り咲きして権力中枢へ駆け上がる。しかし毛沢東の意向に逆らうことも多く、だんだん機嫌をそこねることが増える。

走資派として文化大革命でも攻撃の対象となったけど、依然として「使える奴ではある」という毛沢東の評価はあったらしい。なんとか殺されずに生き延びる。周恩来のヒキもあり、やがて復権。

しかし頼みの周恩来の死後は、第一次天安門事件(周恩来追悼)の責任を問われてまたまた失脚。今度は江青一派に叩き落とされた。尽くしたはずの毛沢東は知らん顔。

そして毛沢東の死後、四人組が逮捕されてから再々度の復権を果たして、以後は第一人者として社会主義下の市場経済を導入。いろいろ批判はあるものの中国を経済的に豊かな国家に導いた・・・。。

べらぼうに厚い上下巻です。知ってることも多いですが、こうして通読するとやはり感慨がありますね。中国の政治ってのはひたすら権謀術数。大きく右派・左派という流れはあるものの、鍵となるのは首脳部の人間関係。根回しをどうするか、どう流れを作るか。指弾されないためにはどう保身をはかるか

絶対権力者の下で生き残り、自分の考えを少しずつ通し、最終的に権力を握るってのはものすごい能力が必要なんだと実感します。高く評価して育てたはずなのに、政治的に必要とあれば胡耀邦趙紫陽も情け容赦なく潰す。14億(だったか)の中国が豊かになることは必要だが、あくまで国家が第一。党あっての中国。趣旨が一貫していたんでしょうね。だからロシアやルーマニアの轍を踏まずにすんだ

大昔、機会があって(遠くからですが)趙紫陽を見たことがあります。たまたま見ただけなんですが、それだけでちょっと親近感がある。政治家が選挙でひたすら握手戦術をとるのは理解できますね。一回握手しただけで、かなりの好感を得られる。そうそう、ほんの数時間ですが(近い空間で)田中角栄の近くにいたこともあります。良い悪いは別として非常に魅力のある人でした。

そういうわけで第二次天安門事件の後、趙紫陽の左遷・軟禁ニュースは個人的に失望でした。これで民主化の流れは途絶えたのか・・・。ただ、あのときの鄧小平の冷徹な決断が中国という一党独裁国家にとって正しかったか間違っていたか、それは永遠にわからない。

ぼんやり考えたのは、この本は莫言の「転生夢現」とか「蛙鳴」あたりと平行して読むべきだということでしょうか。「現代中国の父 鄧小平」は党政府中央部の政争や生き残りを描いたいわばマクロのお話です。そうした雲の上の中央の動きが地方の末端まで少しずつ波紋をひろげたときに「転生夢現」とか「蛙鳴」の世界になる。

党中央のナントカ局長が「集団農業の見直しには理がある」とかいう論文を発表すると、そのうち山東省高密県東北郷の村役場の陳さんが外国タバコを自慢げに吸い始める。「適正な人口政策展開を学習しよう」とか誰か高官が新聞に書くとと、そのうち真面目な田舎の女医さんが懸命に二人目の胎児を堕胎し始める。子供のいる父親を脅してパイプカットして回る。

ま、そうやって中国はエネルギッシュかつユラユラ揺れながら歩み続けてきた。そして沿岸地域を先頭に欲と野心と欲求不満にあふれた豊かな大混乱の時期を迎えている。ようするに国土が広すぎる、人口が多すぎる、それが最大問題。そんな気もしてきます。今まではうまくやっきてたと党政府は自負しているようですが、あふれる14億人。コントロールするにはちょっと多すぎます。