Old PC Memo 1
電算私史(1) | 1985/11~1993 |
1985年(昭和60年)11月
初めての電子玩具,OASYS LiteKを購入。秋葉原のロケットにて。
OASYSを選んだのはさして深い考えがあったわけではない。すぐさま年賀状を苦労して作成。以後,おおいに活用する。価格 約5万円。必死にキーボードをおぼえる。
1986年(昭和61年)7月
5月の管理組合総会での書記を勤め,外部記憶装置の必要性を痛感。Lite用のフロッピディスク装置を購入。当時すでにディスク内臓のワープロが市販されはじめていた。腹をたてながら代金を払う。価格約5万円。
11月
数か月にわたって研究の末,FM77L2を購入。おもな理由は価格。生産停止となり、10万をきった捨て値で一部にのこっていたのである。妻が補助金を出資。秋葉原の大洋無線にて。買った当時から不満はあったがやむなし。すぐさまプログラムを作成(赤マルを書いて君が世を演奏する) 価格10万弱。
光栄のジンギスカン購入。2カ月ほど熱中。200ラインのディスプレーは見にくくかった。
1987年(昭和62年)冬
BASICのプログラムをうちこむ。すこし理解する。
6月
77用の簡易データベースシステム,Letter Bank(コマス)3万円
時代遅れの,クズソフトなれどやむなし。やはり実用にはならなかった。会社に16βが入る。部用としてdBASEを購入。社にデータベース構築関連の予備室ができたので私的(非公式)アドバイザーとなる。
8月
マイコン利用者認定試験を受験。4級および3級に合格。
9月
16βを購入。COMAS-WP3S(ワープロ)とプリンターも購入。秋葉原のシスペック。総計38万程度。社のソフト(dBASE,Maltiplan)との関連で機種選定。しかしこれらはFMRでも使えると判明し、がくぜん。16βで特に不満はないがVJEとWPの頑固さに閉口。部署用の管理索引システムを作成。dBASEを多少かじる。家計簿システム,住所録,家族日記などプログラムを組む。
ゲーム(ザナドウ)に熱中。
12月
パソコン用の大型デスクを購入。
1988年夏(4月.昇格)
ウィザードリィに熱中。マウス購入、1万円。社にワープロを導入。
12月
2種の受験を考え始める。
1989年1月
だらだらと受験参考書を眺める。おもに電車のなか,往復1時間程度。CASLにあたまをなやませる。
4月
受験予定日に緊急の仕事がはいり、受験を断念。気がぬける。またウィザードリーなどをだらだら遊んでひんしゅくを買う。10月の受験を一応は予定する。
1989年10月
2種情報処理試験を受ける。アセンブラでつまずいて失敗。熱意がすこし無くなる。
1990年(4月より職務多忙)
1991年(9月.実質降格異動)
ほとんどパソコン本も読まなくなる。会社ではひたすらワープロ。家では時折思い出したように古いゲームに数週間熱中。
1992年8月(1月.微復権異動)
77L2のディスクが不調。特にゲームの場合、読み込めずIOエラー。とうとうダメか。
TOWNSを買いたいが、予算なし。うーむ。
1992年
77L2を廃棄。16βーもディスク不良。3回ほど修理に出し、ディスク交換。原因はフロッピの汚れ。カビひどい。調査の結果、保管フロッピのほとんどが汚染されていることが判明。ヒヤヒヤしながら、ほぼすべてのフロッピをバックアップする。神経と手間がかかった。
現在遊べるゲームは中古で買った古色そうぜんたるジンギスカンと、パソ通でダウンロードした2、3の小ゲームのみ。DOS-VやWINDOWSが流行しはじめ、32ビット全盛となり、買いかえを熱望。ただし予算なし。
1993年(2月 閑職)
いまだ予算がない。もっぱらワープロを打ったり、ときおりゲーム(栄光)を繰りかえすのみ。新機種がほしい...。
8月(5月に閑職ながらも異動)
富士通がPC/AT互換を出すという噂あり。ウンズもハイレゾモードが出るか?
購入希望システム試算
TOWNS2 HR20=328000
FMTDP 5351=89800
(TOWNS2 UR20=288000
FMTKB KB207=30000
拡張RAM 4M=19800
外付けHDD 200M=定価79800
ヘッドセットFMT-HS101=6500